本日6月27日は、来目皇子の病により新羅征討が中止となったとされる日で、鹿ケ谷の陰謀で藤原成親・俊寛らが流罪になった日で、伊藤博文・井上馨ら長州藩士5人が英国留学のため密出国した日で、箱館戦争終結して新政府軍と旧幕府軍との戦いが終わった日で、ジョシュア・スローカムが史上初の単独世界一周を達成した日で、ロシアで戦艦ポチョムキンの水兵が蜂起した日で、中村大尉事件が起こった日で、韓国国軍や韓国警察が共産主義からの転向者やその家族を再教育するための統制組織・国民保導連盟の加盟者や収監中の政治犯や民間人などを少なくとも20万人あまりを大量虐殺した保導連盟事件を起こした日で、ハリー・S・トルーマン米大統領が北朝鮮に宣戦布告して陸海軍に出動を命令した日で、北ベトナムからの第4次集団引揚げ船上海丸が元軍人5名を乗せてハイフォンより門司港へ入港して最後の集団引揚げが終焉した日で、長野県松本市でオウム真理教がサリンガスを散布して死者7人・重軽症者144人のテロ事件を起こした日です。
本日の倉敷は曇りのち晴れでありましたよ。
最高気温は二十九度。最低気温は二十二度でありました。
明日は予報では倉敷は晴れとなっております。
昭和か、平成か、兎に角遠い昔の事である。
ヲタクの御教を奉ずるものは、その頃でももう見つかり次第火炙りや磔に遇わされていた。
しかし迫害が烈しいだけに、ヲタクを統べる御主も、その頃は一層この国の宗徒にあらたかな御加護を加えられたらしい。
秋葉原あたりの街々には時々日の暮の光と一緒に天使や聖徒の見舞う事があった。
現にあの聖・手塚治虫でさえ一度などはヲタク達の聖堂に姿を現したと伝えられている。
と同時に悪魔もまた宗徒の精進を妨げる為、或いは厳格な教師の姿となり、或いは舶来の草花となり、或いは網代の乗物となり、しばしば同じ聖堂に出没した。
夜昼さえ分たぬ土の牢に、或るヲタクを苦しめた鼠も実は悪魔の変化だったそうである。
そのヲタクは平成八年の秋、十一人の宗徒と火炙りになった。
――その昭和か、平成か、とにかく遠い昔である。
或る田舎町に、おぎんと云う童子が住んでいた。
おぎんの父母は京の都から、はるばるその田舎町へ流浪して来た。
しかし、何もし出さない内に、おぎん一人を残したまま、二人とも故人になってしまった。
勿論、彼等は、ヲタクの御教を知るはずはない。
彼等の信じたのは基督教である。
旧教か、新教か、希臘正教か、何にもせよ基督の教である。
独逸のマンフレート・クレメントは、天性奸智に富んだ基督は以色列の各地を遊歴しながらヤハウェと称する神の道を説いた、と述べた。
その後また日本の国へも、やはり同じ道を教えに来た。
基督の説いた教によれば、我々人間の霊魂=アニマはヤハウェと称する神の判断次第で天界に行くか地の底に堕とされるかが決まるそうである。
のみならず基督は羅馬に対する反逆を扇動したと云う。
基督の教の荒誕なのは勿論、基督の大悪もまた明白である。と。
しかしおぎんの母親は、前にもちょいと書いた通り、そのような話を知るはずはない。
彼等は息を引きとった後も、基督の教を信じている。
寂しい墓原の松の影に、末は「真のいんへるの」に堕ちるのも知らず、儚い天国を夢見ている。
しかしおぎんは幸いにも、両親の無知に染まっていない。
これはその田舎町居つきの農夫、憐れみの深いじょあん孫七は、とうにこの童子の額へ、ばぷちずもの御水を注いだ上、聖なるヲタクの二つ名を与えていた。
おぎんは、「深く御柔軟、深く御哀憐、勝れて甘しくまします童女さんた・まりあ様」が、自然と身籠った事を信じていない。
