狐の日記帳

倉敷美観地区内の陶芸店の店員が店内の生け花の写真をUpしたりしなかったりするブログ

繊細な耳にだけ聞こえる真理を、彼等彼女等は取るに足らぬこと虚偽に等しいことと言う。世の中に大きな騒ぎを引き起こす神々だけを彼等彼女等は信じているのだ。

2020年07月15日 14時55分50秒 | その他の日記
 以下の文は、アゴラ言論プラットフォームの池田信夫氏の『新型コロナでよみがえる「ゼロリスク症候群」』と題した記事の転載であります。


新型コロナでよみがえる「ゼロリスク症候群」
池田 信夫
2020年05月24日



 西浦モデルの想定にもとづいた緊急事態宣言はほとんど効果がなかったが、その経済的コストは膨大だった、というと「ワーストケース・シナリオとしては42万人死ぬ西浦モデルは必要だった」という人が多い。
 特に医師が、そういう反論をしてくる。
 これは原発事故のときと同じありふれた錯覚だ。 
 「炉心溶融で原子炉が破壊される最悪の場合には、放射線障害で数万人が死ぬ」という最悪のシナリオを想定することは正しいが、それに従って行動するかどうかは別の問題である。
 原発事故の危険とその確率をかけた期待値を考えると、石炭火力は原子力の350倍危険なので、リスクを最小化するには石炭火力を減らして原発を増やしたほうがいい。
 これが経済学の想定する期待効用最大化の原則である。
 ところが人はそういう合理的計算で行動しない。
 コロナや原発のような未知の現象に直面すると、最悪のシナリオに従って行動するのだ。
 これは最大の被害を最小化するミニマックス原理で、不合理な行動ではない。

 たとえばレントゲン撮影で胃に影が映っていて、医師が「悪性腫瘍かもしれません」と言ったら、あなたは「良性かもしれないから手術代がもったいない」と思うだろうか。
 最悪の場合を考えて手術するだろう。
 そして結果が良性でも、医師を恨んだりしないだろう。
 しかしその写真が間違いだったらどうだろう。
 あなたの写真は、他人の写真を取り違えたものだった。
 あなたの切り取られた胃は返ってこない。
 「命は取り返しがつかない」という感情が、ゼロリスクの原因である。
 「何もしないと42万人死ぬ」という根拠のない脅しは、写真を取り違えて「切らないと癌で死ぬ」というのと同じである。
 手術することにも、しないことにもリスクはあるのだ。

  「予防原則」で行動してはいけない
 ゼロリスク感情は(少なくとも一部は)遺伝的なものである。
 つねに周囲からの攻撃や捕食の危険にさらされていた人類にとって、いい獲物に喜ぶことよりケガや死の危険に反応するほうがはるかに大事だった。
 獲物はまた捕れるが、死んだら二度と獲物は食えないからだ。
 だからマスコミがネガティブな物語で「コロナの恐怖」を売り込むことは、彼らのビジネスとしては合理的だ。
 死の恐怖は人々に遺伝的にそなわった強い感情であり、理性的な思考に先立って働く速い思考だからである。
 ゼロリスクを政策として提唱したのが予防原則である。
 そのもっとも強いバージョンは「少しでもリスクがあるものは禁止する」という原則である。
 たとえば「1ミリシーベルト以上の放射線は人体に危険だ」という説をとなえる人が出てくると、それに科学的根拠がなくても、放射線の恐怖におびえる人は「最悪の場合を考えて禁止しよう」と考える。
 そして民主党政権は、こういう人々に迎合して「安心」のために1ミリシーベルト以上の地域を立入禁止にし、数十万人の生活が破壊された。
 こういう錯覚が生まれたのは、人々が直接にコストを負担しないからだ。
 福島ではコストを負担するのは東電だからただ乗りできる、と国民も政治家も考えた(実際にはその国民負担は膨大だが)。
 だが今回は、人々が毎日の生活の中で、自粛や休業の大きなコストを負担している。
 当初「命を守るためには多少の不便はしょうがない」と思っていた人も、これ以上自粛が続くことには耐えられなくなってきた。
 このような費用と効果のトレードオフを意識することが、ゼロリスク症候群から脱却する上で重要だ、というのが福島で日本人が学んだ教訓である。
                                 転載終わり。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

恐怖を生むのは弱さです。そして恐怖が不信を生むのです。誰か一人でも恐れることをやめたら、我々は争うことをやめるでしょう。

2020年07月13日 15時26分37秒 | その他の日記
 以下の文は、ダイヤモンド・オンラインの筒井冨美氏の『前代未聞!なぜコロナ禍なのに日本で“医師余り”が続出したのか』と題した記事の転載であります。



前代未聞!なぜコロナ禍なのに日本で“医師余り”が続出したのか
筒井冨美:フリーランス麻酔科医
2020.7.13 5:40


  未曽有のパンデミックが起こったとき、現場では一体何が起こったのか。
  特集『コロナで激変!医師・最新序列』(全12回)の#1では、「ドクターX~外科医・大門未知子~」等の医療ドラマの監修でも知られたフリーランス麻酔科医、筒井冨美氏がお涙ちょうだいメディアが決して報道しない、「コロナ禍に晒された医療界の真実」を赤裸々に暴く。
  前編、後編の2回に分けてお届けする。



  「ヒーロー不在」だった、日本の“コロナとの闘い”
 私の職業はフリーランス麻酔科医。
 特定の職場を持たず、複数の病院で麻酔を担当して報酬を得つつ、多様な医療現場の内側を見る者ならではの立場で著作も行っている。
 コロナ禍による経済危機は、医師にとっても決してひとごとではなく、格差の拡大が一気に進んだ感がある。
 失って困る肩書もないので、この数カ月に医療現場で起こった騒動を率直に伝えてみたい。

 2019年冬、中国で発見された新型コロナウイルス(以下、コロナ)は、20年には世界に拡散し、日本社会も大きく翻弄された。
 とはいえ、死者977人(7月6日時点、厚生労働省発表)は、米国13.3万人、英国4.4万人、イタリア3.5万人(7月6日時点、Worldometer)など、欧米に比べて奇跡的に少ない水準であり、結果的には「コロナ対策に成功した国」といえるが、なぜか政府や専門家会議への評価は低い。

 一方で、最前線の医療従事者の奮闘が毎日のように報道され、称賛を浴びた。
 PCR(ポリメラーゼ連鎖反応)検査に不可欠な臨床検査技師、重症患者に使用するECMO(体外式膜型人工肺)を担う臨床工学技士といった、これまであまりスポットを浴びてこなかった医療職も一般に知られるようになった。
 コロナとの闘いは、まさに「ヒーロー不在の戦争」であり、「無名で多数の専門職がジグソーパズルのように連結することで日本を守った」闘いだったように思う。

 日本では、20年1月に初めて感染者が確認されたのを皮切りに、2月にはクルーズ船のダイヤモンド・プリンセス号の集団感染騒動があったが、この頃はまだ医療機関にも余裕があった。
 2月1日に始まった「新型コロナウイルス感染症発生届」が、いまだに指定用紙に手書きし、印鑑を押してファクス送信というシステムだったことに医師たちはボヤきながらも「03年のSARSコロナウイルス、15年のMERSコロナウイルスのように、そのうち終わるだろう」と考える者が多かった。

 多くの医療機関での「コロナ騒動」の始まりは、2月27日の「一斉休校要請」だろう。
 病院という職場は、看護師・薬剤師・臨床検査技師などの女性の専門職が多く、ワーキングマザー率も高いが、仕事の性質から在宅勤務は困難だ。
 「来週からの勤務シフトどうしよう!」と、日本中の病院が大パニックとなった。

  コロナ禍で起こった、医療史上初の医師余り現象
 連日の報道を見て、日本中の病院で医療従事者がコロナ患者の診療に奮戦しているかのように想像する人も多いかもしれない。
 しかし、実のところ、医師たちは実際にコロナ関連業務に対応する「多忙な一握り」と、「暇で困惑する多数」に分かれていた。
 検診や人間ドックなどの「不要不急の診療」は休止となり、手術件数も延期になるなどして激減した。
 午後3時ぐらいになると、医局には仕事を終えてダラダラする医師が目立つようになった。

 「不要不急の外出は避ける」との政府広報、「志村けん死去」のショックを受けて、医療機関の受診を控える高齢者が急増した。
 かつて日本中の当直医を悩ませていた「コンビニ救急」(「深爪で血が出た」など軽症なのに気軽に夜間救命救急病院に駆け込む)が激減した。
 また、4月10日にはコロナの感染対策として遠隔診療が大幅解禁された。
 「高齢者はインターネットに疎く対面を好む」といわれてきたが、遠隔診療にはオンラインのみならず電話診療も含まれている。
 病院に電話すると近所の薬局で常用薬をもらえるというシステムは、「こりゃ楽だわ」と患者やその家族に広く受容された。
 「今は病院に行っても友達がいないから」と、かつて病院や診療所の待合室をサロン化して雑談していた高齢者集団“病院サロネーゼ”も病院に来なくなった。
 多くの病院で経営収支が悪化し、まずは非常勤医師が解雇された。
 何となく惰性で雇っていた高齢医師は「コロナ感染が心配でしょうから」、スキル不足のママ女医は「今はお子さんが大変でしょうから」と、自宅待機という名の退職勧告を受けるようになった。
 医師のバイト案件は激減し、単価も下がった。
 かつては誰も目に留めなかった医師転職ネットでの地方病院当直バイトが、数分間で成約する事例が相次いだ。

 12年のテレビドラマ「ドクターX」放映によって、フリーランス医師は一気に世間に認知されるようになり、大学医局の弱体化と表裏を成して快進撃を続けていた。
 シーズン1の頃は、「麻酔科の一時的なブーム」とささやかれていたが、ネットやSNS(会員制交流サイト)の発達と相まって19年ごろには内科、精神科、訪問診療、整形外科などでもフリーランス医師を見掛けるようになったが、今回のコロナ騒動でフリーランス需要は冷え切った。
 3月末に雇い止めされたのは「低スキル」「時間にルーズ」など問題のある医師が多かったが、4月に入ると真面目な中堅医師も雇い止めされるようになった。
 4月末になると「○○医大のエース」的な人材から「仕事ありませんか?」というSNSメッセージが届き、私も心底ビックリした。
 私自身も症例数ベースで4月は前年同月比マイナス32%、5月は同マイナス57%となった。

 フリーランス医師の中でも、高リスクな資産運用を行っていた人々はさらに厳しそうだ。
 株の信用取引、原油先物、(東京オリンピックを前提とした)不動産投資を行って、昨年にはセレブ生活をSNSでアピールしていた医師の中には、SNSアカウントが消滅して音信不通のケースもある。

  “アウトブレークで医療システム崩壊”は本当だったのか
 「本物のコロナをまだ診ていない」という医師は多い。
 日本国内で確定診断されたコロナ患者は1.9万人(7月6日現在)で、日本の医師は約32万人。
 「感染症指定医療機関」以外の病院に勤務する医師が出会わなくても不思議はない。
 私自身もこの数カ月間で遭遇したのは「確定診断されたコロナ症例1人」「疑い症例3~4人」「コロナパニック者20~30人」である。

 医療従事者たちは、むしろコロナ患者ではなく「父にPCRしろ!」「37.2度では対象外です」「だったら入院させろ!」「軽症者は自宅待機で」「父は一人暮らしだ! 何かあったらぶっコロすぞ!院長を出せコルァ!」のような、コロナパニック者との不毛な問答に時間と精神力を削られるケースが多かった。
 しかも、コロナパニック者の対応には診療報酬は発生しない。

 3月末から4月にかけて、ワイドショーでは大学教授やら“感染症に詳しい”医師やらWHO(世界保健機関)上級顧問を名乗る医師やらによる「東京は2週間後にはニューヨークになる」「ロックダウンしなければ、数十万人の死者」「日本は手遅れに近い」という恐ろしい予言が繰り返されていたが、医師仲間では「そんなことはないよね」と話し合っていた。
 理由は簡単、「毎日いろんな病院に行っているのに、一向にコロナ患者に出会わない」からである。
 また、ちまたで不足が叫ばれていた、コロナ肺炎の治療で救命の要となる人工呼吸器も実は一貫して余っていた。
 感染症指定医療機関以外の病院では、アルコールやマスク、感染防護服の不足が深刻で、病院の倉庫でもアルコールやマスクは鍵で厳重管理されていたが、人工呼吸器は無造作に並んでいた。

 医師専門のネット掲示板でも「○○でマスク購入可能」「防御衣がないときはワークマン製品が代用品になる(写真)」のような投稿はあっても、「不要な呼吸器を貸してください」といった投稿は全く見なかった。
 3月15日、中西宏明・経団連会長は人工呼吸器の増産を呼び掛けて、日本光電などが「1000台増産」と発表している。
 しかしながら、日本集中治療医学会の集計ではコロナでの人工呼吸器装着患者数は4月27日の315人をピークに低下傾向にあり、呼び掛けに素直に応じた企業が巨額損失を抱えないか心配だ。

 コロナ騒動のピークを過ぎて考えるに、結局のところ一般病院を苦しめたのはコロナ患者そのものよりも、「感染疑い症例には防護服着用、濃厚接触者は2週間自宅待機」のような過剰ルール、コロナ発生届が象徴する「紙と印鑑と電話ファクスが基本」のアナログな保健行政システム、「ワイドショーに扇動されたコロナパニック者」への対応、「一斉休校によるスタッフ不足」、そして「患者の受診控えによる大幅減収」である。

  コロナが正した医療界の無駄
 5月下旬になると、麻酔の依頼が再び増えてきた。
 アルコールや防護服も再び充足し始め、骨折などの手術は再開の運びとなった。
 しかしながら20年は事実上の遠隔診療元年となり、電話再診に慣れた患者層が再び病院に足しげく通うとは考えづらく、病院サロネーゼたちも簡単には戻らないだろう。
 すでにコロナ禍による経営破綻がささやかれている病院は少数ではなく、病院の統廃合が進めば、医師の淘汰も確実に行われるだろうし、若手医師に人気のキャリアのモデルコースだった眼科、耳鼻科、皮膚科の開業医も、患者の受診控えで苦しそうだ。
 雇い止めされたフリーランス医師も全員が再契約できるとは思えないし、横並び固定給だったのが「売上連動制」など契約変更を求められるケースも多発しそうである。
 一方で、骨折(整形外科)や尿管結石(泌尿器科)など治療の必要性が高い医療はダメージが少ない。
 とはいえ、意外にも「給料は減ったけれど、4~5月は人間らしい生活ができた。元に戻りたくない」と述懐する医師も多い。
 コロナ騒動は、不要不急の受診やコンビニ救急などによる医療費の無駄遣いや、勤務医の過重労働を解消するなど、今まで放置されてきた医療界の諸問題の解決に一役買った面もある。
 今回の騒動で顕在化した現実は、今後の若手医師の進路選択に少なくない影響を与えるだろう。(後編の#2に続きます)

