「フレイア様、先日は有難うございました」
「名付け親として、当然のことです。キノアは学校に慣れましたか?」
「はい。機嫌よく通っています。でもあのペンは、失くすと困るからと、家に飾ったままです」
ペンは、すっきりと握りやすい形で、キノアの名と、フレイアの印が入っていた。
「ありふれた物です。書き潰したら又贈りますので、使って下さい」
下に二の付く日、 天気が良いと、王宮の裏口は人通りが増える。
フレイアが馬場へと行くからだ。
城壁のすぐ外にあるその場所へ、供も連れずに歩いていく。
時には、生まれたての赤ん坊を、抱いている者もいた。フレイアに名付けてもらうのだ。
親の話を聞き、その意を汲んだ上で、その子に会う名前を付ける。
そして、その子のことを忘れない。
身近な不便を、訴える者もいる。
フレイアは対策をとってくれるか、出来ない理由をはっきりと説明してくれる。
けれども今日話し掛ける者は、あまりいなかった。
二人の弟達と、一緒だったからだ。
嬉しげに挨拶する住民達に、三人でにこやかに応えていく。
「私は兄上の様に、馬を操れません」
バシューがフレイアに愚痴をこぼす。
「信頼できる相手かどうか、馬は敏感に感じ取りますからね」
フレイアがからかう。
「姉上に敵わないのは、私も同じだよ」
ラウルがなだめる。
「それは年の功です。馬達は穏やかなラウルに一番よく懐く」
「短気な私は、気楽な末っ子で良かった」
「王族は民と国に尽くすもの。王になるならないに関わらず、鍛練しなくてはね」
「わかってるんです。頭では」
三人で過ごす時間は、フレイアにとって、いつも楽しいものだった。
けれども、時折心にもやがかかる。
王の血を引く、バシューを王座に着けると決めているからだ。
可愛い弟達を傷つけずに、どうすれば上手くことを運べるのか。
頭の片隅で思いを巡らせながら歩いているうちに、馬場に着いた。
自分の馬の元に向かうと、従兄弟のフォッグが寄ってきた。
長身に、優しげな顔立ち。
ふわりと微笑みながら、馬に触れたフレイアの右手に、右手を重ねた。
「私の気持ちを知りながら、サス国との縁談を、受けるつもりではありませんよね?」
「王になるには邪魔者が三人いるから、せめて女王の夫となって、我が子を王にしたい。殿下のお気持ちはよく分かっております」
「それだけではありません」
「他に何か?」
フォッグの瞳に、陰が生まれた。
「貴女が王位継承権を放棄して、嫁いでしまえば、次はラウル殿になってしまう」
フォッグはフレイアの目を覗き込んだ。
「王座は、正しい系統の者が次ぐべきた」
フレイアが訝しげに答える。
「話の流れが、よく分かりませんが?」
「そうですか」
フォッグがフレイアの右手を解放した。
「気が変わられたら、いつでもご連絡下さい」
フォッグの細長い後ろ姿を見送りながら、フレイアは右手の甲を拭った。
その夜、フレイアは王妃を訪ねた。
人払いをすると、低い声で話を切り出す。
「母上、不義の証を外に出しませんでしたか?」
ダリアの顔から表情が消えた。
そして怒り、裏に微かな怯え。
「一体何の世迷い言を。娘とはいえ、言って良いことと悪いことがありますよ」
「今日、ラウルの血について、フォッグ殿から思わせ振りなことを言われました。彼らが本当は、王座を狙っているのはご存知でしょう?私は見ているんです。あの夜の庭を。私はまだ十歳でしたが、ことの重大さは分かっていました」
ダリアは言葉が出てこない。
「私は誰にも言っていません。そして責めてもいません。ただ、叔父上達にどう対処するのか、考えたいのです」
ダリアは後退った。
膝に椅子が当たって、そのまま腰掛ける。
すっかり無かったことにしたはずの傷が、過去がダリアを追い詰めた。
呆然とした時の後、ダリアは無理やり頭を回そうとした。
「大丈夫。私は味方です」
フレイアが膝立ちになり、ダリアの背中に腕を回した。
「証拠・・・・?・・・証拠。手紙がありました。手紙、あの手紙は、処分したはず」
「いつ?どの様に?」
「バシューが十五歳になった時。本に挟んで、副侍女長に」
「六年前。今の侍女長ですね」
フレイアは頷いて部屋を出た。
「本ならば全てサキシアに渡していました。王妃様に命じられてから、ずっと」
侍女長は淀みなく答えた。
フレイアは驚いた。
すっきりと出した顔を、毅然と上げて歩く姿は潔く、フレイアの記憶にも残っている。
裏切りという、影のある響きとはそぐわない。
「サキシアは、部屋ですか?」
「先月、故郷に帰りました」
「辞めた理由は何でしたか?」
「半年前、母親を亡くしたからだと言っておりました」
「サキシアに、何か変わったことはありませんでしたか?」
「強いて言えば、初めて前借りを申し出たことでしょうか」
「何に使うためだったか、分かりますか?」
「母親の治療です。許可されませんでしたが」
「何故ですか?『掃除神の遣い』の勤務態度に、問題があるとも思えませんが」
「本人には『規律を守る為』と伝えました」
「では本当は?」
侍女長が初めて、ためらった。
「母上の独断ですね」
フレイアは溜め息をついた。
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