武士道の本をたくさん読んでいる。
武士道、茶道、華道、柔道、剣道、空手道、、 こうやって「道」の付くものは、なんだか違う。単なる「趣味」とか「スポーツ」にない深遠さというか奥深さというか果てしなさがある。
これらの「道」に従事している人は、決して自分に満足することがない。果てしない、古来から伝えられる、理想の世界に、謙虚に、そして真摯に、邁進している。
単なる勝ち負けではない。勝敗に一喜一憂しない。自分を高めている。常に発展途上。
これって、インテグリティまんまじゃないか。
インテグリティって、「どうやっても完全になれない現実の自分が、理想にむかって謙虚に向上心を持って歩むそのプロセス」と定義される。
これって、「道」じゃないか。
トヨタのカイゼンと、求道精神と、インテグリティって似ているなと思っていた。
インテグリティって、この「求道」てきなニュアンスがある。
英語でHe is a man of integrity って言えば、彼はインテグリティのある人、つまり人格者だ、って意味。
でもこれ、「彼は求道者だ」って言うのと、やや近い。
常に自分に満足せず、一歩でも前へ。一ミリでも上へ。他責せず自責して。
インテグリティ・エバンジェリストとして、インテグリティをこうやって「求道」的、修行的には言いたくない。言わない。
でも、インテグリティにはそういう側面もある、というか、そういう捉え方もできるな、と思いました。