狐の日記帳

倉敷美観地区内の陶芸店の店員が店内の生け花の写真をUpしたりしなかったりするブログ

政治は可能性に賭ける芸術ではない。悲惨なことと不快なこと、どちらを選ぶかの苦汁の選択だ。

2020年04月10日 20時57分19秒 | その他の日記
 シミュレーションはシミュレーションでしかないんだけれどもなぁ。
 何かを説明する時に使うけれども、或いは思考実験の時には使うけれども、未来予測では使えない。
 パラメータを変えればどんな結果でも出せる。
 入力する数値を少し変えればシミュレーションで出てくる数字は変わってくる。
 それに予期せぬパラメータが必ず存在するのだけれども、そんな要素を組み込んでシミュレーションを行うことは不可能。
 なので未来予測には使えない。
 実数からの推定値とはまた話が違う。
 実数からの推定値と思考実験での未来予測は全く話が別。
 これは経済学を学べば初歩の段階で嫌というほど思い知らされるのです。

 残念ながらお亡くなりになった人の数や現在重篤になった人の数から推定される感染者の数は3月17日からほとんど変わらない。
 その意味では爆発的な感染拡大というわけではない……。
 そして無症状の感染者の割合が増えてきている……。
 これは集団免疫に関して有利に働いていることを示しているのではないか……。
 今は無症状の感染者の発見の段階に入っていて……、しかし、その態勢をきちんと整える為に医療体制の立て直しと組み換えを行う為の時間稼ぎの状態なのではないか……。
 プランA一辺倒ではなく、多数のプランを同時並行して実行している状態で、その為の物量を整えている段階なのではないか? 



 さてさて、経済対策についても騒がしくなってきましたが、これはよいことですよ? 
 ある方法論を取ればある人から不満が出る。別の方法を取れば別の人から不満が出る。
 これは当たり前のことです。
 不満が出るということは日本が独裁国家ではないということです。強権国家ではないということです。
 自由に議論が出来るということです。
 世に出ている論でかなりおかしな論もありますがデマもあるのですが、全部並べて話が出来るのです。
 日本が強権国家ではないという証です。


 今、「○○をしろ!」と声高に叫んでいる人は有事の際に独裁主義に走る可能性のある人です。
 現実や段取りを無視して単なるプランの一つに過ぎないことを話し合うことも検討することもなく「実行しろ!」と述べることは、自分のプランこそ至高のものであって他者の考えは考慮しない、という独善的な思想に走りやすい人であるということです。
 このような人は本物の有事の際に強権的な手法を主張する可能性があります。
 このような要注意人物達が自由に発言できる、という意味でも日本は強権国家ではないという証です。
 そしてこのような要注意人物達が鮮明に可視化されているということは、注意すべき人物がはっきりしたということでもあります。

 

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