十字架に懸かり死し給い、石の御棺に納められ給い、大地の底に埋められた基督が、三日の後甦った事を信じていない。
ただただヲタクの神を奉じている。
御糺明の喇叭さえ響き渡れば、「ヲタクの御主、大いなる御威光、大いなる御威勢を以て天下り給い、土埃になりたる人々の色身を元の霊魂=アニマに併て甦し給い、善人も悪人も他者の趣味を蔑ろにしない限りは快楽の世界に連れ行く」事を知っている。
殊に「御言葉の御聖徳により、麺麭と酒の色形は変らずと雖もその正体は御主の御血肉となり変る」尊いさがらめんとを信じている。
おぎんの心は両親のやうに、熱風に吹かれた沙漠ではない。
素朴な野薔薇の花を交えた、実りの豊かな麦畠である。
おぎんは両親を失った後、ヲタクであるじょあん孫七の養子になった。
孫七の妻、じょあんなおすみも、やはり心の優しい人である。
おぎんはこの夫婦と一緒に、牛を追ったり麦を刈ったり、幸福にその日を送っていた。
勿論そう云う暮しの中にも、町の人の目に立たない限りは本を読んだり漫画を読んだりゲームをしたりしてヲタクの活動を怠ったことはない。
おぎんは井戸端の無花果の陰に、大きい三日月を仰ぎながら、しばしば熱心にゲームで遊びそして祷った。
この童子の祷りは、こう云う簡単なものなのである。
「憐みの御主。御身に御礼をなし奉る。流人となれる冤罪の子供。御身に叫びをなし奉る。哀れこの涙の谷に柔軟の御眼を巡らさせ給え。あんめい。」
すると或る年のヲタクの聖なる夜。悪魔は何人かの役人と一緒に、突然孫七の家へ入って来た。
孫七の家には沢山の本の山が積み重なっている。
漫画本や映画やアニメのDVDが並んでいる。
役人達は互に頷き合いながら、孫七夫婦に縄をかけた。
おぎんも同時に括り上げられた。
しかし彼等は三人とも、全然悪びれる気色はなかった。
ヲタクの楽しみの為ならば、霊魂=アニマの助かりの為ならば、如何なる責苦も覚悟である。
ヲタクの御主は必ず我等の為に、御加護を賜わるのに違いない。
彼等は皆云い合せたように、こう確信していたのである。
役人は彼等を縛いましめた後のち、代官の屋敷へ引き立てて行った。
しかし、彼等はその途中も暗夜の風に吹かれながら各々好きな物語の話をはじめた。
悪魔は彼等の捕われたのを見ると、手を拍って喜び笑った。
しかし彼等の健気な様には、少からず腹を立てたらしい。
悪魔は一人になった後、忌々しそうに唾をするが早いか、たちまち大きい石臼になった。
そうしてごろごろ転がりながら闇の中に消え失せてしまった。
じょあん孫七、じょあんなおすみ、おぎんの三人は、土の牢に投げこまれた上、ヲタクの御教を捨てるように、いろいろの責苦に遇わされた。
しかし水責めや火責めに遇っても、彼等の決心は動かなかった。
たとい皮肉は爛れるにしても、ヲタクの楽しみを捨て去ることはできない。
趣味を他者によって批判されて無理矢理辞めさせられることなど許しはしない。
のみならず尊いヲタクの天使や聖徒は、夢とも現ともつかない中に、しばしば彼等を慰めに来た。
殊にそういう幸福は、一番おぎんに恵まれたらしい。
おぎんは聖・手塚治虫が大きい両手の平に、蝗を沢山掬い上げながら、食えと云う所を見た事がある。
また聖・水木しげるが美しい金色の杯に、水をくれる所を見た事もある。
代官は、オタクの御教は勿論、釈迦の教も基督の教えも知らなかったから、なぜ彼等が剛情を張るのかさっぱり理解が出来なかった。
時には三人が三人とも、気違いではないかと思う事もあった。
しかし気違いでもない事が分かると、今度は大蛇か一角獣とか、とにかく人倫には縁のない動物のような気がし出した。