                                 転載終わり。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

専門知識はそれだけでは断片にすぎず不毛である。専門家のアウトプットは、他の専門家のアウトプットと統合されて成果となる。

2020年07月12日 17時03分58秒 | その他の日記
 以下の文は、2020年5月13日の小宮山 宏・三菱総合研究所 理事長・元 東京大学 総長の『「コロナ禍からの脱出」のための知の構造化』と題した記事の転載であります。



「コロナ禍からの脱出」のための知の構造化
小宮山 宏 三菱総合研究所 理事長 元 東京大学 総長
2020-05-13


   知の構造化と全体像
 現象は常に複雑であり、そのすべてを理解するのは不可能だ。
 現象の中から最小限の要素を選択し、目的とする全体像を表現するのがモデルである。
 全体像モデルによって、人は現象の知りたい部分を理解するのである。
 コロナに関してもおびただしい量の知識が手に入るが、「いつ、コロナ以前に戻れるのだろう」という素朴かつ最も重要な問いへの答えはない。
 まるで、ジグソーパズルのピースの束をばらまいたようだ。
 知の構造化とは、ピースの中から目的を表現するのに重要なものを選び出し、配置することである。

 「コロナ禍からの脱出」のために知りたいのは、どれくらい怖いのか、隔離の有効性と失うもの、隔離以外の対策などだろう。
 完全な隔離を行えばコロナは終息する。
 しかし、社会の本質は人の交流である。
 隔離は社会活動の停止を意味する。
 経済もその一つだ。
 長期隔離の下で、人がまともでいられるはずがない。
 不機嫌、うつ、DV、生活習慣病や認知症の進行、閉店、不況、破綻、自殺、殺人など増えるだろう。
 しかし、人の交流が感染リスクになるのは確かだから、専門家のみの議論は「コロナのためなら死んでもいい」ということになりかねない。
 専門は重要だ。
 専門知なしで全体像は描けない。
 しかし、専門知は全体像の中でのみ生きるのだ。
 ここでは、コロナ禍に関して、リアルタイムで世界の情報を分析し、全体像と、政策の基本の提案を行ってみたい。
 また、「コロナ禍からの脱出」の全体像を描く過程で、重要な副産物として、世界から取り残される日本システムの状況が浮かびあがった。
 日本は、「強い行政システムと馴致された国民」という構造から、「知の構造化と自律分散協調系」へと脱皮しなければならない、という結論に至ったことを述べたい。

   教養とは「よりよく生きるための知の力」
 イマジニア株式会社から、テンミニッツTVという教養コンテンツを配信している。
 座長の私と、曽根泰教副座長を中心に議論した結果、教養は現下の課題にも役立つものでなければならない、コロナ問題の構造化に挑戦しようとなった。
 これまでにウィルスの基礎、パンデミックの歴史、医療の現状、世界の状況、中国情報などを配信した。
 これらは、この問題を理解する重要な部分全体像、つまり、「コロナ禍からの脱出」という全体像にとっては各論である。
 全体像を描くにあたり、特に留意すべきは二点。

 第一は、人類未知の問題だが、世界各国が総力を挙げて解決を目指しており、新しい知見が日々続々と生まれてきている。
 どうやって集めて、評価するか

 第二に、科学と科学技術が過去とは、けた違いだ。
 ペストやスペイン風邪の時代とは比較にならないし、新型インフルの時にさえできなかったことが、今ならできる。
 この10年ベンチャー企業の数と実力は格段に高まっている。
 特に大企業と相乗効果を発揮するとすさまじい力が生まれる。
 ワクチンや薬の開発スピードなど、過去の常識は通用しないかもしれず、過去の常識に囚われてはいけない

 必要なことは、世界を俯瞰したリアルタイムの知の構造化だ。
 そのために用いた主たる情報源は、これまで培った信頼できる人々のネットワーク、加えて下記引用文献[1,2]である。
 私たちは、ディジタル時代の集合知的教養の形成へ挑戦していると言えるだろう。

   世界の状況
 【図表1~3】はWorldometer[1]に報じられたものから9か国を選んで図示したものである。
  【図表1】は、新規感染者数の日変化で、この図のみ、各国で縦軸の値を変えてある。
 この図からは、感染の勢いの消長が見て取れる。
 多くの国で感染は収束に向かっている。
 ドイツはイタリア、オランダに若干先行。
 韓国は感染爆発を抑制、アイスランド、オーストラリアはゼロに漸近している。
 シンガポールが感染増に見舞われている。



 【図表2】は、【図表1】を百万人あたりの感染者数に換算したものである。
 韓国の感染爆発は、ヨーロッパの国のそれと比較して、規模は小さなものであった。
 台湾、オーストラリア、日本は新規感染率が小さい。
 アイスランドの感染率は世界最高レベル、シンガポールの感染率が拡大している。




 【図表3】は、百万人当たりの新規死亡者の数(死亡率と呼ぶことにする)を示す。
 アイスランドは、感染率は高いが死亡率は小さい。
 感染率の高いシンガポールを含め、非欧米国の死亡率は図では見えないほど小さい。




 これらのデータのみでも多くのことが分かる。
 韓国、台湾、オーストラリアは、新規感染、新規死亡ともに抑制に成功している。
 アイスランドは感染率は高いが死亡率を抑えている。
 シンガポールは、感染拡大にもかかわらず、断然少ない死亡率を誇る。
 たとえ感染しても死なない、という抑制の仕方も可能なのだ。

 日本は、後述するように感染検査PCRが他国と比べ10~100分の1と小さすぎて、感染率は信頼できないが、死亡率から考え、他の非欧米国と同様、抑制していると言ってよいのだろう。

 【図表4】は、感染者、感染者当りの死亡者(致死率と呼ぶことにする)、病床数などを国別に並べたものである[3]。
 死亡率の高い国は、致死率も高い傾向がある。
 医療崩壊と関係が深そうだ。





   世界を俯瞰して何が分かったか
 コロナ禍とその対応の全体像を知り、日本を相対化することができる。
 下記に例示しよう。

 ①欧米が特殊
 ここに記した、シンガポール、アイスランドのほか、香港、ルクセンブルグ、UAE、カタールなど小国が健闘している。
 小さいからよいわけではなく、サンマリノ、アンドラなどは悲惨である。
 ガバナンスの良い小国ということだろう。
 また、台湾、韓国、オーストラリアは小国ではないが、IT、ガバナンスで頑張っている。
 しかし世界を俯瞰して最も顕著なのは、ヨーロッパと北米の特殊性だ。
 死亡率が高い国はここに集中し、他地域との差は大きい。
 札幌医大の提供するサイト[2]は最も秀逸なものの一つだ。
 そこで、死者数(百万人当たり)の世界全体図を表示し、そこから北西南ヨーロッパと北米を消すと、グラフのスケールが変わる。
 さらにイランとエクアドルを除くと、差は一けたを大きく超える。
 日本の報道は、欧米に偏っている。
 テレビと新聞だけだと、世界を見誤る。

 ②致死率は低い
 もし十分な医療が供給されていたとしたら致死率はどのくらいなのだろうか。
 これは、コロナ禍がどれくらい怖いものなのか、最も重要な指標だ。
 まず参考にすべきは、20%が感染したダイヤモンドプリンセスのデータだろう。
 その致死率1.8%は、WHOの2%に近い。
 しかし、これは偶然の一致だ。
 クルーズ船の乗客は高齢者に偏っている。
 WHOは60、70、80代それぞれ、3.6,8,15%で、若い人を含めた平均で2.3%としている。
 日本で知られたWHOの2%は、固有の状況(武漢)における値で、医療が適切なら、致死率は2%からさらに一桁小さいことをクルーズ船は示唆する。
 コロナ固有の致死率を知るには、PCRを十分行い、十分な医療もある国を考えるべきだろう【図表4】。
 ドイツは、感染率が英仏伊より若干低く0.2%、致死率は4.2%と3分の1だ。
 しかし、悲惨な欧州の中で低いというだけだ。
 他の国を見てみよう。
 アイスランドは、PCRを国民の14.8%に実施、日本のちょうど百倍、世界一だ。
 感染率は世界最高レベル0.53%で致死率0.56%。世界第二のPCR実施国はUAE、国民の12%に行い、感染率は0.14%、致死率0.89%。
 シンガポールはPCR2.5%、感染率は欧州と同等0.33%だが、致死率は低く0.093%だ。
 カタールは、PCR3.8%、感染率世界最高0.60%、致死率は0.070%である。
 致死率は、医療、文化、BCGなど未知の要因、さまざまに影響されるだろう。
 しかし、シンガポール、カタールの平均値の0.08%は一つの指標だろう。

 慶應病院で行っている非コロナ来院者のPCRは、4月30日までの集計で、2.7%の陽性率、5月5日厚労省発表0.012%の230倍だ。
 日本の致死率3.6%は、本当は0.02%の可能性があり、0.08%と同レベルになる。

 結論として、PCRの大規模実施で測定される感染者の致死率は、WHOの2%、日本の3.6%などと比してはるかに小さく、0.08%以下と考えるのが妥当である。
 さらに、3月ころから世界各地で抗体検査が行われて、無自覚無症状の感染者が多く、PCR測定値の、数十倍から数百倍に及ぶという可能性が高くなってきた。
 ニューヨークでは21%と報告されている。
 日本でも神戸中央市民病院が千人測定し、3.3%が抗体を持つと発表している。
 これら個々のデータは、それぞれ、固有の状況に影響されており、大きな誤差も免れまい。
 しかし、多くの知見を総合すれば、致死率は0.08%をさらに下回ると考えるべきだろう。
 それならインフル程度だ。
 このことは、「コロナ禍からの脱出」を考えるに際し、きわめて重要な希望ある知見だ。

 ③ウィルスの変異は大きな影響を与えていない
 イタリアの悲惨な状況に対して、ウィルスが強毒に変異した可能性が示唆された。
 事実変異はすでに、A、B、C三種など、さらにRNAの分析で分岐が報告されている。
 しかし、強毒化の可能性は否定できる。
 イタリアはフランス、スイス、オーストリア、スロベニアと国境を接する。
 その北がドイツだ。
 オーストリア、スロベニアの感染率はイタリアと大差ないが、致死率は3~4分の1、ドイツと同程度だ。
 また、ルクセンブルグの感染率は高いが、致死率は、国境を接するベルギーの7分の1だ。
 こうした状況に鑑みると、変異の影響はあったとしても大きくはない。
 感染と死亡の爆発の主因は、医療崩壊、社会崩壊にあると考えるのが妥当だ。

 ④「コロナ禍からの脱出」3条件
 こうして分析してくると、脱出の条件がおのずから明らかになってくる。
 結論は、
 1、新規感染者、新規死亡者の減少。
 2、検査の充実による実態把握。
 3、医療体制、ロジスティックスを中心とするガバナンスの確立。

 現下の日本のデータは、新規感染者の減少、感染に2週間ほど遅れる新規死亡者の飽和を示している。
 1はほぼクリアしているといってよいのではないか。
 しかし、2,3に関して、公表データからは理解不能であることを以下に述べよう。

 ⑤日本はおかしい、特殊すぎる

 1)なぜそれが日本だけなのか?
 日本は、感染検査PCRが極度に少ない。
 このことはすでに国民のコンセンサスになっている。
 実際、人口当たりにしてOECD平均の9分の1しか測定していない。
 PCRを増やすことの困難さについて説明はなされる。
 しかし、私の唯一最大の疑問は、他国はできるのに「なぜ日本だけできないのか」だ。
 感染者の多い国から並べると、日本は31位。
 50位以内で日本よりも人口当たりのPCRが少ない国はメキシコ、パキスタン、インドネシア、バングラデシュ、エジプトだけだ。
 OECDどころか、トルコ、サウディアラビア、ペルー、エクアドル、ベラルーシといった国よりもはるかに低いのだ。
 他の国はできているのに「なぜ日本だけ」、これを明らかにする必要がある。

 2)医療崩壊がなぜ懸念されるのか?
 【図表4】にあるように、日本の急性期用病床数(ICUを除く)は他国に勝るとも劣らない。
 しかも、感染率は他の国よりもけた違いに低い。
 これだけ優位な資源の状況で、なぜ医療崩壊が懸念されるのか?
 この2点に関しては「日本だけができない理由」を、明確にしなければいけない。
 「コロナ禍からの脱出」3条件の2つであって、必須だ。
 PCRはゲノム研究を行う通常技術であり、日本全体として、機器も人も技能も、世界の劣等国であるはずがない。
 医療資源に関しても、感染者とベッド数の関係からも、足りないとはとうてい思えない。

 3)国のガバナンスの劣後だろう
 資源を有効に使うシステムが劣後しているに違いない。
 国のガバナンスが悪いのだ。
 どこに責任があるのか?政府か、厚労省か、医師会か、国民か、他の何かか、ここは明らかにしないといけない。
 私は、日本のガバナンスの問題と考える。
 「強すぎる行政と馴致された国民」という基本的構造が限界にきているように思える。
 そして答えは、自律分散協調系への移行だと考える。
 日本の未来にとって、これは最重要な問題である。
 たとえ、ポストコロナになろうとも、決着をつける必要がある。
 そうしないと、「全員が協力してやるべきときに、非難めいたことをいうべきではない」でコロナが終わり、終わった後は「みんな頑張ったんだし、もう済んだことなのだから、今更いいじゃないか」となる。
 太平洋戦争もそうだった。
 危機に際して日本が繰り返し犯した過ちだ。

 ⑥希望の兆しは見える
 日本の課題が、強すぎる行政とそれに慣れてしまった国民にあるとすれば、コロナを奇貨として自律分散協調系へ向かいたい。
 北海道、千葉市、川崎市、大阪府、新宿区など、自治体が、政府に先んじて、あるいは政府とは異なる方針を打ち出すところが出始めている。
 それは地方自治体の自律の兆しと考えたい。
 また、慶應病院、大阪市立大学附属病院、神戸中央市民病院、東京医師会はじめ、国に先んじてPCRや抗体の検査を行う例が散見され始めた。
 これは希望だ。
 日本は大国である。
 アイスランドやシンガポールのようなわけにはいかない。
 多様な背景を持つ地域が自らの意志で自ら動く、分散系の自律が不可欠なのだ。
 アイスランドがやれたことを、富山市がやればよい。
 人口は同規模だ。
 それらを見ながら、政府は協調系としての機能を果たす。
 国として自律分散協調系に移行しよう。
 その点でドイツは参考になる。
 悲惨な周辺国の中で火の粉を浴び、日本よりはるかに厳しいコロナ禍に見舞われながらも踏みとどまり、今でも日本より厳しい状況の中、すでに経済再開へと舵をきっている。
 ドイツは、州の力が日本の都道府県と比してきわめて強い。
 自律分散協調系を志向する国家である。

