ぶきっちょハンドメイド 改 セキララ造影CT

ほぼ毎週、主に大人の童話を書いています。それは私にとってストリップよりストリップ。そして造影剤の排出にも似ています。

楽園ーFの物語・バックヤードー逃げられた男

2021-03-26 22:40:32 | 大人の童話
 熱烈に愛している、という訳でもなかった。
 親に決められ、二度会っただけの相手なのだ。
 けれど、それなりに大切には思っていた。
 だから婚約を破棄された時には、流石に傷付いた。
 フィリアは自分を頼ってくれなかった。
 つまり自分は捨てられたのだ、と。
 そして二年近くが過ぎ、フィリアとその子供が追われていることを、父親から内密に知らされた。
 ロイは今度こそ、助けてあげられると思った。
 もしも二人が捕まったなら、自分が子供の父だと主張して、王から守ることが出来ると。
 けれど今度もロイは頼られることなく、二人は追われることがなくなった。
 やはり自分は役立たずだったのだ。フィリアに見限られた通り。
 ロイは気分を変えに、旅でもしようかと思いついた。
 その矢先、食堂で声を掛けられた。
 ハッサと名乗るその男は、フィリアはジャナの港で『アミ』と呼ばれていたと教えてくれた。
 居酒屋で働く『サミ』という女と、仲が良かった、とも。
 ならばそこに行こう、と、ロイは思った。
 『サミ』からフィリアの話を聞いて、そこから旅を始めよう、と。

ロイは港に着いてすぐ、目についた居酒屋に入った。
 奥の椅子に座るとすぐに、髪を高く結い上げた女が、注文を取りに来た。
 右手の小指に光る石は、女の瞳と同じ金茶色をしていた。
「君は『サミ』さん?」
 ロイの問いに、サミは斜めに顎を引いた。
「そうだけど。何か用?」
「初めまして。僕はロイといいます。『アミ』と呼ばれていた女性のことを聞きたくて」
サミは僅かに唇を尖らせた。
「どんな関係だったんですか?アミは故郷から逃げたんだから、それも聞かずに教えるわけにはいかないよ」
「もっともです。その前に教えて欲しいんだけど『アミ』は過去のことを話していた?」
「ううん。昔の事は、ほとんど」
 サミの返事に、ロイは眉尻を下げた。
「じゃあ話せない。残念だけど。『アミ』の過去にかかわることだから、勝手には教えられない」
「うーん。そっちももっともだね」
 サミは腕を組み、斜め上を見た。
「じゃあ取り敢えず、あたしのお客様ってことで。お酒を奢るよ」
 まだ疎らな客達の好奇の視線の中、サミはすぐに四角い盆を運んで来た。
 乗せられていたのは、大きな鉢だった。
 なみなみと注がれていたのは、透明に近い蒸留酒だ。
「この辺じゃ『三度の酒』っていうんだけど。受け入れる側が注いだ酒を、お客が一口、次に注いだ人が一口飲んで、残りは客が飲み干すんだよ。さあどうぞ」
 サミはにこやかに、両手で鉢を押しやった。
 ロイは大鉢とサミを見比べ、にっこりと笑った。
「有難う。頂きます」
 一口飲んで、サミに返す。
「ご馳走さまでした」
「どういたしまして」
 サミも飲んで、ロイに返す。
「じゃあ、一息に」
「では、頂きます」
 ロイは勢いよく、鉢をあおった。
 そして記憶を失った。

 目覚めたら質素な寝台の上だった。
 塩辛そうなスープの匂いに、目が覚めたのだ。
 頭の芯が、鈍く痛んだ。
 ロイは記憶を辿りながら、体を起こした。
 僅かに吐き気がする。
 寝台から降り、木の扉を開けると、サミが振り向いた。
 手には薄金色に光るおたまだ。
「あ、おはよう。何か飲めそう?」
「うん、なんとか。ここは君の家?」
「そうだよ。借家だけど。ほら、そこに座って」
 丸い椅子に座りながら、ロイが訊いた。
「僕は、倒れたんですか?」
「倒れたっていうより、爆睡かな。はい。熱いから気をつけて」
 ロイの目の前に、大きな鉢がどん、と置かれた。
 中身は美味しそうな、魚介と野菜のスープだ。
「運んで泊めてくれたんだね。有難う。でも君は、どこで寝たの?」
「そこのテーブルの上。宿酔いには、このスープが一番なんだ」
「頂きます。女性の部屋に運ばれて、寝台まで奪うなんて。本当に申し訳ない」
 サミは腰に手を当て、片眉をあげた。
「あたしはそんな可愛い女じゃないから。いいからそれを飲んで、少し寝ててよ。少しはマシになって、浜辺の散歩でもしたくなるから」 
 そして、その通りになった。

