以下の文は、現代ビジネスの林 智裕氏の『「福島の放射能は遺伝する」という誤解が9年経っても消えない現実 デマと偏見が固定化されている』と題した記事の転載であります。
『「福島の放射能は遺伝する」という誤解が9年経っても消えない現実 デマと偏見が固定化されている』
「次世代への影響」という偏見が根付きつつある
まもなく、2011年の東京電力福島第一原子力発電所の事故から9年になります。
たくさんの方々の善意と協力、努力で、福島の復興は大きく進んできました。
もちろん、今も課題は多く残るものの、着実に前へと進み続けています。
一方で、時間とともに話題となる機会が減っただけで、原発事故による風評や偏見の一部は、解消されずに定着したままとも言われています。
その実情は、2年前の2017年時点で、三菱総研による福島や放射線リスクへの理解状況調査によって明らかになっていました(参考:筆者記事「『福島は危険だ』というフェイクが、7年経っても県民を傷つけている」現代ビジネス、2018年3月11日)。
その状況は改善に向かったのでしょうか。
前回調査から2年が経った昨年に行われた再調査の報告からは、
・福島の現状や事故による放射線の健康影響に対して理解は進んでいるものの、2年前と比べて大きな改善は見られない。
・2019年調査の時点においても、2017年調査と同様、約半数の東京都民が最新の科学的な知見とは異なり、放射線の次世代への健康影響を懸念していた。
・最新の科学的知見に反して、次世代への健康影響への懸念が続くと、国内の一部に差別や偏見の意識が根付いてしまうことが危惧される。
という厳しい状況が見えてきます(参考:三菱総合研究所「東京五輪を迎えるにあたり、福島県の復興状況や放射線の健康影響に対する認識をさらに確かにすることが必要」2019年11月28日)。
「世代を超えた影響」はない
まず最初に、一般の方々への浸透が懸念される最も深刻な誤解について、明確に否定しておかなければなりません。
人の遺伝について、放射線被曝による世代を超えた影響は、これまでの信頼性の高い調査では見出されていません。
そもそも、東電原発事故によって、胎児の先天性異常が増加するようなレベルの放射線被曝をした方もいません。
今後、福島を訪れた人や、福島で一般的な生活を送っている人に、東電原発事故由来の放射線の影響で何らかの健康被害があらわれる可能性も考えられません。
これらは70年以上の時間をかけた広島と長崎の被爆者調査と、東電原発事故後の実測データから断言できることです。
「福島での影響はまだわからない」などと言える時期は、とうに過ぎているのです(参考:早野龍五・東京大学名誉教授「特集 『遺伝的影響を心配する必要はない-福島への誤解』」日本原子力産業協会、2018年3月8日/福島レポート「福島第一原発事故による放射線被ばくの遺伝的影響は?」SYNODOS、2018年6月6日)。
