「ダリア!早く下りて!見つかるわよ」
青々とした庭にぽつぽつと、高い木が植えてある。
中でも一層太々とした木の下で、姉のフィリアが呼び掛けているのだ。
長い睫毛に囲まれた大きな瞳、すっきりと通った鼻筋、緩やかにウェーブした煌めく銀髪。
年より幼く見える愛くるしい顔立ちは、意思の強そうな口元で引き締められている。
男爵になりたての家柄だが、その美貌と利発さで見初められ、侯爵家の次男との結婚が決まっている。
その為に現在、公爵家で行儀見習い中だ。
今日は久々の休みだった。
木陰でゆっくりと読書でも、と思っていたのに、二歳下のダリアがうろちょろして、木の休まる暇もない。
「お姉様も来ない?いい眺めよ!」
ダリアが大きく手を振った。
「ダリアっ!」
外廊下で男爵夫人が睨んでいる。
「お母様!」
ダリアがゆっくりと下りてきた。
フィリアに良く似た顔立ちをしている。けれどその悪戯っぼい笑顔は、彼女を幼く見せていた。
「あ~あ、見つかっちゃった」
そう言いながら、フィリアが揃えた靴を履く。
「フィリア。貴女がついていながら」
小走りでやって来た夫人が、ダリアの服を点検する。
「全く。姉妹なのに、何でこんなに違うのかしら」
両腕を上げて母に任せながら、ダリアが言い返す。
「本当にね。お姉様は私よりダンスも蹴鞠も上手なんだから、私より高い木に登れるのに」
「これっ、何を言っているの」
夫人がダリアの腰を軽く叩く。
「ほら、ここのレースが外れかけているじゃないの。早く中に家に入って。繕わないと」
「はーい」
ダリアが勢いよく走り出す。
「本当に、もう」
言葉では怒っているが、顔は笑っている。
夫人がダリアの後を追い、フィリアは一人、庭に残された。
フィリアは溜め息を一つ吐くと、木陰で再び本を開いた。
皮の表紙がしっとりと手に馴染み、箔の装丁が美しい。
フィリアは三頁読み進め、本を閉じた。
思い出されるのは、婚約者と引き合わされた、春の夜会だ。
さり気無さを装ってはいたが、話が決まっているのはみえみえだった。
そういうものだと分かってはいた。
けれどもこのまま、箱の中で一生を終えることを実感し、うんざりした。
庭へと抜け出し、苛立ちのままに靴を蹴り脱ぎ、宙で受け止める。
その時後ろから拍手が聞こえたのだ。
「上手ですね。面白そうな方で嬉しいです。楽しい家庭を作りましょう」
彼は快活にそう言ったのだ。
きっと彼なら大丈夫。
フィリアは自分を慰めた。
いつも真面目に大人しく生きてきた。
両親が望むように。家に迷惑が掛からないように。
けれど両親が、より愛しているのは、我が儘放題の妹の方だ。
自分だって、木登りぐらい出来るのだ。
きっと、ダリアより高く、そして、見つからないように。
外廊下からも、よく使われる部屋からも見えにくい、塀際の木をフィリアは選んだ。
それはかなり高かった。
けれど横に張る枝は、かなり太い。
出来る筈だ。
自分だって、登ってもいいのだ。
フィリアは靴を脱ぎ捨てた。
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