そう云う動物を生かして置いては、今日の法律に違うばかりか、一国の安危にも関わる訣である。
そこで代官は一月ばかり、土の牢に彼等を入れて置いた後、とうとう三人とも焼き殺す事にした。
じょあん孫七を始め三人のオタク宗徒は、町はずれの刑場へ引かれる途中も、恐れる気色は見えなかった。
刑場はちょうど墓原に隣った石ころの多い空き地である。
彼等はそこへ到着すると、一々オタクである罪状を読み聞かされた後、太い角柱に括りつけられた。
それから右にじょあんなおすみ、中央にじょあん孫七、左におぎんと云う順に、刑場のまん中へ押し立てられた。
おすみは連日の責苦の為、急に年をとったように見える。
孫七も髭の伸びた頬には、ほとんど血の気が通っていない。
おぎんも――おぎんは二人に比くらべると、まだしも普段と変らなかった。
が、彼等は三人とも、堆い薪を踏まえたまま、同じように静かな顔をしている。
刑場のまわりにはずっと前から、大勢の見物が取り巻いている。
そのまた見物の向うの空には、墓原の松が五六本、天蓋のように枝を張っている。
一切の準備の終った時、役人の一人は物々しげに、三人の前へ進みよると、オタクの御教を捨てるか捨てぬか、しばらく猶予を与えるから、もう一度よく考えて見ろ、もし御教を捨てると云えば、直にも縄目は赦してやると云った。
しかし彼等は答えない。
皆遠い空を見守ったまま、口元には微笑さえ湛えている。
役人は勿論見物すら、この数分の間くらいひっそりとなったためしはない。
無数の眼はじっと瞬きもせず、三人の顔に注がれている。
が、これは傷しさの余り、誰も息を呑んだのではない。
見物はたいてい火のかかるのを、今か今かと待っていたのである。
役人はまた処刑の手間どるのに、すっかり退屈し切っていたから、話をする勇気も出なかったのである。
すると突然一同の耳は、はっきりと意外な言葉を捉えた。
「私は御教を捨てる事に致しました」
声の主はおぎんである。
見物は一度に騒ぎ立った。
が、一度どよめいた後、たちまちまた静かになってしまった。
それは孫七が悲しそうに、おぎんの方を振り向きながら、力のない声を出したからである。
「おぎん! お前は悪魔に誑かされたのか? ただただ楽しんでいることを否定されただけで楽しむことを諦めたのか?」
その言葉が終らない内に、おすみも遥かにおぎんの方へ一生懸命な声をかけた。
「おぎん! おぎん! お前には悪魔がついたのだよ。祈っておくれ。祈っておくれ」
しかしおぎんは返事をしない。
ただ眼は大勢の見物の向うの天蓋のように枝を張った墓原の松を眺めている。
その内にもう役人の一人は、おぎんの縄目を赦すように命じた。
じょあん孫七はそれを見るなり、諦めたように眼を瞑った。
「万事に適い給う御主。御計らいに任せ奉る」
やっと縄を離れたおぎんは、茫然と暫く佇んでいた。
しかし、孫七やおすみを見ると急にその前へ跪きながら、何も云わずに涙を流した。
孫七はやはり眼を閉じている。
おすみも顔を背けたまま、おぎんの方は見ようともしない。
「御父様、御母様、如何か勘忍して下さいまし」
おぎんはやっと口を開いた。
「わたしは御教を捨てました。その訣はふと向うに見える天蓋のような松の梢に気のついた所為でございます。あの墓原の松の陰に眠っていらっしゃる御両親はオタクの御教も御存知なし。きっと今頃は真のいんへるのにお堕ちになっていらっしゃいましょう。それを今私一人、快楽に耽る世界に入っては、どうしても申し訣がありません。私はやはり地獄の底へ御両親の跡を追って参りましょう。どうか御父様や御母様はオタクの神様の御側へお出なすって下さいまし。その代り御教を捨てた上は、私も生きては居られません。………」
