【執筆原稿から抜粋】
古典から学ぶ美しさ・カッコよさ
古典から学ぶ価値観の一つが、美しさやカッコよさです。
これまで紹介してきた漢籍から、「なんだかカッコいいな」と感じていただければ嬉しいですが、そうでない方も、これから紹介する言葉に期待して下さい。
アタマ・理性・知識で考える「正しさ」のみならず、ココロ・感性・意識で感じる「美しさ」が古典の価値です。
「正しさ」は往々にして歪み、やがて色褪せます。
日本近代史でも、鎖国政策、富国強兵、皇国史観、八紘一宇、マルクス主義、終身雇用、24時間戦えますか、、など、かつて一斉を風靡した「正しい」考えでも、数十年経つと批判されるものは多いです。
正しさと異なり、「美しさ」は色褪せません。
変わらぬ「不易」と変わる「流行」のバランスを取る不易流行が大事です。その「不易」にあたるのが美しさで、「流行」にあたるのが正しさです。
古典から学ぶ「美しさ」とは
古典から学ぶ「美しさ」とは、分析的に考えると、要するに
- 積極性(奉仕の精神)
- 長期的な時間軸・精神的な価値観
です。
普通の人がやらないことを、奉仕の精神を発揮して敢行することに、人は美しさを感じます。
だれでも楽をしたい。だれでも逃げたい。
そういう自分の弱いココロに鑑みて、自分にはできない自己犠牲・利他の精神を発揮している人、自分の弱いココロに打ち克った勝者に、我々は憧れの気持ちとともに美しさを感じます。
また、そういう利他的な行動は、多くの場合、精神的な修養に基づいています。
俗物的な短期的な利益ではなく、精神的で長期的な価値を重視する。
そういう「目に見えない」ものに我々は崇高さと美しさを感じます。