 あ行で笑いながら海に突進するロイに、目を丸くしながら、サミは後を追っていた。
「どうしたの?」
 やっと追い付き、質問する。 
「海って、本当に海だったから」 
 息を切らしながら、ロイが答えた。
 目の前には海が、どこまでも広がっている。
 空より重い、冬に向かう色だ。
「海は初めて?」
「うん」
 潮風にロイは目を細めている。
「都から出たことがなかったの?あんた貴族でしょ。大分庶民的だけどやっぱり違うよ」
「僕は九歳迄、母と牧場で暮らしてたんだ。あと、果樹園もあったよ。君はここで生まれたの?」
「ううん。ここよりずっと西。港もあるけど、漁師町だよ」
「じゃあ、ご両親は漁をしてたの?」
「父はね。母は私を生んで死んだって。でも意外と不自由はしなかった。子寄り小屋もあったし」
「子寄り小屋って?」
「漁師の家は忙しいから、昼間子供は集まって過ごすんだよ。簡単な読み書きや計算も、大きな子や面倒を見に来る大人達から、教えてもらえるんだ」
「それは、良い仕組みだね」
「うん。家族はもう居ないけど、友達は半分、家族みたいなもんなんだ」
 微笑んだサミの顎で、黄色いリボンがなびいている。
 鍔の広い帽子を、顎で結んで留めているのだ。
「昼間はいつも、被っているの?」
 サミが笑顔を引っ込めた。
「あたしみたいな女が、日焼けを気にしちゃ可笑しい?」
「ううん。全然。母もよく、そんな帽子を被っていたから、なんか、懐かしくて」
「へえ、これが」
 サミはリボンをほどいて、帽子を手に持った。
緩く束ねた金茶色の髪が、ふわりと持ち上がる。
 その時、強い風が吹いた。
 サミの帽子を巻き上げて、波の上に運んで行く。
「ああっ!」
 駆け出そうとするサミを押し留め、ロイが海に入っていった。
 帽子は左右に、徐々に沖の方へと逃げる。
 ロイがやっと掴んだ時に大きな波が来て、頭まで飲み込み、足を掬った。
 ロイは直ぐに立ち上がり、慌てて浜へと上がって来ると、青ざめたサミに帽子を渡した。
「はい。びしょ濡れになっちゃったけど」
 サミはにこりともしなかった。
「まさか、泳げないの?」
「うん。こんなに取れないとは思わなかった」
「『うん』じゃない。危ないでしょ。カナヅチのくせに何でこんなことしたの!」
「君が行こうとしたから」
「あたしはいいんだよ。そこの島にだって泳いでいけるんだから」
「よくないよ。服が濡れたら透けるでしょう?」
「そんなの、あたしはいいんだってば」
 今度はロイが怒りだした。
「『あたしはそんな』とか『あたしみたいな』とか『あたしはいい』とか、君は自分の扱いが雑すぎる」
 言い返そうとした口を一度閉じ、サミはするりと話題を変えた。
「急いで戻って着替えよう。次に銭湯でよーく温まって」
「うん。それから宿をとって暖かくして寝るよ。君はお店へ?」
「大体そう。帽子有難う」
「どういたしまして。明日もこの時間は空けられる?」
「ううん。医者の手伝い」
「へえ。それは凄いね。いつもなの?」
「時々ね。凄くはないけど」
「じゃあ明後日は?」
「空いてる」
「じゃあ、町を案内してくれない?」
「いいよ」
「有難う。明後日が楽しみだ」
 けれど二人は、次の日に会うことになった。
 宿屋の遣いが医者を呼びに来たのだ。
『客が風邪をひいてしまった』と。



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