  専門家と非専門家のあるべき関係
 疑問は尽きない

 1.接触を80%減らす
 テレビでの説明の図を見ると、20%減らした場合、すとんと20%落ちて(そう見える)、そのあと感染爆発がまた始まる。
 80%だと、すとんと80%落ちて、そのあとゼロへ漸近する。
 どうやら、感染率一定で均質な、きわめて単純なモデルらしい。
 モデルは、目的を表現できる限り単純な程よい。
 しかし、接触確率は人の密度の2乗に比例する。
 感染症の最も基本的なSEIRというモデルでもそうだ。
 それなら、人出が55%減れば(0.45×0.45=0.20)、接触率は80%減るはずだ。
 メディアが報じる人出の減少率は、接触率80%減をゆうに超えているように思える。
 それで十分減らないと言うならモデルは欠陥品だ。

 2.無駄な自粛が多すぎるのではないか
 人出の減少から言っても、自分の周辺を見た直感としても、自粛はよくできているように思う。
 それでも十分減らないとすれば、病院や介護施設(ヨーロッパでは破綻した)、営業を続ける一部のパチンコ屋(そこが本当に発生源なのか、トレースしてみたらどうだろう)などが局在化した発生源となっているのかもしれない。
 そうであれば均質モデルはダメで、それに基づいた対策は間違いになる。
 また、感染者の増え方に比べて減り方が遅いそうだ。
 その理由は、PCR測定が徐々に増えてきているから、増え方が実態以上に加速され、減り方は減速されて見えるだけなのではないか。
 こうしたことがあるとすれば、私たち善良な市民は無駄な自粛をさせられているのではないのか。
 疑問は尽きない。

   非専門家は専門家の前提を問うべきだ
 専門家が全体像を持っているとは期待しない方が安全である。
 その証左は枚挙にいとまがない。
 最悪の例は、福島第一の事故だ。福島以前、五重の安全だから心配するなというのが専門家の言だったのだ。
 コロナの専門家会議は、感染症や医療の専門家だけである。
 あの危険この危険と思いつくから、隔離論に傾きがちだ。
 「コロナのためなら死んでもよい」となりがちなのだ。
 陥穽に落ちこまないためには、他の領域の専門家の批判を受けることだ。
 たとえば、上のような疑問に答えることだ。
 「国民に分かりやすく伝える」というが違う。
 大事なことは、「他の領域の専門家(誰でもそうだ)が納得できる」ように説明することだ。
 これは実は、自身の反省からの弁だ。
 専門家による「原発五重の安全論」を私たちは、その前提を問わずに信じてしまっていたのだ。
 高速道路の地震による崩落も、化学工場の事故も、専門家が計算間違いを犯したわけではない、設計の前提が誤っていたのだ。
 専門家は、走り出すと前提を問い直すことを滅多にしない。
 だから、詳細は専門家に委ねるが、モデルの前提は問う。
 これが、失敗から学ぶべき、専門と非専門との関係なのである。

   全体像と戦略的政策
 場当たり的政策
 たとえば、初期に国が行った一斉休校、これは誤りだと考える。
 政策は、①感染を抑制する実態的意味、②危機意識の喚起、③副作用、がポイントだろう。
 まず、感染の抑制という意味では休校の効果は二次的だ。
 子供自身はあまりかからない。
 居酒屋、バー、ナイトクラブ、カラオケ、密室ライブなどの閉鎖が優先順位として上だろう。
 第二に、危機意識を喚起するためなら他に手段はいくらでもある。
 第三に副作用が大きすぎる。
 直接の負の経済効果が小さいからやりやすいが、社会的副作用ははなはだ大きい。
 また、長期のマイナス効果は計り知れない。 
 休校なら台湾のやり方が参考になる。
 台湾では1週間と決めて閉鎖した。
 この間に、消毒薬の配布、教員の教育など準備をした。
 開校後は、感染者がでるとそのクラスを学級閉鎖、二クラス閉鎖になると休校と決めた。
 その結果、ほとんど休校はせずに済んでいるそうだ。
 政策の良し悪しはここまで市民生活に影響するのである。

   戦略的政策
 コロナの政策で大事なことは、持久戦だ。

 1、ロジスティックスの確保。マスクや消毒薬はもちろん、PCR、抗体など検査体制、医療体制、生活必需品の補給体制、ライフライン、その他重要物資のサプライチェーンを確保することが肝要だ。
 2、個別政策を打つ場合の、効果、意識喚起、副作用の3条件の精査。
 3、出口条件の明確化。新規感染(死亡)数、検査体制、医療体制の3条件。

   全体像(もちろん現状での仮説)
 公式発表に基づけば、日本の感染率は0.012%、致死率3.3%である。 
 しかし、PCRが他国と比して1~2桁小さい。
 PCR測定数に対して陽性の比率が、OECD平均と比して特に高くないという事を根拠に実態を反映しているとの主張もあるが、OECDは医療はおろか介護など社会システムが崩壊した国が多い。
 要は、シンガポール、アイスランド、UAEなどの値と比較できるかどうかである。
 公表値のうち、百万人当たりの死亡者数は4人で、この値は信ずるに足るだろう。
 ここで示した、あるいは報じられている情報を総合すれば、もし百倍測定すれば、感染者が10倍程に増え、感染率は0.1%、致死率は0.36%ということになる。
 ありうる全体像だ。
 慶應病院のPCR、神戸中央市民病院の抗体検査を見ると、感染者はすでに2~3%と考えるべきだろう。
 たとえば、2%感染、医療の対象に入ったのは0.012%とすれば、99.5%の人は無自覚だ。
 致死率は0.02%である。
 致死率はインフル程度、ただし薬がまだない。

 そうだとすれば、均一に接触確率を減らそうという基本策自体を修正すべきだ。
 医療施設や介護施設、家庭での高齢者などの防護に資源を集中し、一般社会の速やかな活動再開に向かう。
 そして、第二波、第三波に備え、ワクチン、薬の開発を急ぎ、さらにはウィルスの強毒化といった最悪事態をも視野に入れる持久戦だ。

 さらに何よりも、コロナ禍を奇貨とすべく、「知の構造化と自律分散協調系」の新しい体制に日本を導く必要があるだろう。
 強い現場の創発力は、日本の比較優位の最たるものだ。
 コロナ禍でも、検査体制の不備、一斉休校といった場当たり的政策にもかかわらず、持ちこたえている根幹は現場力にある。
 心の持ちようで自律分散協調系は可能なはずだ。


その他の主要な参考文献・ガイドライン[引用文献]
  1. Worldometer:https://www.worldometers.info/coronavirus/
  2. 札幌医科大学HP:https://web.sapmed.ac.jp/jp/news/press/jmjbbn000000p5j4.html
  3. 三菱総合研究所HP:https://www.mri.co.jp/knowledge/column/20200415.html
  4. プラチナ構想ネットワークHP:http://www.platinum-network.jp/
                                転載終わり。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

馳車千駟、革車千乗、帯甲十万、千里にして糧をおくるときは、すなわち内外の費、賓客の用、膠漆の材、車甲の奉、日に千金を費して、しかるのちに十万の師挙がる。

2020年07月10日 16時44分10秒 | その他の日記
 以下の文は、アゴラ言論プラットフォームの鈴木 寛氏の『新型コロナ報道:3.11に学ばないテレビ』と題した記事の転載であります。


『新型コロナ報道:3.11に学ばないテレビ』


 東日本大地震からまもなく9年を迎えるところで、新型コロナウイルスの感染拡大という新たな国難に直面しました。
 国の専門家会議は2月24日に「今後1〜2週間が感染拡大を収束できるか瀬戸際」だと訴え、安倍政権は大規模イベントの中止や延期を国民に要請。
 感染拡大が著しい北海道では、道内全ての公立小中学校の休校へと動きました。

 本稿執筆時点でも感染拡大がとどまる気配はみられません。
 感染症に詳しい専門家のなかには「温かくなればウイルスの動きが鈍くなる」との楽観的な見方もあるようですが、2003年に今回と同じく中国から世界に流行したSARS(重症急性呼吸器症候群)のときは、WHOが終息宣言をするまで半年かかりました。

 確立された治療法はまだありません。
 新薬の開発導入には時間を要します。
 未曾有の危機に陥っているという点では、原発事故のときに放射性物質が拡散した事態と共通します。
 国民が不安と困惑の連続にいるなかで、専門家やメディアは科学的なエビデンスに依拠し、楽観にも悲観にも偏ることなく、正確なファクトを打ち出して「正しく恐れる」ように呼びかけるのが本来の姿のはずです。

 しかし原発事故直後の報道と言論は、すさむばかりでした。
 ネットで真偽不明の情報が飛び交う中で、テレビでも不安を煽る言動が続き、あろうことか当時の売れっ子科学コメンテーターまで「日本にはもう住めなくなる」と発信したこともありました。
 テレビ報道でも放射線モニタリングの最高値だけを強調し「福島は危ない」と煽って風評被害が拡大。
 某局のプロデューサーが「水素爆発の映像を流せば数字(視聴率)が取れる」と平然と私に言ったときの衝撃は今でも忘れられません。
 この報道のせいで、福島に医薬品などの支援物資を届けるドライバーがいなくなり、救急搬送患者や病気療養中の方が亡くなりました。

 避難と籠城、二つの選択肢を、各人のケースに応じて、慎重に見極めて判断する必要があったのに、中央のテレビが避難のみを喧伝し、それに煽られた菅直人総理(当時)は、寝たきりの高齢者の避難を強行しました。
 その結果、避難などの震災関連死が1600名に及ぶ二次被害が相次ぎました。
 避難関連死について、NHKを除くテレビ各社は、いまだに、自らの責任に十分に言及していません。

 今回の新型コロナ感染拡大でも、まるで希望者全てにPCR検査を受けさせるべきかのような、医療資源が有限であることを無視した論者をテレビは登場させています。
 感染対策の専門家がそれを否定すると、検査を受けさせる、させないで論争も起きる事態も見受けられました。

 政府の対処が後手に回っているのは確かでしょう。
 ある程度の批判、非難もやむを得ません。
 しかし科学的、医学的根拠が不十分、あるいは根拠はあっても非現実的な言説がはびこるメディア空間のありようを見ていると、3.11から何も学んでいなかったのではないか、暗澹たる思いです。

                             転載終わり。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

生半可に知っているのは危険なことだが、大いなる無知も同じようにまずい。

2020年07月10日 16時38分51秒 | その他の日記
 以下の文は、アゴラ言論プラネットの清谷 信一氏の『立憲民主党、枝野代表に政党代表の資格無し』と題した記事の転載であります。


立憲民主党、枝野代表に政党代表の資格無し
2018年04月08日 18:00
清谷 信一



「防衛幹部、警察・海保から」=東京労働局長の免職要求-立憲・枝野氏(時事通信)
立憲民主党の枝野幸男代表は7日、自衛隊イラク派遣部隊の日報問題について「防衛省・自衛隊をつくり直さなければならないぐらい深刻な問題だ。警察庁や海上保安庁から幹部を半分以上、送り込むぐらいのことをやらないと(いけない)」との見解を示した。

 いくら野党といってもこういう空理空論、しかも恐ろしい話をいってはいけません。
 警察という政治家ですらアンタッチャブルな組織に、警察と自衛隊という国家の暴力装置を任せようというのですから、どこが「立憲」で「民主」なんでしょうかね?
 しかも枝野代表は弁護士です。
 警察が多くの脱法行為を平然と行う。共産党の盗聴事件でも政府がわびても警察はわびませんでした。また代用監獄や冤罪を量産するような不法行為を行う組織です。
 それは弁護士が一番知っているはずですが、枝野代表はご存じないのでしょうか。
 また防衛省、自衛隊の成り立ちにも無知なのでしょう。
 そもそも自衛隊は、警察予備隊として発足し、旧陸海軍の将官らをパージして、警察官僚主導の組織として現在までも多くの出向者が出ております。
 また最近まで警察出身の事務次官もおりました。
 最近は徐々に警察官僚の関与が減ってきている状態です。
 つまり、今の防衛省、自衛隊の基礎は情報統制も含めて警察官僚が作ったといっていいわけです。
 そしてご案内のように警察官僚が支配する警察という組織は法治主義を無視しているところがあります。
 枝野代表の主張は政治家ですら統制が難しい、警察官僚に警察と自衛隊という国家の暴力装置を委ねようということであり、文民統制の自殺を意味します。
 こういうことを平然と述べる人には、野党党首は勿論、政治家として資質が著しく欠けていると言わざるを得ません。
 また幹部の半分を入れ替えるというのはただの、例え話でしょうが、それは評論家ならまだしも、野党党首のいうことでではありません。
 やるのであれば、問題がある将官佐官クラスをパージして、やる気のある将校を二階級特進でもいいから、地位につける。また自衛隊に見切りをつけて民間にいった将校たちを呼び戻し、これまた高い地位につける。
 そのためには徹底的な、情報提供を内部に求めるべきです。
 誤解を恐れずにいえば、密告を奨励すべきです。
 それは期間を区切り、また告発者の身分は守るという条件をつけるべきです。
 2割ぐらい将官や佐官が減っても何の問題もありません。人間は余っております。
 野党や受けを狙った大衆迎合の小芝居をするべきではありません。
 そういう性根が見透かされているから、有権者は先の選挙でも安倍政権に投票したのでしょう。
 皮肉なことに安倍政権延命の一番の協力者は無能な野党であります。
 無能な野党首脳こそ立場を去るべきかと思います。
 まあ一方で、民主党政権時代、仙谷長官の暴力装置発言で大騒ぎして自衛隊を暴力装置と呼ぶのはけしからん、自衛隊様を盲信することこそ文民統制だ、と主張されていた安倍政権中枢部の世耕、丸川、佐藤正久各氏も文民統制を放棄しています。
 率直に申し上げれば、政治家がだらしなく、軍部に舐められているといことです。
 その体制を変えるべき努力を与党も野党もやってこなかったということです。
 防衛予算だって毎年ろくな審議も行われずに、シャンシャンで通っております。
 政治家はもっと防衛問題をまともに勉強し、国会で真摯に議論すべきです。

                               転載終わり。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

我々は過去への思い出によってではなく、未来に対する責任によって賢くなるのである。

2020年07月10日 16時26分06秒 | その他の日記
 以下の文は、アゴラ言論プラネットの八幡 和郎氏の『日本の新型コロナは欧州発と確定し責任が明らかに』と題した記事の転載であります。