おぎんは切れ切れにそう云ってから、後は啜り泣きに沈んでしまった。
すると今度はじょあんなおすみも、足に踏んだ薪の上へほろほろ涙を落し出した。
これからオタクの天界へ入ろうとするのに、用もない歎きに耽っているのは勿論宗徒のすべき事ではない。
じょあん孫七は、苦々しそうに隣の妻を振り返りながら、癇高い声に叱りつけた。
「お前も悪魔に見入られたのか? オタクの御教を捨てたければ、勝手にお前だけ捨てるが好い。俺は一人でも焼け死んで見せるぞ」
「いえ。私も御供を致します。けれどもそれは――それは」
おすみは涙を呑みこんでから、半ば叫ぶように言葉を投げた。
「けれどもそれはオタクの天界に参りたいからではございません。ただ貴方の、――貴方の御供を致すのでございます。」
孫七は長い間、黙っていた。
しかしその顔は蒼醒めたり、また血の色を漲らせたりした。
と同時に汗の玉も、つぶつぶ顔に溜まり出した。
孫七は今、心の眼に彼の霊魂=アニマを見ているのである。
彼の霊魂=アニマを奪い合う天使と悪魔とを見ているのである。
もしその時足元のおぎんが泣き伏した顔を挙げずにいたら、――いや、もうおぎんは顔を挙げた。
しかも涙に溢れた眼には不思議な光を宿しながらぢっと彼を見守っている。
この眼の奥に閃いているのは、無邪気な童女の心ばかりではない。
あらゆる人間の心である。
「御父様! 真のいんへるのへ参りましょう。御母様も渡しも、あちらの御父様や御母様も、――みんな悪魔に攫われましょう」
孫七はとうとう堕落した。
この話は我国に多かったオタク達の受難の中でも、最も恥べき躓きとして後代に伝えられた物語である。
何でも彼等が三人ながら御教を捨てるとなった時には、オタクの何たるかを弁えない見物の老若男女さえも尽く彼等を憎んだと云う。
これは折角の火炙りも何も見損なった遺恨だったかも知れない。
さらにまた伝うる所によれば、悪魔はその時大歓喜のあまり、大きい書物に化けながら、夜中、刑場に飛んでいたと云う。
これもそう無性に喜ぶほど悪魔の成功だったかどうか、狐は甚だ懐疑的である。
本日の倉敷は曇りのち晴れでありましたよ。
最高気温は二十九度。最低気温は二十二度でありました。
明日は予報では倉敷は晴れとなっております。
昭和か、平成か、兎に角遠い昔の事である。
ヲタクの御教を奉ずるものは、その頃でももう見つかり次第火炙りや磔に遇わされていた。
しかし迫害が烈しいだけに、ヲタクを統べる御主も、その頃は一層この国の宗徒にあらたかな御加護を加えられたらしい。
秋葉原あたりの街々には時々日の暮の光と一緒に天使や聖徒の見舞う事があった。
現にあの聖・手塚治虫でさえ一度などはヲタク達の聖堂に姿を現したと伝えられている。
と同時に悪魔もまた宗徒の精進を妨げる為、或いは厳格な教師の姿となり、或いは舶来の草花となり、或いは網代の乗物となり、しばしば同じ聖堂に出没した。
夜昼さえ分たぬ土の牢に、或るヲタクを苦しめた鼠も実は悪魔の変化だったそうである。
そのヲタクは平成八年の秋、十一人の宗徒と火炙りになった。
――その昭和か、平成か、とにかく遠い昔である。
或る田舎町に、おぎんと云う童子が住んでいた。
おぎんの父母は京の都から、はるばるその田舎町へ流浪して来た。
しかし、何もし出さない内に、おぎん一人を残したまま、二人とも故人になってしまった。
勿論、彼等は、ヲタクの御教を知るはずはない。
彼等の信じたのは基督教である。