放射線による次世代への影響が実証されていないことについては、WHOの東電福島第一原発事故に関連したページでも確認することが可能です。
10. Will future generations be affected?(次世代への影響はありますか?)
A risk of radiation-induced hereditary effects has not been definitively demonstrated in human populations.(放射線が人の遺伝に影響を与えるリスクは実証されていません)
“Frequently asked questions on health risk assessment”
東電原発事故後には、避難した子どもたちが「放射能がうつる」などといったいじめを受けた被害も多数報告されています。
放射線の性質について、唯一の戦争被爆国として被害の実態を語り継いできたはずの日本社会が、実際にはその基礎知識すら充分に共有できておらず、かつて原爆による被爆者が苦しめられた「ピカがうつる」に類する差別を繰り返してしまったことは、残念でなりません(参考:「『放射能がうつる』いわれなき悪口で傷つけ…相次ぐ原発避難いじめ 差別と偏見許さぬ社会に」産経ニュース、2017年2月7日)。
「デマの否定」が不十分だった理由
原発事故後に広がった誤解と偏見、それを誘発させた無責任なデマはあまりにも多く、中には被曝の影響が次世代の遺伝に影響するかのような誤った言説も見られました。
当然ながら、これらの誤解に対し、福島県はじめ行政が「福島の今」や放射線関連情報の発信を怠ったわけではありません。「楽しいこと」「美味しいもの」をはじめとした福島の魅力は積極的に発信されてきましたし、官公庁などが用意したサイトでは、放射線の正しい情報を調べることもできます。
しかし厳しい見方をすれば、それらはすでに正しい情報を充分知っている人や、福島に対して好意的な人々の間での消費や共有が中心で、そもそも強固な誤解や偏見を持ってしまった人々にはアプローチできていなかった、あるいは偏見を解消させる効果は限定的であったとも言えるでしょう。
その原因のひとつは、個々のデマやその発信者に直接対峙・検証し、否定する動きがあまりに弱かったことにあると思います。
福島県はこれまで、明らかに不正確なデマや悪意ある情報、およびその発信者については「個別の案件には対応しない」と静観する方針を続け、2014年のいわゆる「美味しんぼ鼻血騒動」などの例外を除けば、直接の反論や抗議をしてきませんでした。
「ポジティブな情報に触れることで、誤った情報にもとづいた不安が払拭できる」人もいれば、「誤った情報を直接否定されなければ、ポジティブな情報は決して受け容れられない」人もいます。前者への対応に特化し、デマに直接反論しない方針が、風評被害対策として不十分であった点は否めません。
なぜ、発信され続けた正しい情報が広まらず、誤解と偏見はここまで深く定着してしまったのか。
事故から9年が経とうとしている今、その理由を考える必要があるのではないでしょうか。
「科学的正しさ」と「政治的正しさ」の衝突
福島に関する情報の更新が進まない理由は、第一には単純な時間経過による関心の低下と風化が挙げられるでしょう。
これは、同じ三菱総研の調査データからも読み取ることができます。
一方で、正しい情報の周知が進まなかった大きな原因として、これまでの風評対策には「『原子力』という技術そのものが政治的論争の中心にあること」への考慮と対応が欠けていた点が大きかったのではないでしょうか。
原子力発電所は、単なる電力インフラ施設の意味を超えた極めて政治的な存在、ときには巨大な国家権力の象徴とされてきました。それが破局的な事故を起こせば、当然ながら政治問題化します。
つまり、福島の風評と偏見の問題は常に、「科学的に安全かどうか」「情報が客観的に正しいかどうか」だけの文脈だけではなく、否応なしに政治的な利害関係やポジショントークの応酬、イデオロギー闘争に巻き込まれざるを得なかったということです。
「科学的な正しさ」と、「政治的な正しさ」との間に乖離が生じてしまったことが問題を複雑化させ、原発事故被害を実態以上に悲惨であると喧伝する人々も出てきました。そのことが、社会での事実の共有(正しい情報が伝わること)を妨げ、広まったデマや偏見を温存させる作用をもたらしました。
また、それらは大小さまざまなビジネスにも利用されてきました。
「脱被曝」を謳った高額な食品や怪しげなサプリメント類の販売。
大衆の不安や恐怖を煽る書籍出版や講演会、支持者を囲い込むセミナーなど、枚挙に暇がありません。
そのようなビジネスで利益を得てきた人たちは、科学的な情報が広まることを歓迎しませんでした。
残念ながら、一言でいえば、原発事故に「政治的・経済的な利用価値」を見出した人々があまりに多かったのです。