『日本の新型コロナは欧州発と確定し責任が明らかに』
2020年04月29日 11:30
八幡 和郎


  間違っていなかった初期対応
 国立感染症研究所の調査で、日本で現在感染が拡大しているウイルスは欧米から流入した可能性が高いことが、新型コロナウイルスの変異状況から分かったそうだ。
 これまで私が主張しているように安倍政権の中国以来の新型コロナウィルスへの対応は韓国などと比べても大成功したのであって問題は3月中頃以降の対応にあったと言うのが正しいと言うことが立証されたわけである。
 日本国内では、「ダイヤモンド・プリンセス」を起点とするウイルス株は検出されておらず、中国・武漢からの第1波の感染クラスターも抑え込まれていたのに対して、3月末から全国各地で確認されている第2波の「感染リンク不明」の症例は欧米かのウイルスで、旅行者や帰国者からもたらされ、全国各地での感染拡大につながった可能性が高いということだ。


  前川喜平ら教育関係者がもたらした感染拡大
 つまり、前川喜平に代表されるように、せっかく、学校休校などで啓蒙効果も含めて状況が収められつつあったのに、政府が延長方針を出すべきでないとして阻止した、野党、マスコミ、地方自治体、教育関係者の罪は大きい。
 その結果が連休の中だるみをもたらした。
 欧米からの入国者について、「検査が終わるまで空港内にとどまることを実力を用いて強制しなかった」、「GPSをつけることをしなかった」ことなどは法整備の問題。
 しかし立ち回り先を公開しなかったことなどへの評価について、立法政策、政府の方針、地方自治体の対処、所属勤務先や学校の方針も不十分だった。
 何よりも本人たちの自覚などもっと厳しくやるべきであったことは間違いない。
 例えば私にとって、身近なところで言えば、京都産業大学のスペイン帰りの学生がクラスターを発生させた時、私はその学生の立ち寄ったところ全ての名前の公表、しばらくの間の学生全員のアルバイト禁止などをしてほしいと主張していたが、京都市も大学もそういう対処はしなかった。
 そして世論もそういう京都市や大学に対して必ずしも批判的でもなかった。

  金くれなかったら…
 その後も、成田空港で検査の結果が出るまで待つようにいわれたときに無料のホテルを用意しなかったことが批判されるが、そもそも、海外旅行で空港で何日かベッドもなく待つことはよくあることだ。
 私だって何度も経験している。
 費用がかかるといって沖縄に帰った一家もあったが、海外旅行をするならそういうことで費用がかさむことがあるのを覚悟しない方がおかしい。
 政府の落ち度と言えば、あの武漢からの帰国便を無料にしたことだ。
 あれで、自分で持つべき費用も政府に払わせないとおかしいという甘えが国民に蔓延した。
 パチンコ店が休業しないのも結局それが影響しているように思える。

                              転載終わり。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分の主義を守るために政党を変わる者がいる。自分の政党を守るために、主義を変える者もいる。

2020年07月10日 16時18分20秒 | その他の日記
 以下の文は、アゴラ言論プラネットの河井 あんり氏の『旧民主党はどうしてこうなっちゃったか』と題した記事の転載であります。


旧民主党はどうしてこうなっちゃったか
2018年09月01日 06:00
河井 あんり


 自民党総裁選、というより、石破茂氏のマジメにオモシロ言動ばかりが注目されて、日本国民はすっかり忘れているようだが、国民民主党でも代表選が行われているらしいのである。
 私も実はこの記事書くまで詳しいことは全く知らなかった。
 9月4日らしいよ、投開票が。
 まぁ、仕方ない。
 現職が数十人いるのに支持率ゼロパーセントだもんなあ…。
 柚木議員が理由つけて逃げ出したくなる気持ちも豈図らんや、である。
 きっとみんな、虎視眈々と離党の理由を探しているのだろう。
 それにしても、代表選をなんで自民党総裁選にぶつけちゃったかな、メデイアで埋没するのは分かってるのに。
 それより、旧民主は立憲にしろ、国民にしろ、無所属の会にしろ、どうしてこうなっちゃったか、である。
 実は私は、旧民主の代表選で、ただ一度だけ、感動したことがある。
 2010年、小沢一郎氏が政治生命をかけて、陸山会の問題とかを抱えながらも立候補をした、あの戦いである。
 私はつい最近、小沢一郎の立候補表明を再度読んでみた。

 民主党というところは子供っぽい政党で、代表選一つするにしても、候補者の演説を聞いてから誰に投票するか決める、みたいな青臭いことをみんな平気で言う。
 それがしがらみのない政治だという。
 もうそこで、政党としてのアイデンティティや政治的センスが問われているわけであるが、あの当時、みんな、小沢一郎と対抗馬の菅直人氏の演説を、本気で耳をダンボにして聴いたんだろうか。
 いま、この記事を書くにあたって、別に読みたくもなかったが、一応当時の菅直人氏の政見も読んでみた。
 オープン、とか、クリーン、とか、どこかの自民党総裁選を彷彿とする、小沢一郎をあてこすったあまりにも軽い内容である。
 一番笑えたのが、最後に「官邸主導」を掲げていることだ。
 「官邸主導、政治主導を徹底するために、予算は総理大臣が直接指導して決めます」、だって。
 同じことを安倍総理が発言したら、それこそ野党もメディアも、ヒトラーの再来、とか言って総攻撃するに違いない。

 結局、この代表選で、小沢一郎氏は230票もの大差をつけられ敗北し、菅直人政権ができたわけであるが、当時民主党に属していた国会議員の皆さんは、本当に菅直人の演説を聴いて投票態度を決したのだろうか。
 私は別に小沢一郎のシンパじゃないし、民主党から派生した立憲や国民民主がどうなろうと殆ど関心がない。
 支持率一桁だし。
 でも当時の民主党内に小沢一郎のあの、口下手で訥々と一言一言を選びながら行った、一世一代の演説を聴いて心を震わせなかった国会議員が数多くいなかった、というのは問題じゃないか。
 私は生粋の自民党だが、小沢の演説を聴いて、ああこの人は、少なくとも理念と哲学のある人だ、と思った。魂の声だ、と思った。
 そして、陸山会問題であれほど叩かれていても代表選に勝負をかける、政治家としての打算と生き方にある種の感銘を受けた。
 しかし結局、民主党の国会議員は、メディアと、メディアの煽る世論に負けたのだ。
 今の野党議員のメンタリティと全く同じだ。
 その意味で、彼らは全然成長していないと思う。
 その時々の国民世論の動向、目先の支持率、そんなものに振り回されて、自分や政治的理念というものがない。
 だから支持率が一桁なのだということを、まるで理解していない。

 そもそも、民主党が自民党から政権を奪えたのだって、自民党のオウンゴールみたいなところもあるが、最大の理由は、当時の民主党が、第二自民党だったからだ。
 表に出ていた人たちは、小沢一郎をはじめ、鳩山由紀夫、岡田克也、と、「ザ☆自民党」みたいな人たちばかりだった。
 そこに、自民党が55年体制から延々と政権に就き、自民党自身が官僚組織の一部みたいになり、経済は低迷したままだった。
 小泉政権のときに金融機関の債務の整理は実現したが、強力なデフレ、実質賃金の上昇は叶わなかった。
 そこへ、党所属の政治家、霞が関のスキャンダルもあった。
 国民は、第二自民党を探していた。
 小沢一郎といえば、40代という若さで自民党幹事長をやりおおせた、最も自民党を体現する男である。
 しかしやりすぎた。
 国民世論における小沢支持は急落し、国会議員はそれに引き摺られるかたちで、市民活動家上がりの菅直人に投票した。
 その後の民主党の転落は説明するまでもない。

 もしあのとき、民主党が小沢一郎を代表に選んでいたら、いまの自民党はなかったかもしれない。
 東日本大震災はきっと彼の剛腕により霞ヶ関あげて、早急に対策が打たれたろう。
 なんたって被災したのはご自身の地元・岩手県である。
 少なくとも、パフォーマンスで原発を見学に行き、国民の面前で現場を怒鳴りつけるようなことはしなかったろう。
 東北大震災へのあの対応が、民主党政権に決定的な終止符を打った。

 私自身は、国民の一人としては、旧民主所属の国会議員の殆どは、自分というものが全くなかったように思えた。
 だいたい、立候補表明を聴いてから投票態度を決めます、とか言っておきながら、小沢一郎の名演説に共鳴しなかった彼らに理念などあるわけがない。
 そしていま、民主党はご存知のように分裂し、極左である立憲と、中道保守をめざすというかなり迷走している国民民主と、どこにも入れてもらえない岡田グループに分かれてしまった。
 それでも野党共闘を目指すという。
 三者を結びつける唯一の生命線は、「連合票」と、民主時代にプールした「政党助成金」だけである。
 残念なのは、それが有権者にすっかり見透かされていることだ。

 小沢一郎を葬ったのは、日本にとって、不幸だったのかどうかは分からない。
 けれども自民党にとっては、最大の強敵、目の上のタンコブを、党内で引きずり下ろしてくれたことは、最大の幸運に繋がったと言えるだろう。
                                転載終わり。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

事実に基づき、真実を求めよ。

2020年07月10日 13時55分20秒 | その他の日記
 以下の文は、アゴラ言論プラネットの池田 信夫氏の『新型コロナは「武漢ウイルス」ではなく「イタリアウイルス」だった』と題した記事の転載であります。



『新型コロナは「武漢ウイルス」ではなく「イタリアウイルス」だった』
2020年07月09日 14:01
池田 信夫


 東京で7月9日に、新規感染者が224人確認された。
 まだPCR検査は増えているので、しばらくこれぐらいのペースが続くだろうが、この程度の感染者数の増減は大した問題ではない。
 100人が200人になっても、次の図のようにアメリカの新規感染者5万人に比べれば誤差の範囲だ。
 大事なのは医療資源と関連する重症患者で、わずか6人のままである。


 では第二波は来るのだろうか。
 これは専門家にもわからないが、コロナウイルスの感染という意味では、おそらく今年の秋以降、また流行するだろう。
 コロナは毎年はやっている風邪だが、ウイルスの種類によっては注意が必要だ。

 今回はラッキーだったが、次も今回のような行き当たりばったりの感染症対策でうまく行くとは限らない。
 大事なのは、日本の被害が圧倒的に少なかった原因を解明することだ。

  原因はイタリアで変異したG614ウイルス?
 国立感染症研究所の調査では、3月に日本の感染が増えた原因は、EUで変異して日本に入ってきたウイルスだと考えられている。
 これは海外の専門誌でも確認され、Cellに掲載されたロスアラモス研究所の論文は、初期に武漢で発見されたD614から武漢でD614Gというタイプに変異し、それがイタリアでG614という新しいタイプに変わってスパイク(感染爆発)を起こしたと推定している。


 図のように初期の武漢ではD614がほとんどだったが、3月にイタリアに入ってD614Gが増え、4種類の変異がそろってG614になってから感染力が増したという。
 G614への遷移はEUに始まり、北米、オセアニア、そしてアジアの順に拡大した。
 G614の感染力(ウイルス感染価)はD614の2.6~9.3倍だとこの論文は推定している。
 もしそうだとすると、パンデミックを起こした原因は「武漢ウイルス」D614ではなく「イタリアウイルス」G614だったことになる。

  日本の被害が軽かったのはEUから遠かったから
 この場合は「武漢に近い日本でなぜ被害が少なかったのか」という問題設定が誤りで、イタリアから遠い日本で被害が少なかったのは当然だ。
 アジア経済研究所の熊谷聡氏は、EUから遠い国ほど死亡率が低いという事実に着目し、EUからの距離とGDPをかけた「重力方程式」で死亡率を推定している。
 このモデルでは、世界のコロナ死者を加重平均した「感染の中心」はアフリカの西の大西洋上で、そこから遠くGDPの低い国ほど人の往来が少ないため、死亡率が低くなる。
 このモデルで説明できる値を右下がりの直線とし、各国の死者をプロットすると、おおむね右下がり(遠いほど死者が少ない)の相関がみられる。


 この直線から下にはずれた国は、単なる距離では説明できない効果があると考えられる。
 たとえば直線から大きく下にはずれている日本(JPN)やシンガポール(SGP)は公衆衛生や医療の水準が高く、BCG接種の効果も統計的に有意である。
 武漢発の「第一波」は普通の東アジアの風土病だったが、イタリアで変異した「第二波」が感染力の強いパンデミックだったとすれば、最大の問題は輸入感染である。
 日本は欧米からの感染を3月末まで検疫でチェックできなかったためG614の侵入を許したが、4月以降はそれを封じることができた。
 この意味で第二波は終わったが、また変異して感染力の強いウイルスが秋に流行するかもしれない。
 今回たまたま日本は感染源から遠かったために大きな被害をまぬがれたとすると、今後は感染力の強いいウイルスが入ってくる可能性もある。
 水際対策が重要だ。
 自然免疫などの「ファクターX」の効果はあると思われるが、それだけで被害を防げるわけではない。
 「世界中どこでも基本再生産数2.5で感染爆発する」などという幼稚なモデルではなく、こうした複雑な要因を勘案した感染症対策が必要である。

                                転載終わり。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

企業経営には、利益を追求するにあたって人間として守るべき道がある。企業である限り利益は必要だが、人を騙したり貶めたりする不正な方法では企業が長年にわたって繁栄することはできない。

2020年07月10日 11時55分40秒 | その他の日記
 以下の文は、アゴラ言論プラネットの村山 恭平氏の『朝日新聞株主総会の内幕リポート 〜 “脱法理事長”大暴れ!』と題した記事の転載であります。


『朝日新聞株主総会の内幕リポート 〜 “脱法理事長”大暴れ!』

 おそくなりましたが、6月24日に開かれました、朝日新聞社の株主総会の情報が入ってきましたので、レポートいたします。

  意外な大物OBが朝日側の経営問題を鋭く追及
 予想というものは本当に難しいものです。
 今年は社主家の廃止という大きな定款変更の会社提案をめぐって、上野家と、香雪「脱法」持ち株会をはじめとする法人株主軍団との対決の構図を想定していました。
 ところが、蓋を開けてみると、一番鋭く経営陣を追及したのは、なんと香雪美術館を代表して総会に参加していた広瀨道貞理事長(テレビ朝日元会長、現顧問)でした。
 コロナの影響で質問時間の短縮が求められている状況で、彼一人で延々と社長に質問をしたようです。
 内容は、朝日新聞社の経営問題。
 創業以来、原則として無借金経営だった新聞社が、昨年100億円の融資を受けて自社ビルの一部を買い上げた件をしつこく追及していたようです。
 経営問題を追及する理由は、香雪美術館の公益活動には新聞社からの配当収入が不可欠であり、そのため新聞社の経営に不安が生じては困るということです。
 公益法人が株主総会でアクティブに動くことの是非は一旦おくとすれば、この配当にこだわる姿勢自体は、美術館として当然のものでしょう。
 社長にしてみれば嫌な相手が出てきたものです。
 新聞社の役員とテレビ朝日の社長を歴任した大株主、社主家の怖さとOBの嫌らしさを兼ね備えた最強の「事業関係者」、そして一連の“脱法ガバナンス”の中枢にいる理事長なわけです。
 とにかくきちんと経営して配当を出せという要求で、労組とのリストラ団交の話まで出ていました。