旧教か、新教か、希臘正教か、何にもせよ基督の教である。
独逸のマンフレート・クレメントは、天性奸智に富んだ基督は以色列の各地を遊歴しながらヤハウェと称する神の道を説いた、と述べた。
その後また日本の国へも、やはり同じ道を教えに来た。
基督の説いた教によれば、我々人間の霊魂=アニマはヤハウェと称する神の判断次第で天界に行くか地の底に堕とされるかが決まるそうである。
のみならず基督は羅馬に対する反逆を扇動したと云う。
基督の教の荒誕なのは勿論、基督の大悪もまた明白である。と。
しかしおぎんの母親は、前にもちょいと書いた通り、そのような話を知るはずはない。
彼等は息を引きとった後も、基督の教を信じている。
寂しい墓原の松の影に、末は「真のいんへるの」に堕ちるのも知らず、儚い天国を夢見ている。
しかしおぎんは幸いにも、両親の無知に染まっていない。
これはその田舎町居つきの農夫、憐れみの深いじょあん孫七は、とうにこの童子の額へ、ばぷちずもの御水を注いだ上、聖なるヲタクの二つ名を与えていた。
おぎんは、「深く御柔軟、深く御哀憐、勝れて甘しくまします童女さんた・まりあ様」が、自然と身籠った事を信じていない。
十字架に懸かり死し給い、石の御棺に納められ給い、大地の底に埋められた基督が、三日の後甦った事を信じていない。
ただただヲタクの神を奉じている。
御糺明の喇叭さえ響き渡れば、「ヲタクの御主、大いなる御威光、大いなる御威勢を以て天下り給い、土埃になりたる人々の色身を元の霊魂=アニマに併て甦し給い、善人も悪人も他者の趣味を蔑ろにしない限りは快楽の世界に連れ行く」事を知っている。
殊に「御言葉の御聖徳により、麺麭と酒の色形は変らずと雖もその正体は御主の御血肉となり変る」尊いさがらめんとを信じている。
おぎんの心は両親のやうに、熱風に吹かれた沙漠ではない。
素朴な野薔薇の花を交えた、実りの豊かな麦畠である。
おぎんは両親を失った後、ヲタクであるじょあん孫七の養子になった。
孫七の妻、じょあんなおすみも、やはり心の優しい人である。
おぎんはこの夫婦と一緒に、牛を追ったり麦を刈ったり、幸福にその日を送っていた。
勿論そう云う暮しの中にも、町の人の目に立たない限りは本を読んだり漫画を読んだりゲームをしたりしてヲタクの活動を怠ったことはない。
おぎんは井戸端の無花果の陰に、大きい三日月を仰ぎながら、しばしば熱心にゲームで遊びそして祷った。
この童子の祷りは、こう云う簡単なものなのである。
「憐みの御主。御身に御礼をなし奉る。流人となれる冤罪の子供。御身に叫びをなし奉る。哀れこの涙の谷に柔軟の御眼を巡らさせ給え。あんめい。」
すると或る年のヲタクの聖なる夜。悪魔は何人かの役人と一緒に、突然孫七の家へ入って来た。
孫七の家には沢山の本の山が積み重なっている。
漫画本や映画やアニメのDVDが並んでいる。
役人達は互に頷き合いながら、孫七夫婦に縄をかけた。
おぎんも同時に括り上げられた。
しかし彼等は三人とも、全然悪びれる気色はなかった。
ヲタクの楽しみの為ならば、霊魂=アニマの助かりの為ならば、如何なる責苦も覚悟である。
ヲタクの御主は必ず我等の為に、御加護を賜わるのに違いない。
彼等は皆云い合せたように、こう確信していたのである。
役人は彼等を縛いましめた後のち、代官の屋敷へ引き立てて行った。
しかし、彼等はその途中も暗夜の風に吹かれながら各々好きな物語の話をはじめた。
悪魔は彼等の捕われたのを見ると、手を拍って喜び笑った。
しかし彼等の健気な様には、少からず腹を立てたらしい。
