親子関係は時計の振り子。
親が右行ったら、子は左に行く。
親が右翼なら、子は左翼に。
子が左翼なら、孫はまた右翼に。
というのは極端な例ですが。
親がコンサバなら、子は大胆に。
親が山師なら、子は公務員に。
親がパワハラなら、子は優しく。
みたいに。
どの子どもも、親を尊敬する反面、「親の醜いところ」(どんな人間にも醜い部分はある、それを全く子供に見せないことはたぶん不可能)を一番近くで見て育っている。
だから、子供は、そういう嫌な大人にならないように成長する。
私も、今ある身は全て親のおかげと思っていますが、誠に失礼で不肖ながら、親を反面教師にさせていただいて育った部分はある。
男女同権の部分。
私の父親は「戦前の九州生まれ」なので、令和の東京にいる私からすると、ちょっと、、、という部分はある。
「戦前の九州生まれ」の人間が、どういう環境で育ったか。
エピソードを2つだけ。
1 中高の制服のズボンのポケットを「縫って」いた。
寒がって、ポケットに手を突っ込まないように。
要するに、真冬でも、寒くても、寒がらないように。
ポケットを縫うって、、、
そんな父親を見てきたお陰で、私も、「寒くても<寒い>と言わない。<冷える>と言う」人間に育ちました。
過去の拙稿 ↓
「寒い」と言ってはいけない - 川塵録
「寒い」と言うな。どんなに冷えていても、志ある者は、「寒い」と言ってはいけない。私も、以下の森信三『修身教授録』の一節に出会ってから、四半世紀、一度も(か、ほと...
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(過去の拙稿)
2 体育の授業は裸足で
これは愚父ではなく、知人の父親のエピソードですが、通学?体育の授業?は裸足だった。
運動靴とかなかった。
ま、これは九州限定ってことではなく、昭和20年代、30年代の日本はそれくらい貧しかった、ってだけかもしれない。
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こういう環境と男女同権は関係ないんですが、まあ古い時代はどこも男尊女卑。スイスだって、1991年まで、女性に参政権がない州があったくらいですから。
だから同情というか理解できる部分はある、古い時代の人が男尊女卑的なのは。どんな人間も時代精神に影響される。アメリカ建国の父ワシントンも、黒人奴隷をたくさん使っていた。
私の場合も、そういう親世代を見てきて、より強く男女同権にネジを巻いている部分はある、と気がついた。
私が白スーツを着ているのも、男女同権のため。
(白スーツの理由の説明)
私の白スーツの淵源が、昭和世代の親へのアンチテーゼから来ている、ということに気がついたので、備忘のため。
人間は、いろんな形で、親から色濃く影響を受けているんですね。
いろんな意味で親に感謝しないといけない。