  社主家制度廃止採決、そのとき…
 今回、理事長の今回の最大の見せ場は、社主家制度の廃止を決める議案の採決のときでした。
 定款の変更ですから有効投票の3分の2が必要で、もし香雪美術館が反対に回ったら議案は採否されることになります。
 さて、採決。
 賛成者が一斉に挙手する中、まずは壇上の社長をにらみ、一呼吸遅らせてからニヤリと笑って小さく手を上げました。
 朝日の渡辺雅隆社長は一瞬心臓が凍ったのではないでしょうか。
 「今後、いつも会社提案に賛成するとは限らないからね」というメッセージも十分伝わり、株主によるマウンティングのお手本を見ているようでした。

 この採決に先立って、社員でもある上野家の代表者は、10分弱の時間をかけて、「いかにこれまで上野家が新聞社に貢献してきたか」という話をして、社主家制度の存続を嘆願しました。一社員が社長の提案に異を唱えてまでした訴えでしたが、経営陣はこれを機械的に無視しました。
 殺人事件でも命乞いをする被害者を殺めると、死刑の確率がぐっと上がると言われています。
 今回の残酷な強行採決により、「もう上野家はいらない」という会社の意思が明瞭になったわけです。

 話をまとめましょう。
 今回の総会を勝者と敗者という視点で考えてみます。
 勝者は間違いなく、香雪美術館でしょう。
 社長にマウンティングしてリストラまで要求できたのですから。
 敗者は、表面的には上野家のようですが、実は朝日新聞社特に社員だと思います。
 以前の記事にありますように、香雪美術館を中心とした持ち株グループは、議決権は現在は25%ですが、近い将来35%にまで増える可能性があります。
 このグループは、ハッキリ言えば美術館と放送局の野合です。
 仮に新聞発行が停止しても配当さえ確保できれば被害はあまりありません。
 逆に、公益法人や上場企業である彼等は監督官庁や自身の株主を抱えており、お家の事情から、配当の停止は絶対に許せない立場にあります。
 今回の広瀨理事長の発言で、この図式は一層鮮明になったと言えるでしょう。
 言い方を変えれば、朝日新聞社は日刊新聞紙法を脱法的に解釈して、事業関係者の定義を変更したために、それに伴い「事業」の定義も変更されてしまったということです。
 「新聞を出すことよりも配当を出すこと」が事業の本質になってしまいました。

  配当重視で表面化する「脱法」のツケ
 さらに、今回、持ち株比率約15%の上野家を決定的に怒らせてしまいました。
 彼等が香雪グループに対して、どんな感情を持っているかは微妙ですが、少なくとも「配当重視」という点では一致できそうです。
 新聞社の側も、社主の地位から引きずり下ろした一家に対して、「新聞発行継続のために配当はご容赦下さい」とは、普通は言えないでしょう(言いそうですが)。
 過半数の株主が配当重視で経営を監視することになりそうです。
 朝日新聞社は昔から配当性向が極めて低く現状でも総額は3億にもなりませんが、問題はたとえ1円でも配当を出すには、黒字決算をしなければならないことです。
 販売ダメ、広告もっとダメ、不動産コロナでダメ…という現状で、黒字決算を続けるには、徹底したリストラしかないはずです。
 幸か不幸か、記者の待遇と紙面の質との間にはあまり相関はないようです。
 また、紙面の質と新聞の売り上げにもあまり関係はなさそうです。
 慰安婦問題が起こしたころの社員の待遇は今よりかなり良かったはずです。

 編集部員の大部分を解雇しても、情報の大部分を通信社から仕入れ、赤く色づけした記事を出せば、そこそこの読者は残りそうです。
 そして、配当は維持され大部分の株主はとりあえず、満足するというわけです。

 また、朝日新聞社ほどイメージの悪い会社の社員が、どんなブラックな目にあっても、ネットを中心とする日本人の大部分は「ざまあみろ」以外の感慨はないでしょう。
 結局、脱法株主対策による無理のツケを、社員とその家族が最初に払うことになりそうです。
 もちろん、編集系の役員も、近い将来、無事で済みそうには思えませんね。
                               転載終わり。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

他人に対して傍観者の態度をとれる人であるか、それとも常に共に苦しみ、共に喜び、共に罪を受ける人であるかどうかは、決定的な差異である。後者は真に生きている人だ。

2020年07月09日 19時13分03秒 | その他の日記
 以下の文は、林 智裕氏の『「コンクリート」の中には、実は人がいた。(※比喩表現)というお話。』と題した記事の転載であります。


『「コンクリート」の中には、実は人がいた。(※比喩表現)というお話。』
林 智裕



 新型ウイルス騒動の中、「アート関係への補償が不十分」(意訳)という話が、非常にエモーショナルな表現?で出てきたみたいでして。
 それに対する、こんなツッコミを見た。
 (引用元のアート関係ツイは、今は鍵かけられていて読めない。炎上でもしたのかな??)

水晶 수정 @voix_de_cristal
あまりの憤怒と嫌悪と悔しさに体の震えが止まらない……
芸術文化を補償せず、見殺しにする政治家がどの面下げてそれをむさぼり、利用できるんだ!!
補償がないために家に閉じこもることなど叶わず、毎日満員電車に乗って働かざるを得ない労働者を何だと思っているんだ!!

アプロ @rUyaCVtIiRxgC9M
建築業界はもう何十年も前に見殺しにされたけど世間様は拍手喝采だったのに、何を今さら
工事現場の警備のバイトしていたけど、現場のおっちゃんらの会話は悲惨だったぞ。


 そういえば「コンクリートから人へ」というキャッチフレーズ、ちょっと前までやたらと流行りましたよね。
 しかしそれを生業としてきた人達や雇用を生み出していた地方にとって。
 たとえるならば、アートを生業としている人達から「芸術なんぞより倹約を」と言って仕事を奪っていくようなことと、ぶっちゃけ変わらなかった。
 確かにそうだ。
 引用したツイにもあるけど、「もう何十年も前に見殺しにされたけど世間様は拍手喝采だった」のは、その通りだと思う。
 特に、地方経済はアレでますます悲惨になった。
 でも、助けてはもらえなかった。

 今回、アート関係者が悲鳴をあげているような無慈悲な仕打ちは、実はとっくの昔から、土木建築業界に対しては喝采と共に行われていた。
 それならば、「なぜ土木建築はダメで、アートは尊重されるべきとされたのか。」これは、ちょっと考えなくちゃならないのではないかな。

 実は、あのときの「コンクリートから人へ」の「人」とは、都市型リベラルのホワイトカラーばかりが想定されていたのだと思う。
 当時「コンクリート」呼ばわりされたところにも、たくさんの人の暮らしと雇用、生活、生業があったのにね。
 特に地方に暮らしている身としては、その実感が深い。
 結局、あのスローガンは、それらを奪うロジックにされてしまった。

 ある意味で、「人」と尊厳への選択と集中。
 職業や、生き方への無知・無理解の中での不当とも言える選別。
 多様性や人に優しい世界とは、実は真逆のものだった。
 都市型リベラル的な暮らししか知らない視野の狭さと、そこから外れた、「似つかわしくない」「遅れている」職業や地域への、潜在的な差別的意識がそこにはあったんじゃないかな。
 社会を支えていたそれら職業への知識も、想像力も、敬意も、みんな足りていなかったんだと思う。
 当時の政治家も、それに喝采を送った沢山の国民も。

 なんだか、アリとキリギリスの寓話を、ちょっと思い出してしまった。
 日本社会ではこれまで、勤勉なアリさん(現場で生活を支える仕事や地方、農家など)がバカにされ、「ムダ」だと仕分けされまくった一方。
 華やかなキリギリスさん(都市型の洗練された生活)ばかりが持て囃されてきた。
 そういうしわ寄せが、緊急時に「社会の脆弱性」としてモロに出てきている気がする。
 今の新型ウイルス騒動でもそうだし、これからだって自然災害はたくさん起こる。
 一方で、インフラは老朽化してくる。
 「笹子トンネル事故」なんて、もうみんな忘れてしまっただろうか。

 本当は、「コンクリート」呼ばわりされていた人たちの生業や暮らし、地方などが、「人」の日常、当たり前を支えていたことは、そろそろ、もっと知られてもいいんじゃないかなぁ。
 ともあれ。

しゅうい☆たかひろ@舞鎮提督 @Fumi2cat_Shuui
自分が貰う金は「権利」
他人が貰う金は「利権」

 自分に関係する仕事と賃金、地域は「権利」。
 自分にとって他人事な仕事と賃金、地域は「利権」。
 きっとこういうのが、ほんと良くない。
 だから有名アーティストが「たかが電気」といって侮辱した言葉も、こういうときに「たかがアート」と返されてしまう。

 これから、アフターコロナの世界では、他人の仕事や暮らし、生業を「利権」だと叩くよりも。
 「世の中は、誰かの仕事で出来ている」という意識を持って、それぞれの生き方や仕事に敬意を払い合って生きていきたいよね。
 インフラを支えることも、文化や芸術も、みんながあってこそ、社会が豊かになっていく。


 ・・・でも、坂本龍一さんにはせめて、「たかが電気」発言は謝ってほしいかな。
 ちょっとだけね。(ぜんぜん期待はしてないけど)
                                転載終わり。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人間は真実を見なければならない。真実が人間を見ているからだ。

2020年07月09日 19時10分59秒 | その他の日記
 以下の文は、「SYNODOS」の『自分の「ものさし」を持つということ――福島の甲状腺検査と住民の健康を本当に見守るために 緑川早苗氏インタビュー』と題した記事の転載であります。



『自分の「ものさし」を持つということ――福島の甲状腺検査と住民の健康を本当に見守るために 緑川早苗氏インタビュー』


 東京電力福島第一原子力発電所の事故(以下福島第一原発事故)の後、事故当時18歳以下だった全県民を対象に、超音波機器を使って甲状腺がんの有無を調べる検査(甲状腺がんスクリーニング。以下甲状腺検査)が行われている。
 この甲状腺検査には、過剰診断(検査で見つけなければ一生症状を出さず、治療の必要がなかった甲状腺がんを見つけること)をはじめ、複数の問題があるという指摘がある。
 
 甲状腺がんスクリーニングは、受診者へのメリットが少ない一方で、過剰診断などの不利益があることから、国際的に、たとえ原子力災害の後であっても、実施すべきでないとされている。
 しかし、原発事故後の福島では、今なお甲状腺検査は続き、すでに10年目になる。
 
 福島の甲状腺検査の中心的業務に、検査が始まった当初から関わった緑川早苗・元福島県立医科大学准教授が、2020年3月末で福島県立医科大学(以下福島医大)を退職した。
 その後、甲状腺検査についての正しい情報を発信したり、不安を抱える人の相談窓口を設けたりするNPO「POFF」(https://www.poff-jp.com/)を医療関係者や住民の有志とともに発足し、共同代表を務めている。
 
 今回、福島の甲状腺検査の現場の実態と課題について伺った。(聞き手・構成 / 服部美咲)
 
 
 流れ作業のように行われる「学校検査」
 ――2020年3月末で、福島医大を退職されました。在職中は、甲状腺検査にどのように関わっていらっしゃいましたか。
 福島第一原発事故が起きた2011年3月当時は、福島医大で内科医として勤務していました。
 チェルノブイリ原発事故が起きた後、周辺地域に住む子どもの甲状腺がんがたくさん見つかりました。
 福島第一原発事故の後にも同じようなことが起きるんじゃないかという不安を、私自身も漠然と抱いたことを覚えています。
 まもなく、福島県が子どもの甲状腺検査をすることになりました。
 検査は、福島県が福島医大に委託して行っています。
 私にも「甲状腺検査を手伝うように」と声がかかり、それから検査の現場での仕事が始まりました。
 
 ――具体的にはどのようなお仕事をなさっていましたか。
  甲状腺検査そのものを担当していました。
 対象となる子どもたちの首に、超音波機器を当て、画面に映る映像で甲状腺の様子を確認するというものです。
  それから、超音波検査の結果、精密検査(二次検査)を受けるようにいわれた子たちが、安心して話せるような時間をつくるようなこともしていました。
 検査会場で恐怖や不安のあまり泣いてしまうことがよくありましたので。
 その延長で、個別に甲状腺検査についての電話相談や、甲状腺検査の説明会や出前授業などを続けていました。
 そういう意味では、検査対象の方々に最も近い場所にいたと言えるのかもしれません。
 
 ――学齢期の対象者は、原則学校の授業時間を使って一斉に甲状腺検査を受けている(以下学校検査)とのことです。学校検査の現場の様子を伺えますか。
  子どもたちは、クラスごとに検査を受けにきます。
 そして機械的に検査ブースに割り振られ、検査台に寝て、超音波機器を当てられ、出ていきます。
 流れ作業のように行われるので、なんの疑問を抱く間もありません。
  たとえば、学校の体育の授業で、「ボールをついて、校庭を1周回ってきましょう」と言われると、子どもたちはその通り、ボールをつきながら校庭を回ってきますね。
 それと同じように、子どもたちは、ごく自然な流れのままに、甲状腺検査を受けているのです。
  それでもときどき、とても心配そうな表情の子を見かけることがあります。
 検査会場で、「こんにちは」と声をかけても、ほかの子みたいに元気よく挨拶がかえってこない。
 怯えたような、不安そうな感じで立っています。
  「ああ、この子はもしかして」と思って、「検査、苦手かい?」と声をかけると、やっぱりどうも、あんまり検査が好きじゃない。
 「やっても大丈夫?」と訊くと、「やってもいい」と返ってきて、それで検査をしますね。
 すると、たとえば結節があったりするんです。
  もしかしたら、前回の検査でも「結節がある」と言われて、二次検査(一次検査で必要と判断された場合に行う精密検査。
 詳細な超音波検査、血液検査、尿検査のほか、医師が必要と判断した場合には穿刺吸引細胞診を行う)に行った経験があるのかもしれません。
  このように、自分の甲状腺について、もし何か悪いことを言われたら嫌だなという子も中にはいます。
 あるいは、家族が皆とても放射線について心配しているという場合もあります。
 超音波機器を首に当てている最中に、「放射線、入っていますか?」と訊く子もいました。
  一人ひとりの体の病気についての検査ですから、受ける・受けないの選択は、一人ひとり違っていて当然です。
 それにも関わらず、全員一律に、流れ作業のように検査を受けている今の状況には問題があると思います。
 