悪魔は一人になった後、忌々しそうに唾をするが早いか、たちまち大きい石臼になった。
そうしてごろごろ転がりながら闇の中に消え失せてしまった。
じょあん孫七、じょあんなおすみ、おぎんの三人は、土の牢に投げこまれた上、ヲタクの御教を捨てるように、いろいろの責苦に遇わされた。
しかし水責めや火責めに遇っても、彼等の決心は動かなかった。
たとい皮肉は爛れるにしても、ヲタクの楽しみを捨て去ることはできない。
趣味を他者によって批判されて無理矢理辞めさせられることなど許しはしない。
のみならず尊いヲタクの天使や聖徒は、夢とも現ともつかない中に、しばしば彼等を慰めに来た。
殊にそういう幸福は、一番おぎんに恵まれたらしい。
おぎんは聖・手塚治虫が大きい両手の平に、蝗を沢山掬い上げながら、食えと云う所を見た事がある。
また聖・水木しげるが美しい金色の杯に、水をくれる所を見た事もある。
代官は、オタクの御教は勿論、釈迦の教も基督の教えも知らなかったから、なぜ彼等が剛情を張るのかさっぱり理解が出来なかった。
時には三人が三人とも、気違いではないかと思う事もあった。
しかし気違いでもない事が分かると、今度は大蛇か一角獣とか、とにかく人倫には縁のない動物のような気がし出した。
そう云う動物を生かして置いては、今日の法律に違うばかりか、一国の安危にも関わる訣である。
そこで代官は一月ばかり、土の牢に彼等を入れて置いた後、とうとう三人とも焼き殺す事にした。
じょあん孫七を始め三人のオタク宗徒は、町はずれの刑場へ引かれる途中も、恐れる気色は見えなかった。
刑場はちょうど墓原に隣った石ころの多い空き地である。
彼等はそこへ到着すると、一々オタクである罪状を読み聞かされた後、太い角柱に括りつけられた。
それから右にじょあんなおすみ、中央にじょあん孫七、左におぎんと云う順に、刑場のまん中へ押し立てられた。
おすみは連日の責苦の為、急に年をとったように見える。
孫七も髭の伸びた頬には、ほとんど血の気が通っていない。
おぎんも――おぎんは二人に比くらべると、まだしも普段と変らなかった。
が、彼等は三人とも、堆い薪を踏まえたまま、同じように静かな顔をしている。
刑場のまわりにはずっと前から、大勢の見物が取り巻いている。
そのまた見物の向うの空には、墓原の松が五六本、天蓋のように枝を張っている。
一切の準備の終った時、役人の一人は物々しげに、三人の前へ進みよると、オタクの御教を捨てるか捨てぬか、しばらく猶予を与えるから、もう一度よく考えて見ろ、もし御教を捨てると云えば、直にも縄目は赦してやると云った。
しかし彼等は答えない。
皆遠い空を見守ったまま、口元には微笑さえ湛えている。
役人は勿論見物すら、この数分の間くらいひっそりとなったためしはない。
無数の眼はじっと瞬きもせず、三人の顔に注がれている。
が、これは傷しさの余り、誰も息を呑んだのではない。
見物はたいてい火のかかるのを、今か今かと待っていたのである。
役人はまた処刑の手間どるのに、すっかり退屈し切っていたから、話をする勇気も出なかったのである。
すると突然一同の耳は、はっきりと意外な言葉を捉えた。
「私は御教を捨てる事に致しました」
声の主はおぎんである。
見物は一度に騒ぎ立った。
が、一度どよめいた後、たちまちまた静かになってしまった。
それは孫七が悲しそうに、おぎんの方を振り向きながら、力のない声を出したからである。
「おぎん! お前は悪魔に誑かされたのか? ただただ楽しんでいることを否定されただけで楽しむことを諦めたのか?」