そのような状況下では、「正しい情報や客観的事実が無条件で受け入れてもらえるわけではない」ことを前提としなければなりません。
原発事故に関するデマがここまで拡散され、今も多くの誤解が残されている背景には、単に「正しい情報の発信が足りない」という理由ばかりでなく、こうした複雑な利害関係の影響があったとみる必要があります。
特に、一部の大手メディアや政治家、教育関係者などが標榜する「政治的正しさ」と「科学的正しさ」との衝突は、深刻な問題でした。
実際に、筆者の1年前の記事「正しい情報は邪魔? 8年経っても『福島の風評払拭』が難しい背景」(現代ビジネス、2019年3月11日)でも言及したように、昨年制作された「福島の今」を伝えるためのCMには全国のテレビ局から放映拒否が相次ぎ、最終的には3割程度の局で放映されるに留まりました。
滋賀県野洲市では、放射線に関する正しい知識を学ぶための副読本が回収され、子どもたちの学びの機会が一方的に奪われています(参考:大石雅寿・国立天文台特任教授「『放射能副読本』はなぜ回収されたのか」論座、2019年7月2日)。
多くの報道機関は、原発事故直後には福島の被害について過熱報道を繰り返したにもかかわらず、その後の「答え合わせ」ともいえるUNSCEAR(国連科学委員会)報告書については「ウケない」と判断したのか、ほとんど取り上げることがありませんでした。
さらに一部メディアからは正しい情報の周知どころか、報告書が出された後も、誤解や偏見を誘発させかねない「ほのめかし」報道が繰り返されました。
「報道ステーション」のように、環境庁が番組を名指しで注意した例もあります(参考:環境省「最近の甲状腺検査をめぐる報道について」平成26年3月/筆者記事「大炎上したテレビ朝日『ビキニ事件とフクシマ』番組を冷静に検証する」2017年8月10日、「『福島の11歳少女、100ミリシーベルト被曝』報道は正しかったか」2019年2月19日、ともに現代ビジネス)。
もちろん、政府や当局が常に正しい判断や行動をしているとは限らず、批判や監視は必要です。また、示された政策に対して異を唱えるのも、健全な民主主義社会においては当然推奨されるべきことです。
しかし、放射性物質の性質や影響といった「自然科学的な事実」は民主主義とは無関係であり、人の思惑に左右されません。
たとえ行政や公的機関によって示された情報だからといって、それらを全て悪意に基づいた偽の情報と決めつけ、事実もろとも「反対」ありきの態度をとるのでは、ジャーナリズムや政治的主張の正当性や信頼を低下させるばかりではないでしょうか。
なにより、社会がそのような終わりなき闘争に巻き込まれ、偏見や誤解が温存された結果、ダメージを受けているのは政府などの「権力」だけではありません。
福島に住む人々の人権や尊厳、メディアの信頼性も大きく毀損されているのです。
しかも残念ながら、そうした構図と害に気づいている関係者はいまだに少数です。
このような状況下で、「間違った情報を抗議も反論もせず放置しても、正しい情報は浸透するはずだ」と期待してきたのは、楽観が過ぎたのではないでしょうか。
「寝た子を起こすな」という意見もあるが
一方で、デマや誤解に対して抗議・反論することには、被災した当事者の方々からも、否定的な意見が出ています。
「風評を完全に無くすことなどできない。全ての人に理解されるのは無理なので、仕方ない」
「差別だと騒ぐこと自体が、かえって状況を悪くする。『福島は面倒くさい』と思われて商売にも邪魔だ」
「もう、そっとしておいてほしい。わざわざ寝た子を起こすようなことをしないで」
それらの主張にも、確かに一理あります。
わざわざネガティブな課題に触れることは多くの人にとって不快であり、実際に不利益が生じることもあるでしょう。
しかし一方で、こうした素朴な主張の一部には、期せずして典型的な「反動のレトリック」、つまりたとえば「事なかれ主義」や「詭弁の正当化」と一致してしまっているものも含まれるため、注意を要します(参考:アルバート・O・ハーシュマン『反動のレトリック』法政大学出版局)。
また、差別問題でしばしば挙げられる「寝た子を起こすな」論は、他のケースではすでに実効性が疑問視されています(参考:品川区人権啓発課「同和問題の理解のために(「寝た子を起こすな」という考え方)」/大阪府民文化部 人権局人権企画課「『寝た子を起こすな』?『知らぬが仏』?」/鳥取県人権文化センター「『寝た子を起こすな』を克服するために」)。
それでもなお、「正しい情報の発信さえ続けていれば、デマへの反論は不要」なのでしょうか。
これを考える際に忘れてはならない点が2つあります。
ひとつは、「風評被害は経済的な被害だけにとどまらない『人権問題でもある』こと」。