  福島の子どもたちの反応
 
 ――甲状腺検査の説明会の様子をうかがえますか。
  福島医大の甲状腺検査室の業務の一環として、7年ほど出張説明会を担当していました。
  当初は大人向けの説明会をしていたのですが、ある小学校の先生から、「子どもたちにも説明してあげてほしい」と依頼されました。
 そこで、2014年に、初めて出前授業というかたちで子どもたちに向けた説明会をしました。
 大学からも、その頃は「子どもたちに甲状腺や検査のことを説明するのはいいことだ」と、歓迎されていました。
  出前授業は、放射線技師や広報の方々も入っていただいて、チームとして学校に伺いました。
 小さな演劇のようなスタイルをとって、子どもたちにも参加してもらいました。
 その結果、対話も交えながら、楽しく双方向的な授業になりました。
 この頃の授業の様子は映像記録に残っています。
  授業後の感想も、「甲状腺の働きについて学べてよかった」とか「超音波検査の仕組みがわかってすごく楽しかった」とか、とても前向きで明るいものばかりでした。
  出前授業の資料は、私が広報や事務の担当の方や検査の技師たちと一緒に作って、大学の許可を得たものを使っていました。
 今は「なぜ?なに?甲状腺検査」(https://fukushima-mimamori.jp/thyroid-examination/meeting.html)としてホームページにも残っています。
 見ていただくとわかるかと思うのですが、甲状腺検査の説明に終始しており、甲状腺がんのことにはほとんど触れられていません。
  この資料や、それを使った当時の出前授業のメインメッセージは「のう胞は心配ありません」、そして「これからも甲状腺検査は続いていきますよ」でした。
  私は、甲状腺がんについてほとんど触れずに、甲状腺や超音波検査、のう胞や結節などについてだけ説明していたのですが、子どもたちは賢いので、そのうち「あっわかった!」っていうんです。
 「甲状腺に放射性物質が入ると、甲状腺がんになりやすくなるんだけど、福島では原発事故があったから、それでぼくたちに甲状腺検査をやってるんだね」と。
  さらに、「福島では、原発事故後の放射線被ばくは高くなかったから、チェルノブイリ原発事故のときのように甲状腺がんは増えないと思うよ」と説明しますね。
  すると、子どもたちは素晴らしいので、本当に素晴らしいので、「そうか、甲状腺検査を受けることで、ぼくたちは、福島は大丈夫なんだよって世界に向けて証明できるんだね」と言うんです。
  そういう反応が、福島の子どもたちからは、出てきてしまうんですよ。
 
 出前授業は、月に何回もあります。
 それと並行して甲状腺検査を実施します。
 検査では、一定の確率で甲状腺がんという判定が出てきます。
 子どもたちは、出前授業で「大丈夫ですよ」って聞いて、「福島が大丈夫だって証明するために検査を受けるんだね」って思って、それなのに、「あれ?大丈夫って聞いたのに、ぼくはがんだったんだ」あるいは自分自身ではなくても「甲状腺がんが見つかったということは福島は大丈夫ではなかったの?」という思いをするわけです。
 私は、自分が子どもたちをだましている、裏切っていると強く感じるようになりました。
 
 
 ――受診する当事者である子どもたちは、もしがんと診断されたときのことを十分に知らされていなかったのですね。
  子どもたち自身にも、検査で自分にがんが見つかる可能性があることや、甲状腺がんがどんな病気なのかということを、ちゃんと説明しなきゃいけない、と思いました。
 それで、出前授業の資料に甲状腺がんの説明スライドを入れました。
  甲状腺がんについて説明するのであれば、同時に、超音波で甲状腺検査をすると、甲状腺がんの過剰診断が起こるということも説明する必要があります。
  もし検査を受けて、甲状腺がんという診断が出たとしても、それは超音波検査を受けなければ一生見つからなかったものかもしれないんだということは、検査を受診する当事者に必ず伝えなければならない、大切な事実です。
 
  「過剰診断」という言葉を使ってはいけない
 
 ――子どもたちに、甲状腺がんや過剰診断などの説明をすることに、福島医大内部での反対の声はあったのでしょうか。
  出張説明会や出前授業の内容について、大学で提案しました。
 すると、「子どもたちに甲状腺がんの説明をしたい」というところまではなんとか許可を得られましたが、「過剰診断の説明をしたい」というあたりから、だんだん難色を示されるようになりました。
 それまでも、学外の専門家からは、「過剰診断になっている」というご指摘をいただいていました。
 そして、2017年4月の内分泌学会総会のシンポジウムで、私が「福島の甲状腺検査にはマイナスがあります」という内容で、大津留晶先生(当時福島県立医科大学教授・甲状腺検査をスタート時から担当)が「福島の甲状腺検査で過剰診断が起きている」という内容で、福島医大として発表をし、その場でも一定の理解を得られたように思われました。
  ところが、その後、外部の団体から、福島医大あてに封書や電話での批判が届くようになりました。
 その影響で、福島医大の業務にも支障が出るようになったのかもしれません。
  出前授業の資料の内容や、授業内容について、「甲状腺検査の説明をするときに、過剰診断という言葉を使ってはいけない」という指示が度々出るようになっていきました。
 
 ――過剰診断は、福島の甲状腺検査だけではなく、すべてのスクリーニング検査で起こるものですね。
 そうです。
 過剰診断というのは、なんらかの主義主張に基づく特殊な言葉ではなく、単純な医学用語です。
 しかし、福島医大の、検査に関わる上層部の方々は、「過剰診断」という言葉に非常にナーバスになっていきました。
 加えて、検査についての「強制的」とか「義務的」といった言葉にも敏感になっているようでした。
 たとえば、福島では、学校に通う子どもたちの甲状腺検査を学校で実施しているために、「受けなければいけない」「受けるのが当然」と、子どもや保護者の方々が思ってしまう問題が起きています。
 でも、それも指摘してはいけないと言われるようになりました。
  子どもたちは、「自分が受ける甲状腺検査にマイナスがあるんだ」ということを知らないことや、そのマイナスが具体的にどういうものなのかも知らないのに、その検査を受けるかどうかを決めなくちゃいけないんです。
 その状況そのものが、不誠実だと私は感じました。
 不誠実だし、受けるかどうかを決めるための説明も受けないままで、学校の授業時間に検査が行われているということについては、倫理的な問題があると考えています。
 
 大学の立場ではなく、住民の健康を
 
 福島医大は、甲状腺検査を県から受託して実施しています。
 その立場から考えれば、過剰診断が起きていることや、学校検査によって事実上の強制性が生まれていることは、内部から指摘されると困ることなのかもしれません。
 しかし、福島医大の立場を守るために、福島の住民が傷つくのを見過ごすことは、私にはできませんでした。
 どうしても伝えなければいけないことは、大学に許可された配布資料だけでは不十分でしたので、口頭で説明するなどの工夫をして、なんとか伝えようと努力をしてきました。
 配布資料そのものでも、過剰診断の問題点などがわかるようにしたかったのですが、福島医大の名前で出す冊子や説明会の資料などに、過剰診断の説明を入れることはできませんでした。
 
 ――だんだん大学からの規制が増え、最終的には論文を専門誌に投稿することも難しくなったと伺いました。
 
 県民健康調査の未発表のデータを使った論文を専門誌に投稿する際には、学内で審査を受ける必要があります。
 2017年に、学校検査には倫理的な問題があるということを指摘する論文について、この学内審査で「保留」とされました。
 甲状腺検査を受託する医大から出す論文として、「今は適切ではない」という意見が多くあがりました。
  通常の審査では、異なる意見があっても、一部修正するようにとの指摘がされるだけですが、この論文だけが、どういうわけか「保留」とされました。
 そこで、「保留」の期間について会議上で質問したのですが、答えを得られませんでしたので、「来週か再来週まで待って、また審査にかけていいということですか」と重ねて問いました。すると、「そういうことじゃない、しばらくだ」ということで、そのまま、2年が経過してしまいました。
  さすがに2年待ちましたので、一部を修正し、改めて会議に提出してみたんです。すると、今度は「不承認」という結果でした。
 その論文は、より客観性を保つため、海外の研究者にも共著者として入っていただいたのですが、論文の投稿自体ができないという結果をお伝えしなければなりませんでした。
 
 過剰診断をなくすことはできない
 
 ――緑川先生が甲状腺検査室を離れられたことを知り、「検査開始当初から受診者と最も近いところで働かれていた先生が」と、驚きました。
  私は、2018年4月に、甲状腺検査室から新設する健康コミュニケーション室に行きなさい、と言われました。
 新設される室は、甲状腺検査を最も理解している人が、甲状腺検査の説明をする部署であるということでしたので、本来甲状腺検査室の中に置くべきではないかと言いましたが、「そういうわけにはいかない」と言われました。
  つまりそれは、「甲状腺検査室を外れなさい」ということでした。
 さらに、当時の甲状腺検査室の責任者でいらっしゃった大津留先生も、検査の運営から外されました。
  健康コミュニケーション室に異動してもできることはないかと考え、一般検査会場で、甲状腺検査を受ける前に、住民に検査のメリットとデメリットを説明することにしました。
  事前説明の資料を作ったところ、新たな甲状腺検査室のメンバーにも共有するようにといわれ、会議に提出しました。
 結果的には、私たちが作った説明文に、大きく変更が加えられました。
 
  ――どのような変更が加えられたのでしょうか。
 
 まず、福島の甲状腺検査に、メリットはほぼありません。
 もしメリットがあったとしても、メリットを受けられる可能性は低いです。
 その一方で、デメリットは明確にあります。
 そしてそのデメリットを被る可能性は高いです。
 
 甲状腺検査そのもののメリット・デメリットのバランスがそうなっているので、資料内の説明文としても、当然デメリットの方を多く挙げる文面になります。
  この点について、「あなたの作った資料には、メリットよりもデメリットの方が多く挙げられていて、バランスが取れていない」と指摘されました。
  「事実として、メリットよりもデメリットが多い検査なので、その検査について説明すれば、メリットとデメリットの数が同じにはなりません」と言っても、「甲状腺検査のメリットを不当に少なく書いている」と聞き入れていただけませんでした。
 「住民の皆様の安心のために、甲状腺検査は非常に貢献しております」と書くように、というのです。
  2020年4月から住民の方々に送られている甲状腺検査のお知らせ文(https://www.pref.fukushima.lg.jp/uploaded/attachment/354627.pdf)にも、甲状腺検査にはデメリットと同じくらいのメリットがあるかのように書かれています。
 住民にとってメリットは少なく、一方のデメリットはたくさんある検査について説明する文章であるにもかかわらず、です。さらに、「治療の必要性が低い病変ができるだけ診断されないよう対策を講じています」という一文までもが添えられています。
 
 ――甲状腺検査のやり方によって、過剰診断をなくすことはできますか?
 
 できません。
 どんなに抑制しようとしても、甲状腺検査が無症状の方々を対象にする限り、過剰診断をなくすことはできません。
  そもそも、抑えようにも、スクリーニング検査で見つかった無症状の甲状腺がんのうち、どれが将来治療しなければならなくなるものなのか、どれが一生症状せずに終わるものなのかを、見分けることはできません。
 仮に工夫をして、将来治療すべきものだけを診断・治療できる時代になったとしても、そもそも子どもや若年者の無症状の甲状腺がんを診断すること(数十年の前倒し診断)そのものに、メリットがあるという根拠がありません。
 数十年先にはもっと良い治療があるかもしれないのですから。
  福島の甲状腺検査は、原子力災害の後、福島の住民の不安にこたえることを目的として始まりました。
 しかし、住民の不安にこたえる方法として、大規模な甲状腺検査をすることによって、かえって住民を過剰診断のリスクにさらしてしまっています。
 
 ――甲状腺検査開始時と現在とでは、検査をめぐる状況が変わりました。
 
 甲状腺検査を始めた後しばらくして、受診者にとってマイナスが多いということがわかりました。
 ですから、やり方は根本的に変えるべきでしょう。
 他県ではやっていない子どもの甲状腺がんスクリーニングなのですから、少なくとも事前説明では、新たな検査や薬の治験や臨床研究と同じように、この検査によるリスクについてきちんと受診者に説明するという形に変えなければなりません。
  今の事前説明の資料や甲状腺検査のお知らせ文では、甲状腺検査を受ける子どもたちや保護者に、甲状腺検査にメリットが実際よりも多くあり、デメリットが実際よりも少ないように誤解させてしまいます。
 
 ――福島医大の甲状腺検査担当者が、甲状腺検査のメリットを実際よりも多くあるかのように主張する理由を、どのようにお考えですか。
 
 福島県から委託を受けて、甲状腺検査を実施している福島医大に所属する医師が、甲状腺検査のマイナスを指摘するのは不自然であるという理由のようです。
 じつを言えば、住民の方からも同様の指摘をされたことがあります。
  私が、甲状腺検査には受診者にとってのマイナスがあるという説明をしたところ、「先生方は、いわばお店で甲状腺検査を売っているようなものなのですから、商品である甲状腺検査の良い点をアピールしなければいけないんじゃないですか。マイナスがあるなんて言われると、違和感があります」と言われました。
  確かに、悪いものならなぜあなたはそれを売っているんだという感覚は自然なものですよね。
  住民にも、そういう感覚を持つ方がいらっしゃるほどですから、甲状腺検査をいわば「お店で売っている」福島医大には、自分たちの売る「商品」は良いものなんだと信じたい方がいらっしゃるのかもしれません。
 科学的な事実やデータから言えることの解釈をまげてでも、甲状腺検査は良いものだし、自分たちがやっていること、やってきたことは良いことだと信じ続けていたいという強固な思いがあるように感じます。
  こういった動機に基づいて、住民への不利益を顧みず、自分たちの行いを正当化するためだけに懸命な努力を払う姿勢が見えるたび、強い違和感を覚えます。
 
