以下の文は、現代ビジネスの辻田 真佐憲氏の『「安倍は戦犯の孫」という低質さ…ネット右翼とネット左翼が似ている理由 問題は思想の左右ではない』と題した記事の転載であります。
『「安倍は戦犯の孫」という低質さ…ネット右翼とネット左翼が似ている理由 問題は思想の左右ではない』
2020.7.02
辻田 真佐憲
「真の保守」「本当の保守」「まともな保守」――。
こう言葉を使うと、SNS上では決まって、「そんなものはない」「妄想お疲れさま」と左派やリベラルとされる者に茶化され、バカにされる。
だが、筆者は以前からこの反応に疑問を感じてきた。
というのも、その左派も、スターリン、毛沢東、ポルポト、あるいは連合赤軍などと同類扱いされると、「あれは本当の左翼ではない」などと途端に同じような言葉づかいに走るからである。
まさに不毛な左右の応酬。
これを避けるためには、どうすればよいか。
それは、思想の左右ではなく、クオリティーの高低で、ものごとを区別するように心がけることしかない。
反安倍でも「戦犯岸の孫だから」は論外
たとえば、自身が安倍政権に批判的だとしよう。
それはまったく問題ないけれども、同じ思想信条だからといって、あらゆる「反安倍」を見境なく肯定するのでは話にならない。
重要なのは、どういう理由でそう主張しているかだ。
仮に「戦犯岸の孫だから」という低次元な理由であれば、その者から距離を取る必要が出てくるだろう。
祖父と孫は別人格であるし、そもそも岸信介はA級戦犯ではないからである(容疑者として逮捕されたが、不起訴)。
以上のことは、安倍政権支持側にも、何にでも、当てはまる。
「教育勅語」を例にあげてもよい。
自身が「教育勅語」を肯定しているならば、同じ肯定論者の意見でも、ちゃんと中身を真剣に読んでいるかどうか、精査しなければならない。
得票や愛国ビジネスのため「スゴイ、スゴイ。復活、復活」と譫言のように唱えている不届き者は、むしろ積極的に批判すべき対象となるだろう。
近年、「教育勅語スゴイ」と言っていた者が、何かのきっかけに「安倍は戦犯の孫」と言うようになり、これまでの「敵」から拍手喝采されるという事態も生じている。
「なんでこの人が左翼/右翼の英雄になっているの」現象とでも呼べば、パッと誰かが思い浮かぶだろう。
だが、良識ある者は、これを一顧だにしてこなかった。
なぜならそれは、クオリティーの低い者が記号を弄び、脊髄反射する者たちを喜ばせているにすぎないとわかっていたからだ。
こういう事例に一喜一憂しても仕方ない。
右でも左でも、できるだけ質を高めることが肝心なのであって、「本当の保守」や「本当の左翼」を目指すことは、けっして嘲笑されるべきではないのである。
クオリティーさえ担保されていれば、右も左も多様性のうちだし、両者のあいだで実りあるコミュニケーションも可能とさえいえる。
「どっちもどっち論」ではない
逆に、クオリティーが低ければ、箸にも棒にもかからない。
昨今、「岸信介が731部隊の最高責任者」などというツイートが、安倍首相を批判したいリベラル系と思われる者たちの間で広がっている。
よく知られるように、731部隊は、細菌兵器の研究・開発・運用などを行った日本陸軍の機関だけれども、最高責任者は岸ではない。
そもそも文官の岸が陸軍を指揮するなどありえないわけで、これはきわめて初歩的な知識だ。
ここで、「リベラルなアカウントが『731部隊は存在しなかった』並の歴史修正主義に走るとは」と驚くのは、まったくのお門違いである。
両者は同じ穴の狢なのであって、クオリティーが低い者(インターネット・トロール)が、右や左の衣裳をまとって、適当なことを言っているにすぎないと理解すべきなのだ。
SNSで四六時中暴れまわっている、いわゆる「ネット右翼」と「ネット左翼」が、その無理解、暴言、粘着ぶりなどできわめてよく似ているのは、まさにこれが理由にほかならない。
あらためて強調するまでもないが、これは「右も左もどっちもどっち」という話ではない。
ただ、「右だ、左だ」という議論は、ある程度の質が確保されてはじめて成り立つと言っているのである。
これ以外にも、「岸信介が731部隊の最高責任者」レベルの意見は、SNSに山のように存在している。そこからはじまる議論の不毛なこと!
たまたま同じ政治的な傾向を持つからといって、低質な者を持ち上げてはならないし、またSNSのその手の揉めごとからできるだけ距離を取らなければならない所以もここにある。
SNSと適切な距離を取る
言われてみれば当たり前なのだが、ネットの左右対立は、あまりにも党派性を重んじて、クオリティーへの配慮を怠ってきたのではないか。
こうなった背景には、SNSの存在も無視できない。
SNSは「バズってなんぼ」の世界である。
いま話題のテーマに食らいつき、炎上も利用しながら、刺激的な、わかりやすい物語を投下する。
すると、大量の反応が即座に返ってきて、驚くほどの数字が計上される。
今日、その数字は、しばしば人気や支持の指標と勘違いされている。
ハッシュタグのトレンド入りが話題になるのも、その一環だろう。
そのため、みな「バズること」に最適化しようとするのだが、そうすると、どうしても「岸信介が731部隊の最高責任者」みたいな、杜撰だが、インパクトのある情報が影響力をもってしまう。
もちろん、SNSは生活のあらゆる面に浸透しているので、すぐに遮断とはいかないだろう。
ただ、クオリティーに配慮するならば、適切な距離を模索することが必要になってくる。
それが、アカウントを消すことなのか、1日のアクセス時間を減らすことなのか、それとも閲覧オンリーにすることなのかは、個々人の生活スタイルなどによる。
中毒気味の人は、少し考え直してみてほしい。
ネット右翼とネット左翼から離れて
ここまで読んでもらえれば誤解の余地はないと思うが、本稿の目的は、「真の〜」「本当の〜」「まともな〜」を名乗りながら、みずからの党派に安住して開き直っている、事実上の「ネット右翼」や「ネット左翼」の類を肯定することではない。
人間は誰しも完璧ではない。
そのなかで、不断に努力して、みずからの質を高めていくことが肝心なのであって、そのために(SNS外で)試行錯誤しなければならないと言っているのだ。
それゆえ、最後にもういちど強調しておこう。
今日、われわれが本当に区別しなければならないのは、思想の左右ではなく、クオリティーの高低である。
そしてそれは、「ネット右翼」や「ネット左翼」の不毛な議論を切り離した場所で追求されなければならないだろう。
転載終わり。
これはSNSに限らず、テレビや新聞や雑誌やラジオなどのマスメディアにも言えることなのですよ。
明らかなデマであるならば、それは議論の対象とすべきではないのです。
明らかなデマは文字通りお話にならないのですよ。
事実と異なることからは何も生まれません。
マスメディアは多くのデマを世界中に拡散させて世論を動かしました。
このやり方は戦前の日本のマスメディアが日本を戦争へと駆り立てたやり方です。
このような行為を許すべきではありません。
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