ミスアメリカと言えば、歴史と格式のあるミスコンだ。そのミスコンで水着審査をやめる事になった。変革の時代なのだ。ハリウッドの大物プロデューサーによるセクハラ被害が影響してるのだろう。ミスコンと言えば、世界中で水着審査が普通に行われてる。ないミスコンは、ほとんどない。なくす事は革命的だ。水着審査は悪く言えば、ストリップを上品に演出したようなもんだ。スタイルを審査するのに全裸では問題だが、水着を着ていれば問題ないと考えて、長年水着審査が行われてきたのだ。そもそも、女性の美とは何なんだろう。顔とスタイルが美の基準とは、あまりにもかたよった見方だ。一応、教養や人格も審査対象だが、短期間でそんなもの判定できないであろう。今までミスアメリカに選出された女性の90%は白人女性だ。アメリカ人はフェアーな競争を良く強調するが、アフリカ系、アジア系、ヒスパニックから選ばれる事はほとんどないのだ。他民族、多人種の国で白人女性だけがミスアメリカに選ばれてきたのは、かなり不自然であり人種差別的偏見を感じる。一時、ミスコンの廃止なんていう論議が世界中でなされた事もあったが、また、ミスコンは盛んになってきている。多くのミスコンは商業主義のシステムで開催されてるのだ。多くのスポンサー企業が資金を提供し、広告宣伝の場でもあるのだ。選ばれたミス達もタレントになるのだ。ミスコン優勝者が芸能界入りしたりする事も多い。ミスコンとは華麗なブランド化された商品なのだ。商品には金銭的価値がともなうのだ。資本主義の本家、アメリカでミスコンはなくなる事はないであろうが、選出方法は変わってゆくであろう。20年後には、渡辺直美みたいな肥満女性が、義足の女性が、元男の女性がミスアメリカに選出されるかもしれない。そのような選出は、多様性の国、アメリカにふさわしい。