 住民一人ひとりの不安を聞き取る
 
 福島の甲状腺検査は、「福島の住民が放射線被ばくによる子どもの甲状腺がんを心配して、検査を求めたために始まった」と説明されています。
 でも、一般の方々が、医療者のように、多くの選択肢の存在を知っているわけではありません。
  原発事故しばらくしてすでに予測されていましたし、最近の研究でもより確かになってきたことですが、子どもの甲状腺への被ばくは甲状腺がんのリスクを上げるようなレベルではありませんでした。
  このことを知れば、もう甲状腺検査はしなくてもいいかなと思う方はたくさんいらっしゃるでしょう。
 あるいは、検査をするにしても、高精度の超音波機器ではない方が良いかもしれません。
 2020年に、医学雑誌のLancetの内分泌・糖尿病に関する姉妹紙にも、小児がんでたくさんの医療被ばくをしたような人であっても、超音波ではなく、5年に1度の触診の方が良いという意見投稿が掲載されています。
 たとえば、年に1度病院に来て、触診して、お話をするようなフォローが適した方もいらっしゃるのではないでしょうか。
 
 一人ひとりの不安やその背景事情を聞き取って、それに応じて、そのとき最適と考えられる医療や情報を選んで提供をすることが見守りでしょうし、何がその人にとって今の最適な見守りの形なのかを判断するのこそが、医師の仕事だと思います。
 
 一般の住民が超音波検査を求めているようだから、全員に一律で超音波によるスクリーニングをしましょうというのは、少なくとも医師のとるべき選択ではないと思います。

 ” First, no harm” 

 ――原子力災害などの災害時に、現地の住民の健康を調査する必要があるとき、どのようなことを注意すべきでしょうか。
 
 災害時に、被災地の住民に対して何か介入するときに、まずはなによりも、「被災者に対する害がない」ということを大前提とするべきです。
 そして、もし途中で介入に害があることが判明したら、とにかくいったんストップ、やり方を見直す。
  こう言うと、大学の内部でも随分叱られてしまいましたが、私は、これが極端に偏った考え方とは思えないのです。
 ” First, no harm” は、医師としてごく基本的な姿勢だと思います。
 
 科学雑誌の「Nature」に、災害下のさまざまな調査の行動規範についての論文が掲載されました。
 私たちはこの論文に、甲状腺検査でも同じような考え方が必要だという意見投稿をし、これが紹介されました。
 
  ――福島の甲状腺検査は、今後どのような形に改善されることが望まれますか。
 
 まず、原子力災害後の甲状腺検査全般についていえば、2018年に公開された、IARC(がん国際研究機関)の提言②で「モニタリング」と表現されているやり方が本来あるべき姿だと思います。(http://www.env.go.jp/chemi/chemi/rhm/Report1_Japanese.pdf)
  もちろん、モニタリングプログラムでも、無症状の人に検査をすれば、過剰診断は避けられません。
 でも、100mSv~500mSv以上の放射線被ばくをされた方であれば、甲状腺がんのリスクが考えられますから、ご本人の希望があれば、無症状でも超音波検査をすることがあり得ると思います。
 あるいは被ばく線量が100mSv未満であっても、一人ひとりの事情がありますから、超音波検査を受けるための公的な窓口そのものを閉ざすべきだということではありません。
  放射線被ばくによって起きた甲状腺がんであっても、それ以外の原因の甲状腺がんと同じです。
 一生悪いことをしないかもしれませんし、もし症状が出ても、それから治療をして治る確率の高いがんであることに変わりはありません。
 それをよく理解した上で、それでも検査を受けたいという方だけが、個人単位で受ける検査だと思います。
 福島の甲状腺検査については、検査の対象者は、福島第一原発事故当時18歳以下だった全県民ではなく、放射線による健康影響を心配して、個人単位で申し込んでいらっしゃった方であるべきだと思います。
  現状、特に学校検査のある年齢の子どもたちにとっては、なんとなく受けたくなくても、「甲状腺検査を受けるのが当然である」という空気の中で、あえて「検査を受けない」という選択をしなければなりません。
 それは、子どもにとって大きなストレスになります。
 
 心配されている個人の方が申し込んできたときにも、必ず、甲状腺の専門家だけではなく、放射線などの複数の専門家がチームで対応するべきだと思います。
  線量評価やリスク評価、心理的な側面からの状況などもみて、十分なコミュニケーションをとって、その上で、もし甲状腺検査を受けるのであれば、そのデメリットも十分に説明して、それから同意をとるべきです。
  こういった手間を、一人ひとり全員にかけられるわけがないともいわれるのですが、それは現状のように、原発事故当時18歳以下だった全県民を対象に考えているからだと思います。
 自分で申し込んできた方だけを対象にした場合、現状の18歳以上の方の受診率と同じくらいになると考えてみれば、今の1/10、2年間で約2万人です。
 それならば、体制によっては不可能ではないと思います。
 
 不安な人こそを苦しめる
 
 ――福島の甲状腺検査では、甲状腺検査のお知らせが対象者に通知されます。たとえば、自治体などからお知らせが通知される予防接種は「積極的勧奨」とされていますので、現在の甲状腺検査はIARCが非推奨とした「積極的な対象者の募集」に当たりますか。
  そうです。
 甲状腺検査の通知を送付した段階で、それはIARCが「推奨しない」とした積極的な募集を伴う検査です。
  甲状腺がんについての相談窓口を設置してホームページに載せるのは良いですが、そこに申し込むかどうかは住民に委ねるべきです。
  そして、放射線被ばくによる甲状腺がんが不安で、申し込んできた方がいても、「心配ならば検査しましょう」と安易に検査を薦めるべきではありません。
  人が不安を感じるときは、必ず理由があります。
 申し込んできた方一人ひとりのお話をうかがってみなければ、不安の理由はわかりません。
  対話を重ねて、放射線被ばくではないところに不安の源があることがわかったら、その不安の源に手当てをしなければいけません。
  もし本当に放射線による健康影響が心配なのだということがわかれば、甲状腺の被ばく線量を推計してみましょうということになります。
 重要なのは、このときも、「甲状腺に超音波をあてて調べましょう」とはならないということです。
 
 ――一人ひとり異なる不安には、一人ひとり異なるケアが必要になるのですね。
  そうです。
 剰え、多様な住民の不安に対して、全員一律に甲状腺検査をしてしまおうなんて、あってはいけない対応だと思います。
  もし放射線によって甲状腺がんになるのではないかと不安に思う方が、甲状腺検査を受けて、放射線とは関係なくがんが見つかったらどうなるでしょうか?
  福島第一原発事故では、甲状腺がんを引き起こすような放射線被ばくは起きていません。
 でも、甲状腺がんは、放射線とは関係なく、一定の割合で見つかるんです。
  もともと放射線被ばくを不安に思っている方が、がんだと診断されれば、容易に放射線被ばくと発がんを自分の中で関連づけてしまいます。
  「不安だから検査を受けて安心したい」という方はたくさんいらっしゃいます。
 検査を実施する福島医大の甲状腺検査担当の先生も「この甲状腺検査はたくさんの方々に安心を与えています」と言っています。
 だから不安な人は甲状腺検査を受けて安心しましょう、ということで、甲状腺検査を9年間続けてきました。
  検査をして、異常が見つからないうちはいいかもしれません。
 でも、検査を定期的に受け続ければ、一定確率でがんの診断が出ます。
 甲状腺がんは、別の原因で亡くなった方のご遺体の多くに見つかる、つまり多くの方が知らずに持っているようながんなのですから。
 
 不安が強いからと甲状腺検査を受けた方は、そのとき、非常に苦しみます。
 不安が強い人ほど苦しみます。
 だからこそ、安心のために甲状腺検査をしてはいけないんです。
 
 医師と患者が、共に解きほぐす
 
 ――不安を抱えた方に、どのように向き合っていらっしゃいますか。
 
 大きな不安を抱えて、何件も医療機関を受診して、それでも解決しないという方が、私のところにいらっしゃることがあります。
  私は、まずその方に、「こんがらがっちゃっているよね」と言うんです。
 こんがらがっちゃっているんです。
 その、こんがらがっちゃったものを、これから一緒に解きほぐしてみましょう。
 そうやって、対話を始めます。
 
 こんがらがっちゃったものは、医師が患者さんから取り上げて、解いてしまうのではないんです。
 一緒に、「ここの結び目は、どうしてこうなっちゃったんだろうね」と考えながら、じっくり解きほぐしていきます。
 絡まったポイントを、医師と患者さんが一緒に見つけてほどいていかない限り、問題は解決しないんじゃないかな、と思っています。
 
 線量測定との決定的な違い
 
 重ねて言いますが、不安には、必ず理由があります。
 その不安も、単純に原発事故だけを原因にするものではないことがあります。
 その理由に引き比べて、過剰診断の害がどれだけのマイナスだと受け止めるのか。
 それは一人ひとり違った自分のものさしではかるしかありません。
 
 たとえば、ある方は、放射線がとても危険で、がんなどさまざまな障害を引き起こすんだという言説に影響された原因を、ご自身で分析されて、「震災と原発事故のあった年に、死産を経験したからだと思います」と仰いました。
  あるいは、もともとの持病が症状を出したことと放射線とを結びつけて不安になってしまう方もいらっしゃいます。
  住民が、自分自身のものさしで測って、自分自身で判断できるようになるサポートを続けることこそが、本来の見守りだと思います。
 
 ――福島第一原発事故の後、外部被ばくや内部被ばくを測定して対話をする取り組みがなされてきました。それらの取り組みと甲状腺検査との違いはなんでしょうか。
 
 甲状腺検査が、放射線の線量測定と大きく異なるのは、病気を診断してしまうという点です。
  空間線量測定は、環境中の放射線量を測定しています。
 ホールボディカウンターでは、体内の放射線量を測定しています。
 これらはあくまで環境のリスク因子の一つを検査しているだけで、ほとんどは精査が必要というものではありません。
 ごくまれに少し高い人がいてもそれそのものがなにかの病気だというわけではなく、そしてなんらかの対策がとれるものです。
  これらの線量測定と違い、甲状腺検査は、放射線とはまったく無関係に、個人の病気を診断して、その人のその後の人生に大きな影響を与えてしまう検査なんです。
 だからこそ、つねに、診断することの利益が不利益を上回っているのか、今のやり方が正しいのかどうかを確認し、見直していく態度が必要なんじゃないかと思っています。
 原発事故の後、甲状腺検査が始まったことは仕方がなかったと思います。
  でも、検査1巡目で116人の悪性または悪性疑いの人が見つかり、2巡目では71人が診断されました。
 そして韓国で甲状腺がんの過剰診断問題が明るみに出て、2014年にはトップジャーナルの「New England Journal of Medicine」に論文も掲載され、その後甲状腺がんの過剰診断に関する論文も増えました。
 2016年か2017年のあたりには、福島の甲状腺検査はいったん立ち止まって、現状のやり方を見直して、変えていかなくてはならなかったのではないでしょうか。
  しかし、やり方を途中から変えるのは研究上好ましくないという意見がしだいに大学の中でも主流となり、変えるべきと言うととても責められるようになりました。
 コホート研究なんだから、途中から検査の形を変えたら、これまでの検査が無駄になるでしょう、ということのようです。
  私が甲状腺検査に加わるように言われたときには、「住民の健康を見守るため」の検査だったはずなのに、そう住民にも説明して始めたはずの検査なのに、いつのまにか、これは研究になってしまっていたようです。
 
  被災者がさらに背負わされる理不尽
 
 甲状腺検査を住民の役に立つような方法に変えていくことが立場上できなくなり、論文などで甲状腺検査について発信することも許されなくなって、もう福島医大を辞めるしかないというところまできてしまいました。
  福島医大を辞めるとすれば、私はもともと臨床医ですから、通常の診療に完全に戻るというのは一つの選択肢になりえます。
  もしそうなれば、私は内分泌内科医ですから、甲状腺検査で甲状腺に異常を指摘された子の診察も当然することになるでしょう。
 テレビをつければ、県民健康調査検討委員会で甲状腺がんが●人増えましたと報道しているのを見るでしょう。
 私は検査の理不尽に気づいているのに、黙って口を閉ざして、ただ目の前の診療だけをするわけです。
 それは、私には、とても耐えられないと思いました。
 この数年間、自分の仕事の9割近くを、福島の甲状腺検査で子どもたちが傷つくことを減らす方向にできないか、ずっと模索し続けてきました。
  でも私たちは、結局それを実現できなかった。
 実現できなかったから、福島の子どもたちは、今も不利益を受け続けているんです。
 甲状腺検査の害が気づかれずに見過ごされて、このまま検査が続いてゆけば、福島の住民はずっと傷つき続けるんです。
  福島の住民は、原発事故を経験しました。
 それだけだって、十分すぎるほど理不尽な経験でしょう。
 それなのに、甲状腺検査でまた理不尽を背負い込まされるのです。
  そんな状況を傍目に、自分は目の前の患者さんだけを診て、病気が治れば一緒によかったねって。自分も満足して幸せです、って。そんなことは許されないでしょう。
 私はこの手で、3万人近くの子どもたちの甲状腺に超音波を当てたんですから。
  甲状腺検査について住民の方に本当のことを知ってもらいたいです。
 甲状腺検査によって困った状況になっている方、検査を受けるかどうか迷っている方、放射線や甲状腺がんについてご心配されている方に少しでも手が届けばいいな、と思っています。
 それで、POFFの活動をはじめました。
 
 福島の甲状腺検査のようなことが繰り返されないように
 
 ――福島第一原発事故の後、福島に必要だったものはなんでしょうか。
  大津留先生に、「被ばく医療」という特別な学問体系が、それだけで独立して存在するわけではないと教わりました。
 被ばく医療は、普段の診療の延長線上にあるんです、と。私自身も原発事故後の経験を通して、そのとおりだと改めて思います。
 原子力災害下では、医療者の生き方そのものが問われます。
 「私は放射線の専門家じゃないから、被ばく医療はできません」と言って、福島から離れてしまった方も少なくありません。
 一方で、県外からたくさんの先生方がいらっしゃって、福島の住民のために努力してくださいました。
 その中でも、一番重要なのは「普通のお医者さん」だったなと思います。
 普通の、内科や外科や耳鼻科などの、普段の医療で放射線を少しは使うし、医学の常識としての知識はあるけれど、放射線を専門にしているわけではないお医者さんたちです。 
 原子力災害があったからと特別なことをするのではないんです。
 ごく普通のまちの診療所や病院が、普段の診療の中で、放射線による健康影響についての不安とどうつきあえばいいのかということを、不安をあおる情報に惑わされずに、地元の患者さんたちとじっくり向き合っていくことがとても大切だと思います。
 そういう姿勢がないと、不安なら集めて検査をして解決してもらいましょう、という方向へ安易に流れてしまいます。
 今回の不安ってそうじゃないよね、検査して病気じゃなければ解決するような単純な話じゃないよね、って、患者さん一人ひとりの不安と向き合っていれば、わかるはずなんです。
 福島第一原発事故の直後は、初めて放射線の健康影響への不安に直面しましたから、難しかったかもしれません。
  でも、今後原子力災害が起きてしまったときには、私たちは、「あなたが、内科医として、外科医として、普段の診療の中で、患者さんの不安にちゃんと向き合えば、それで解決することがほとんどなんですよ」って言えます。
 
