狐の日記帳

倉敷美観地区内の陶芸店の店員が店内の生け花の写真をUpしたりしなかったりするブログ

天使にも似た悪魔ほど人を迷わすものはない。

2020年06月16日 22時33分13秒 | その他の日記
 以下の文は、朝日新聞の社説『東京五輪の年に 旗を振る、って何だろう』の転載であります。

 『あなたはこれまで旗を振ったことがあるだろうか。
  運動会の応援やスポーツ観戦、あるいはイベントやデモに参加したとき……。
  いったい旗とは何か。
  米国では、星条旗をこう表現するそうだ。「あなたの信じるすべてのものになりうるだろう」
  今年は東京五輪が開かれる年である。
  多くの人が多くの旗を掲げる機会がありそうだ。
  メダルを胸に旗を誇らしげに見上げる人もいるに違いない。
  そんな年の始まりに、少しだけ考えてみたい。
  そもそも人はなぜ、旗を手にするのか。
     *
  人類に代わって「猿」が支配する世界を描いたSF映画「続・猿の惑星」(1970年)には、2種類の旗が登場する。
  ゴリラの兵たちが行軍で掲げるピンクと黒の旗と、平和デモをするチンパンジーたちが手にしていた白い旗だ。
  ゴリラの将軍は叫ぶ。
  「我々軍人の聖なる義務は武力でかの地を占領し、我々の旗を掲げることだ」
  もちろん現実には「猿」や動物が旗を掲げるようなことはない。
  それは人間だけの特別な行為なのだから。
  人はいつから旗を使い始めたのか。
  諸説あるようだが、紀元前11世紀ごろの中国、周の時代が始まりとも言われる。
  最古とされる旗は白色で、やはり軍を動かす際に使われたらしい。
  起源がどうあれ、旗は集団のシンボルとされてきた。
  近年では、宗主国の権威の象徴として植民地支配に利用され、それに対抗する動きにも使われた。
  モザンビークの国旗には自動小銃カラシニコフが描かれている。
  独立闘争をたたえ、「あらゆる手段で国を守る」との決意の表れだという。
  集団の歴史が込められた旗は団結のパワーとなり、その掲揚が巨大な興奮を与えてきた。
     *
  一方で、見る人が代われば、それは激しい憎悪の対象にもなりうる。
  例えば2001年の米同時多発テロの直後、自由の象徴として米国各地にあふれた星条旗。
  その同じ旗が、米軍の攻撃で多くの市民が死傷したアフガニスタンなどでは暴力と理不尽さのシンボルとされた。
  特定の集団への憎しみが高まれば、旗は集団の代わりに辱められ、燃やされる。
  米国では1980年代、星条旗を焼いた男性が逮捕されたが、最高裁で無罪になった。
  判決は、この男性の行動も、憲法が定める「言論の自由」にあたるとした。
  「私は自由を大切に思う。旗を燃やす自由でさえ、その権利を誇りに思う」。いまは亡き米歌手のジョニー・キャッシュは、ヒット曲「みすぼらしい星条旗」を歌う際、そう観客に語りかけたそうだ。
  「日の丸」に対しても、複雑な感情を抱く人々がいる。
  戦後75年が過ぎても、そうした人々から見れば、日の丸を掲げる行為そのものが、侵略戦争の暗い記憶を呼び起こすものにほかならない。
  東京五輪で旭日(きょくじつ)旗を振るのを禁止すべきだ――。
  最近、韓国の人々からは、そんな声も伝えられる。
  旭日旗は旧日本陸海軍の旗であり、いまも海上自衛隊の自衛艦旗である。
  日本政府は「(旭日旗が)政治的主張だとか軍国主義の象徴だという指摘は全く当たらない」と反発している。
  そう簡単に言い切れるものだろうか。
  昨年のラグビーW杯の観客席でも一部で旭日旗が振られた。
  わざわざ国際競技の場に持ち込む人の目的は何だろう。
  快く思わない人たちがいることがわかっている旗を意図的に振る行為に、「政治的主張」はないといえるのだろうか。
  旗がまとう背景や、使う人の意図によって旗は色々な意味を映す。
  受け止める人次第で見え方が正反対になることもある。
     *
  ニューヨークの国連本部に行くと、ずらりと並んだ国旗の列に圧倒される。
  地球上には何と多くの国家があるのかということを旗の存在が教えてくれる。
  国だけではない。
  多様な枠組みでの組織や集団、もっと言えば、様々な主張や考え方も旗は代表している。
  例えばレインボーフラッグに込められた意味は、平和や愛、性的少数者の権利保護など。
  英諜報(ちょうほう)機関MI6は近年、この旗を本部に掲げた。
  あらゆる人材を歓迎するとのメッセージと受け止められたそうだ。
  五輪で旗を掲揚するのも、分断や対立をあおる目的ではないはずだ。
  東京五輪での行動計画には「共生社会の実現をめざす」とある。
  国別対抗が注目されがちな五輪だが、他者を認める機会としても意識したい。
  なぜ、旗を掲げるのか。
  五輪を前に一人ひとりが立ち止まり、自由に考えてみるのはどうだろう。
  歴史を学ぶ、他者を尊重する、平和の尊さを発信する。
  旗の数だけ、それぞれの思いがあっていい』
                               転載終わり。