過去の公害病事例などでも知られるように、被災地への誤解や偏見が定着すれば、それが病気や遺伝に関わる内容なら尚更、差別などにも直結します。
問題を掘り起こしてでも「呪いを解く」ようにしなければ、次世代の子どもたちにまでも悪影響を及ぼしかねません。
自分の子どもが、誤った情報を鵜呑みにした他人から「オマエは将来ガンになる」「どうせ長生きできない」「子どもは生まない方がいい」などといった言葉をよってたかってぶつけられる日常を想像してみてください。
これは福島で実際に起こったことです。
また、すでに述べたように、デマは不安に乗じた大小さまざまなビジネスにも悪用されます。
財産を失ったり、故郷を追われたり、家族が分断された被害者も少なくありません。
これ以上の被害を食い止め、被害者を泣き寝入りさせないための行動が必要です。
もう1つ注意しなければならない点は、「デマとその誘発を放置し対処を避け続けることは、復興を妨げ、社会の利益を大きく損なう」という視点です。
かつて震災で生じた瓦礫を広域処理する際には、誤った危険性を煽る反対運動によって復興政策が妨害されたばかりでなく、被災地の人々の心も大きく傷つけられました。
大阪の瓦礫焼却が始まり母の体調がおかしい。気分が落ち込む、頭痛、目ヤニが大量に出る、リンパが腫れる、心臓がひっくり返りそうになる、など。
超健康生活の彼女はすぐ身体に反応が出る。
また引っ越しか。
国内避難民だな。
— 山本太郎 住まいは権利! (@yamamototaro0) February 17, 2013
昨年秋にも、福島で台風19号によって犠牲者も出る深刻な被害が相次いだ非常時に、「除染廃棄物を保管したフレコンバッグが数袋流出した」という、住民の健康リスクに全く影響を与えないことばかりを熱心に報道する関係者もいました。
しかも、この報道は海外大手メディアで事実と異なる内容に改変され、誤解と風評の再生産に利用されています。
一連の報道は、いったい誰のためのものだったのでしょうか。
デマの悪影響を過小評価してきたツケ
さらに、原発事故について近年最も大きな政治的争点となっている処理水問題も、誤解と風評被害が拡大する懸念によって、諸外国と同様の処理が行えずにいます。
このまま処理が滞れば数十兆円規模での追加予算が必要になるとの声もありますが、当然ながら、この莫大な予算には私たちの税金も使われることでしょう。
こうした混乱に乗じて、国内の一部野党関係者や外国政府関係者によって、今年の東京オリンピックを「放射能オリンピック」と呼ぶネガティブキャンペーンまで展開されてきました。
このような状況を許してきたのは、蔓延したデマとその悪影響を多くの国民が過小評価し、「あまり関わりたくない」と無関心のまま放置してきた日本社会にも、責任の一端があるといえるのかもしれません(参考:筆者記事「原発『処理水』を、なぜマスコミは『汚染水』と呼び続けたのか」2019年10月16日/「韓国・文在寅政権『日本は放射能汚染されている』プロパガンダのウソ」2019年8月29日、日、ともに現代ビジネス)。
最後に、本文中でも触れたUNSCEAR2013報告書の概要を解説した記事を、改めて引用します。
すでに何年も前に記されていたこの内容のどれだけが、みなさんに伝わっていたでしょうか。
「UNSCEAR2013報告書」の8つのポイントを挙げる。
(1)福島第一原発から大気中に放出された放射性物質の総量は、チェルノブイリ原発事故の約1/10(放射性ヨウ素)および約1/5(放射性セシウム)である。
(2)避難により、住民の被ばく線量は約1/10に軽減された。ただし、避難による避難関連死や精神衛生上・社会福祉上マイナスの影響もあった。
(3)公衆(住民)と作業者にこれまで観察されたもっとも重要な健康影響は、精神衛生と社会福祉に関するものと考えられている。したがって、福島第一原発事故の健康影響を総合的に考える際には、精神衛生および社会福祉に関わる情報を得ることが重要である。(注2)
(注2)精神衛生=人々が精神的に安定した生活を送れるようにし、PTSDやうつなど精神・神経疾患を予防すること。社会福祉=人々の生活の質、QOLを維持すること
(4)福島県の住民の甲状腺被ばく線量は、チェルノブイリ原発事故後の周辺住民よりかなり低い。
(5)福島県の住民(子ども)の甲状腺がんが、チェルノブイリ原発事故後に報告されたように大幅に増える可能性を考える必要はない。
(6)福島県の県民健康調査における子どもの甲状腺検査について、このような集中的な検診がなければ、通常は発見されなかったであろう甲状腺の異常(甲状腺がんを含む)が多く発見されることが予測される。
(7)不妊や胎児への影響は観測されていない。白血病や乳がん、固形がん(白血病などと違い、かたまりとして発見されるがん)の増加は今後も考えられない。
(8)すべての遺伝的影響は予想されない。
転載終わり。