 せめてもう二度と、福島の甲状腺検査のようなことが、世界のどの国や地域でも繰り返されないことを願います。
                                 転載終わり。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人はパンのみにて生くものにあらず。されどまたパンなくして人は生くものにあらず。

2020年07月09日 19時10分30秒 | その他の日記
 以下の文は、河北新報の『コロナ禍で求人悪化 氷河期世代の正規雇用難しく』と題した記事の転載であります。


『コロナ禍で求人悪化 氷河期世代の正規雇用難しく』
河北新報

 新型コロナウイルスの影響で雇用情勢が悪化し、正社員の求人数が急減している。
 今後、さらに厳しさが増すと予想され、正規雇用を望む人たちのハードルは上がる一方だ。
 就職氷河期世代の30、40代の非正規労働者からは「心が折れそう」と悲鳴が上がっている。

 「自助努力はもう限界に近い」。
 正社員を目指して求職活動を続ける宮城県白石市の男性(36)は、コロナ禍で夢が吹き消されたような感覚に陥っている。

 派遣の仕事を続けてきた。
 30代半ばを迎え、安定した生活を求めて正社員になろうと決意した。
 過去3年間は非常勤職員として、春は税務署で確定申告、夏は労働局で雇用保険の窓口業務に従事。
 残った時間を就職活動に充ててきた。

 これまで100社以上に履歴書を送ったが、大半は書類選考で落とされた。
 面接に進めた場合でも職歴の多さを指摘され「長く勤められるのか」と必ず聞かれる。

 男性は同県内の高校を卒業後、東京の私立大学に進学したが、体調を崩して退学。
 実家で農業を手伝いながら5年近く過ごした。
 今は健康を取り戻したが「一度挫折した人間は、正社員にはなれないのか」と絶望的な気持ちに襲われる。

 就職活動のために仕事量を抑えた影響で、雇用保険の加入期間が1カ月足りず失業手当はもらえない。
 社会保障の安全網から漏れ、「派遣の仕事を続けるべきだった」との後悔が時折頭をよぎる。

 苦境に追い打ちをかけたのが新型コロナの感染拡大だ。
 宮城労働局によると、3月以降、求人数は急速に減った。
 特に正社員は厳しく、5月の新規求人数は6845人と前年同期比20.9ポイント減。
 新型コロナの影響が本格的に表れるのは「これから」(宮城労働局)という。

 男性はぽつりとつぶやく。
 「目標は正社員になって年収300万円を稼ぐこと。ぜいたくな夢なんですかね…」

 貧困問題に詳しい関西国際大の道中隆教授(社会保障)は「企業が生き残りを優先して非正規雇用を導入した結果、労働者にしわ寄せが来ている」と指摘。
 「個人の自助努力では解決できない。トライアル雇用で未経験者を採用するなど、社会全体で取り組む必要がある」と強調する。

 雨宮処凛さんに聞く
 コロナ禍の影響で30、40代の非正規雇用の人たちが困窮している。
 貧困問題に取り組む作家の雨宮処凛さんに、就職氷河期世代が直面している課題を聞いた。
 (聞き手は報道部・宮崎伸一)

 生活困窮者を支援するネットワーク「新型コロナ災害緊急アクション」を3月に立ち上げた。
 ロストジェネレーションと呼ばれる就職氷河期世代の30、40代からの相談が非常に多い。
 20代からの相談も相次ぎ、若い世代が苦しんでいる現実に驚いている。

 相談者の大半は非正規雇用。
 寮やアパートを追い出され、所持金が1000円以下、中にはゼロの人もいる。
 一番先に困窮するのは、いつも非正規の人たちということが如実に表れている。

 とにかく仕事をしようと非正規で励んだつもりが、職歴だけが増えて次の就職活動が不利になるケースもある。
 頑張りがマイナスになる矛盾した構図だ。

 ロスジェネ世代は卒業時期と不景気が重なり、求人状況が非常に厳しかった。
 望んで非正規を選んだわけではなく、正規雇用で働けなかったのは本人の責任ではない。
 そうした背景を、経営者を含めて社会全体で理解すべきだ。

 失敗したらやり直しが利かない社会は、若者から活力や挑戦する意欲を奪う。
 正規雇用の立場を維持するために、劣悪な労働条件で働かざるを得ない人たちも出てくる。
 そうした社会が健全かどうか、経営者たちは考えてほしい。

 個人で取り組めることは少ないが、同じ境遇の人たちが共に声を上げ、社会に苦境を訴えて政策に反映させることはできる。                                           
                             転載終わり。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

信用は鏡の硝子のようなものである。ひびが入ったら元通りにはならない。

2020年07月08日 15時20分08秒 | その他の日記
 以下の文は、中央日報日本語版の『韓国企業、過去に中国に米国製「レーダー部品」販売…最近公開された理由は?』と題した記事の転載であります。



『韓国企業、過去に中国に米国製「レーダー部品」販売…最近公開された理由は?』中央日報/中央日報日本語版 2020.07.08 08:02



 京畿道城南市(キョンギド・ソンナムシ)に本社がある通信・ネットワーク会社A社は2013年5月、米国で生産された電力・電波増幅器を購入した。
 中国に輸出するための流通業務だった。

 問題は米国がこの増幅器を戦略物資に指定し、中国など特定国に輸出されるのを統制している点だ。
 対空ミサイル(Antiaircraft Missile)レーダーなどの部品として使用される可能性があるからだ。

 しかしA社はこの増幅器の最終使用場所を韓国または香港として虚偽書類を作成し、通関当局に提出した。
 韓国のある公共機関が使用することになったという内容の書類も添付したが、虚偽であることが調査で分かった。

 米検察はA社が翌年までこうした手法でおよそ20回にわたり計81万ドル(約8730万円)分の統制物資を搬出したと見なした。
 そしてA社と同社のB代表を武器輸出統制法(Arms Export Control Act)違反容疑などで米裁判所に起訴した。

 こうした内容の起訴状を米司法省がワシントン連邦地裁の承認を受けて最近公開したことが8日、確認された。
 非公開文書に指定されてから3年後だ。

 この起訴状が公開され、韓米2国間貿易関連法律諮問市場で話題になっている。
 ワシントンに事務所を置くローファームのコブレ&キム(Kobre&Kim)のパク・サンユン弁護士は中央日報との電話で「米国で起訴状が公開されるのは異例ではない」としながらも「ただ、公開の時点とその事由に注目する雰囲気がある」と伝えた。

 パク弁護士は「実際、米現地では中国・イラン地域への関連物資搬出事件の捜査・裁判が多数進行中であり、一部の事件で弁護人として活動している」と話した。
 国内ローファームのC弁護士も「米中貿易紛争の中で、中国に物品を搬出する企業に対する集中調査が始まる信号という見方がある」と伝えた。
 米国が韓国企業に対する戦略物資搬出取り締まりを強化する過程で、A社の事件に対する後続処理協力を韓国政府に要請し、その結果を受けた米司法省が起訴状を公開する可能性があるという分析だ。

 実際、米司法省は起訴状公開申請書に「該当事件に対する調査内容は韓国で刑事事件手続きが進行される過程を通じて公論化された」と書いている。
 こうした公開事由は異例というのがパク弁護士の説明だ。
 この事件に関する韓国法務部・検察の公式発表はなかった。
 A社側は「米国から関連の連絡を受けたことはない」という立場だ。

 パク弁護士は「米司法省の立場では、A社代表など関係者の身柄を確保できず、韓国側に関連情報を移管した後、後続状況に関する通報を受けたことを公開申請の事由に書いた可能性がある」とし「疑問はA社の事件1件だけのための協調なのかということ」と話した。

 これを受け、こうした米当局の集中調査が中国と活発に事業をする国内企業の活動に支障を与えるのではという懸念も出ている。
 C弁護士は「実際、最近の米中対立政局で米国政府の標的調査を受けたと訴える依頼人がいる」とし「米国を舞台とする韓国の貿易関係者に警戒心が生じている状況」と伝えた。

 法律市場のこうした解釈と似た意見が学界からも出ている。
 チョン・インギョ仁荷大学国際通商学科教授は「韓国が中国と密接な関係を持つという見方が米国社会に存在するため、米中対立状況で韓国企業に対する米当局の取り締まりの強度が強まるという解釈が可能だ」と述べた。
 続いて「取り締まり事例が米当局内部で公論化されれば、通関手続きが強化されて追加の摘発件数が増え、監視がさらに強まるという悪循環を警戒する必要がある」と話した。
                             転載終わり。


 つまり、韓国政府は戦略物資の管理がまるでできていないということになります。
 戦略物資の管理が出来ない国に野放図に物資を輸出すると軍拡競争を促進させることになります。
 そして、核兵器を作る際に必要となる物資を戦略物資が管理できない国に輸出すると、世界中に核兵器が拡散してしまう恐れがあります。
 このような国に対しては、輸出管理の強化をしておく必要があります。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「何故共産主義には独裁が出て来てしまうんでしょう? 酷い矛盾ですよね」「共産主義が無謀な理論だからですよ。無謀な理論を理性で説得するのは無理で力と恐怖で押さえるしかない。だから独裁しかありえない」

2020年07月07日 22時14分27秒 | その他の日記
 共産主義は、社会を構成する人達が生産した富を社会で構成する人達全員で平等に分配することで平等な社会を作ろうとします。
 しかし、生産された冨の内で数値化できないものや数値化することが難しいものには対応することが出来ないので平等に分配することは不可能となります。

 長い間に多くの人の目に晒されて評価されて評価が決まっていくもの。
 研鑽の末に可能となる技術を使って作られたもの。
 芸術やサービス業や音楽や思想や宗教や文化に関わること。
 それらの数値化することが難しい富に対しては共産主義では平等に分配することは不可能となります。

 しかし、共産主義体制では数値化することが難しい富も平等に分配せねばなりません。
 なので、数値化することが難しい富は共産党が勝手に評価して分配していきます。
 そうなれば、当然、人々の間で不満が出てきます。
 数値化されにくい冨は各々の人が評価するしかなく、その評価は多くの人の評価が集積したもので決定するしかないからです。勝手に共産党が評価を下したならば多くの人に不満が生じます。
 不満が出るのであれば、公平に平等に分配したことにはなりません。
 それでは共産主義に反することとなってしまいます。
 共産党が共産主義に反することをしてしまう。ということになります。


 この命題に共産主義の人達は今のところ何も回答を出せていません。




 共産主義は多くの矛盾を抱えた主義で、上に上げた例は一例に過ぎません。
 理論的に無理が生じる考え方で、矛盾を解消する為の理論の再構築はいまだ成されていません。
 宗教の一つと考えるならば成立しますが、経済理論や社会体制の理論として考えるならば無理があります。





 人が生み出す富には数値化できないものや数値化しにくいものがあります。
 それらが数多く豊かに存在している社会こそ豊かな社会です。
 ある人にとっては全く役に立たないものが数多く存在することが出来る。多くの選択が可能な社会。そのような社会こそが豊かな社会だと私は思うのです。

 ある集団が決めた価値観しか存在することが出来ない共産主義国家のような社会はまっぴらごめんだし、そのような社会では私のような人間は生きていけないだろうな、と思うのであります。



コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人は運によって上昇しても能力が無かったらその地位に留まれない。チャンスを掴む以前の下っ端の時に上の地位に相応しい実力を普段から蓄えておく。それが大事かと思います。

2020年07月03日 22時18分12秒 | その他の日記
 政府が半導体材料の韓国向け輸出管理を強化したことに対して、立憲民主党の福山哲郎幹事長は「(いわゆる徴用工問題など)政治的問題に通商的な対抗措置を取ったと国際社会から見られるのは国益上マイナスだ」と述べ、日本共産党の小池晃書記局長は「政治的紛争の解決に貿易問題を使うのは禁じ手だ」と政府を批判し、社民党の吉川元幹事長は「ナショナリズムを煽ることはやめるべきだ」と述べました。

 つまり、立憲民主党や日本共産党や社会民主党は、核兵器の開発や毒ガス兵器の材料となる物資の管理が杜撰な国にノーチェックで輸出することに賛成というわけなのですね。
 核兵器の開発や毒ガス兵器の材料となる物資が何処に消えたか分からない国にノーチェックで輸出することに賛成というわけなのですね。
 立憲民主党や日本共産党や社会民主党は、何処かの国或いは勢力が核兵器や大量破壊兵器や毒ガス兵器を大量生産しても構わない、というわけなのですね。
 立憲民主党や日本共産党や社会民主党は、国際社会が何を懸念していて何を危惧しているのか全く理解していない、と考えてもよいというわけなのですね。

 半導体材料の韓国向け輸出管理を強化したことは、いわゆる朝鮮半島出身の労働者の問題で韓国に対するカウンターではありません。
 まだ、いわゆる朝鮮半島出身の労働者の問題で韓国に対するカウンターは日本は発動させていないのです。
 そして半導体材料の韓国向け輸出管理を強化したことは輸出管理の強化であって禁輸ではありません。
 核兵器の開発や毒ガス兵器の材料となる物資の管理が杜撰な国に対して今迄は優遇していた輸出管理を優遇を無くして普通の対応に切り替えているだけです。

 そのことが理解できない立憲民主党や日本共産党や社会民主党に国の管理が出来るとは思えません。
 立憲民主党や日本共産党や社会民主党が政権を取れば、核兵器の開発や毒ガス兵器の材料となる物資を日本が世界中に野放図に輸出することになりかねません。理解していないのですから。
 立憲民主党や日本共産党や社会民主党が政権を取れば、立憲民主党や日本共産党や社会民主党の所為で世界中に核兵器や毒ガス兵器や大量破壊兵器が拡散されて核兵器や毒ガス兵器や大量破壊兵器が大量に作られることになるかもしれません。

 戦略物資の取り扱いについて韓国は日本との協議を拒否し続けてきました。
 そして韓国国内で消費されるはずの物資の内で約30%が何故か韓国国内で消費されずに何処かに消えている。この時点で管理が出来ていないと見做さざるを得ないのです。
 このことについて韓国政府に説明を求めても、韓国政府は協議を拒否し続けました。
 こうなると危険な物資を輸出する責任上、日本は韓国向けの輸出管理を強化せざるを得ません。
 それをしないならば、日本は世界中に核兵器や毒ガス兵器や大量破壊兵器を拡散させた主犯となってしまいます。
 この問題は、国際連合安全保障理事会でも問題となっているのです。

 そのことを理解していない立憲民主党や日本共産党や社会民主党に国の管理が出来るとは思えません。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする