今日の東京はいい天気だ。気分もいい。コスモスが咲き始めただとか、山に行った来ただとか、そんな楽しい話を書いてればいいのだが、現実は厳しい。日本のコロナはかなり下火になったが、年内で感染者0になる事はない。コロナで生活がままならない人間が山ほどいる。企業の生産活動も良くない。企業の借金が52兆円にも達してる。今の日本人の心に鬱積した思いが積もってゆく。虐待やDVが急増するのは理解できる。日本人は、内向きのストレス発散しかしない。無能無策の政府に抗議の暴動は起きない。歌を歌って生ぬるい感傷に浸ってるだけだ。自民党総裁選も、アメリカみたいに社会を分断するような激しい政治闘争にはならない。元々、99%日本生まれの日本人で構成されてる閉鎖的な国では、政治話題も日本村の井戸端会議の延長だ。日本は、国というより村だ。先進国で外国人比率が極端に低い国は日本だけだ。帰化申請も難民認定も許可されるのは、1%位の国なのだ。小さい国で県民格差だとか、うまい物ランキングだとかそんな事で盛り上がってる。地理的閉鎖性に加えて、閉塞感が漂う。光が見えないトンネルの中を進んでる。次の総理はどんな政治をしてくれるのだろうか。さほど期待できない。今を理解できない権力者には、未来を切り開く力はない。中国の人権を憂慮するより、日本の人権を改善しなけらばいけない。入管の奴隷制度に言及する総裁候補者はいない。原発廃止を訴えていた候補者が考え方を変えてしまう。日本中に子供食堂が存在している現実を理解しているのだろうか。貧困は大きい問題なのだ。今を理解するより、総裁になるためには今を直視しない、今をぼかす。政治とは、妥協の産物なのだ。日本では、特にその傾向が強い。総裁選とは、茶番の政治劇なのだ。大衆が蜂起して暴動が起きるぐらいでないと、閉塞と閉鎖のどぶ沼から抜けず日本は腐って消えてゆく。
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