 つまり、朝日新聞は気に入らないと誰かが言い出すとそれを廃止しろと述べているということになります。
 そして、朝日新聞は歴史無視し他者を愚弄して平和を破壊する行為を推奨しているということになります。
 朝日新聞社は、このような意見は朝日新聞社の社旗を廃止し朝日新聞社の社名を変更してから述べるべきです。
 朝日新聞は、戦前の日本を戦争に導いたのですから。

 旗は自分達が属するものを鮮明にする為に存在します。
 船舶が旗を掲げずに航行することは海賊船と見做されて即座に攻撃を受ける可能性があります。
 自分達が属するものを鮮明にするということは意味があるのです。

 旗を無くせば、不意打ちの攻撃が容易に可能になります。
 世界中から旗が無くなればテロリスト達は大喜びすることでしょう。

 旭日旗に関しては、韓国の言い分は成り立ちません。
 単なる嫌がらせでありいちゃもん付けでしかありません。
 日本に対する侮蔑行為であり差別行為でしかありません。
 韓国の言い分を呑むのならば韓国政府はベトナムの言い分を呑んで韓国の国旗を廃止しなければならなくなります。
 朝日新聞の述べていることは筋が通りません。
 そして朝日新聞が述べていることは日本に対する侮蔑行為であり差別行為でしかありません。
 個人がどのように考えようがそれは自由です。
 しかし、公の場で日本に対する侮蔑行為や差別行為を繰り返す朝日新聞社の行動は異様です。
 そして韓国の言い分のみを正しいとする朝日新聞の数々の報道の姿勢は、異様で異常です。
 国旗を誹謗することは国籍差別行為でしかありません。
 どのような経緯があろうとも国旗を誹謗するということは、その国旗の国家を誹謗し侮蔑するということであり、差別行為でしかありません。

 物事を多面的に見ることはなく都合の悪いことは隠蔽し事実を捻じ曲げ歴史を改竄し続ける朝日新聞社は、報道機関ではなく、ある思想に基づいたプロパガンダ集団だと見做さざるをえません。
 このような集団が戦前に日本を戦争に導き、その責任を一切取らず知らん顔をし続け、そして戦後も同じ手法で事実を捻じ曲げ歴史を改竄し自分達の思想を押し付けてきて人々を扇動し続けているのです。

 繰り返しますが、個人でどのような考えを持っていても構いません。
 マスメディアが事実を無視し歴史を改竄して侮蔑行為や差別行為を繰り返していることが異常で異様だ。と私は思っているのでございます。



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