「あんたは本当に弱っちいねぇ」
麦の入ったとろとろのスープを、スプーンで掬いながら、サミが言った。
「面目ないです。でもほ自分で食べられます」
寝台で、ロイが言った。
背にクッションを当て、上体を起こしている。
「お椀を置く台がないでしょ。はい、あーん」
「それも手で持てます」
ロイが困って身を引いた。
「恥ずかしい?大いに結構。もう恥ずかしい思いをしないように、無茶を慎めるからね」
サミはもう三日、宿屋に通っていた。
居酒屋に行く時刻まで、ロイの看病をしているのだ。
ロイの具合が良くなるにつれて会話が増え、次第にお互いの昔話が、多くなってきていた。
「どうして医者を手伝っているの?」
「初めてここに来た時、近くの崖から海を見ていたらさ、止めてくれたんだ。『死ぬのはあと三日待て』って」
「死ぬ気だったの?」
サミが笑った。
「まさか。でも、本気で止めてくれた。だからここに住むことにしたんだ。たまに手伝うのは、恩返しみたいなもんかな」
「どうして崖にいたの?」
サミは珍しくためらった。
「あ、今のは無し。ごめんね、立ち入ったことを聞いて」
慌てるロイにサミが苦笑した。
「別にいいよ。姉さんがいたんだ。優しくて凄い美人の。町に働きに出たんだけど、苛められた揚げ句、濡れ衣を着せられて、腕に泥棒の入れ墨を入れられたんだ。女中頭が旦那の愛人で、嫉妬したらしいんだけど。それから入れ墨を自然に隠せるように、少し寒い国に行ったんだ。だけどそこでも酷い目にあってさ、一番近い海だったここに、身を投げたんだ。だから父さんが死んだ時に、ここに来てみた」
平静を装うサミの声が少し上擦っている。
その様子をじっと見ていた、ロイが微笑んだ。
「君は強い。そして優しい。お母さんも、産んで良かったと思っている。勿論、お姉さんも、お父さんも、皆君がいてくれて喜んでるよ。きっと。きっとだ」
サミは少し目を見開いた後、ロイに背中を向けた。
「あんたのお母さんは、どうしてるの?」
「死んだよ。僕を手放して間もなく。急な病で」
「あんたと、引き離されたの?」
ロイは小さく首を横に振った。
「母は身分違いを理由に、父の求婚を拒んだんだ。その後、父は母と恋人のまま、受け入れてくれる女性と結婚した。僕が生まれた時、父は僕を引き取ろうとしたけど、母は、僕が大人になるまでの半分、九年は自分で育てると言って、父と別れた。お陰で僕は祖父母と叔父にも囲まれて、のびのびと幸せに育ったんだ。父に引き取られてからも、僕は幸せだったよ。義母も兄妹も、おおらかで優しいんだ」
サミは横目でロイを見た。
「あんた、ここの干物は食べた?」
「うん。この宿の夕食で。普通の魚だったけど、凄く美味しかった」
「そうでしょ?海で育った魚は
、潮風に当てて干すのが一番なんだ。他の場所だとやっぱり違う。海の魚には海なんだよ」
今度はロイが目を見開く番だった。
それから二人の間の空気は、風がそよぐ日溜まりの様な、こそばゆくて居心地が悪いような、良過ぎる様な、きらきらとしたものに変わった。
「もう大丈夫。馬にでも船にでも乗って下さい」
医者がそう太鼓判を押して帰った日、サミが真面目な顔をして言った。
「あたしはあんたに、謝らなければいけないことがある」
ロイが少し身構える。
「何?急に改まって」
「あんたが来た日、酒を大鉢で飲ませたけど、三度の酒は、小皿でするものなんだ」
「ああ、知ってた」
ロイがくしゃっ、と笑った。
「でも、君が飲ませたいなら、飲もうと思った」
サミが眉間に皺を寄せた。
「何で?」
「その指輪を見たから。それは二度目に会った時、あの人が着けていた指輪だ。僕が誉めると、最初に会った時、僕が好きだと言っていた石で作ったのだと、微笑んでいた」
「じゃあ、あたしはあんたのことを聞いている」
サミはロイに向きなおった。
「アミは『あまりに申し訳ないことをしてしまって、赦しを乞うことさえ出来ない人』だと言っていた。そして『サミの方がよく似合うわ』って、あたしにくれたんだ」
最後は言い訳のように、早口になる。
そして指輪を引き抜いて、ロイに差し出した。
「あんたに返す」
「え?これは元々あの人の物なんだよ。贈られた君が持つべきだ」
ロイは差し出された左手を、両手で包んだ。
「本当によく似合ってる。君の瞳と同じ色だ。あの人は見る目があるんだね」
「・・・有難う。あんたとの関係が分かったから、もう、アミの話が出来る。良かった」
「沢山聞かせて下さい。僕はあの人のことを、あまり知らないんだ」
「うん。港でも案内しながら、あたしが話せることは全部。だけど、その後も」
そう言ってサミは横を向いた。
「あたしも、旅に着いて行っちゃ駄目ですか?一応傷を縛ったり、薬を煎じたりは出来るから、もしもの時には役に立つと思うし、邪魔になったら置き去りにしてもいい。それに・・・」
サミは目一杯、顔を背ける。
「万が一の事があっても、結婚なんてしなくていいし、子供もあたし一人で育てるから」
サミの浮き出た首筋も、耳たぶも、真っ赤に染まっている。
ロイは後ろからサミを抱き締めた。
「まず、僕の家族に君を紹介させてくれ。その後、君の親戚みたいな友達に、二人で会いに行きたい。そして小さい式を挙げて、一緒に牧場で暮らそうよ。海はちょっと遠いけど。ねえ、『うん』と、言って?」
「だって、あたしなんか・・・」
サミの声は消え入りそうだ。
「君が自分に『なんか』を付けていた事を忘れる位、僕は君を幸せにしたい。その機会を、どうか、僕に、与えて欲しい」
サミは体を固くしたまま、泣きそうな顔で黙り込み、やがて、言った。
「私の本当の名前はサンタビリア。姉さんのミントベルと合わせて、サミにしたんだ。姉さんの分も幸せになるって決めて」
ロイの腕に力がこもった。
「有難う。頑張るよ。サミ、サンタビリア。道中はアミ・・・フィリアの話を聞かせて。僕たちを結びつけてくれた、恩人でもあるからね」
サンタビリアは、ロイの家族に歓迎された。
皆、フィリアの件で、胸を痛めていたのだ。
サンタビリアの故郷では、思いもよらない幸運があった。
堤防沿いの道で、フィリアと再会したのだ。
サンタビリアはフィリアの左手を、ロイはフィリアの右手を取って、歓びと感謝の応酬になった。
サンタビリアはフレイアの行方を聞き、船長達がフレイアを守ってくれることを請け合った。
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