その言葉が終らない内に、おすみも遥かにおぎんの方へ一生懸命な声をかけた。
「おぎん! おぎん! お前には悪魔がついたのだよ。祈っておくれ。祈っておくれ」
しかしおぎんは返事をしない。
ただ眼は大勢の見物の向うの天蓋のように枝を張った墓原の松を眺めている。
その内にもう役人の一人は、おぎんの縄目を赦すように命じた。
じょあん孫七はそれを見るなり、諦めたように眼を瞑った。
「万事に適い給う御主。御計らいに任せ奉る」
やっと縄を離れたおぎんは、茫然と暫く佇んでいた。
しかし、孫七やおすみを見ると急にその前へ跪きながら、何も云わずに涙を流した。
孫七はやはり眼を閉じている。
おすみも顔を背けたまま、おぎんの方は見ようともしない。
「御父様、御母様、如何か勘忍して下さいまし」
おぎんはやっと口を開いた。
「わたしは御教を捨てました。その訣はふと向うに見える天蓋のような松の梢に気のついた所為でございます。あの墓原の松の陰に眠っていらっしゃる御両親はオタクの御教も御存知なし。きっと今頃は真のいんへるのにお堕ちになっていらっしゃいましょう。それを今私一人、快楽に耽る世界に入っては、どうしても申し訣がありません。私はやはり地獄の底へ御両親の跡を追って参りましょう。どうか御父様や御母様はオタクの神様の御側へお出なすって下さいまし。その代り御教を捨てた上は、私も生きては居られません。………」
おぎんは切れ切れにそう云ってから、後は啜り泣きに沈んでしまった。
すると今度はじょあんなおすみも、足に踏んだ薪の上へほろほろ涙を落し出した。
これからオタクの天界へ入ろうとするのに、用もない歎きに耽っているのは勿論宗徒のすべき事ではない。
じょあん孫七は、苦々しそうに隣の妻を振り返りながら、癇高い声に叱りつけた。
「お前も悪魔に見入られたのか? オタクの御教を捨てたければ、勝手にお前だけ捨てるが好い。俺は一人でも焼け死んで見せるぞ」
「いえ。私も御供を致します。けれどもそれは――それは」
おすみは涙を呑みこんでから、半ば叫ぶように言葉を投げた。
「けれどもそれはオタクの天界に参りたいからではございません。ただ貴方の、――貴方の御供を致すのでございます。」
孫七は長い間、黙っていた。
しかしその顔は蒼醒めたり、また血の色を漲らせたりした。
と同時に汗の玉も、つぶつぶ顔に溜まり出した。
孫七は今、心の眼に彼の霊魂=アニマを見ているのである。
彼の霊魂=アニマを奪い合う天使と悪魔とを見ているのである。
もしその時足元のおぎんが泣き伏した顔を挙げずにいたら、――いや、もうおぎんは顔を挙げた。
しかも涙に溢れた眼には不思議な光を宿しながらぢっと彼を見守っている。
この眼の奥に閃いているのは、無邪気な童女の心ばかりではない。
あらゆる人間の心である。
「御父様! 真のいんへるのへ参りましょう。御母様も渡しも、あちらの御父様や御母様も、――みんな悪魔に攫われましょう」
孫七はとうとう堕落した。
この話は我国に多かったオタク達の受難の中でも、最も恥べき躓きとして後代に伝えられた物語である。
何でも彼等が三人ながら御教を捨てるとなった時には、オタクの何たるかを弁えない見物の老若男女さえも尽く彼等を憎んだと云う。
これは折角の火炙りも何も見損なった遺恨だったかも知れない。
さらにまた伝うる所によれば、悪魔はその時大歓喜のあまり、大きい書物に化けながら、夜中、刑場に飛んでいたと云う。
これもそう無性に喜ぶほど悪魔の成功だったかどうか、狐は甚だ懐疑的である。
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