今年は異常といえる早いタイミングで桜が咲き、今週あたりに花見を計画されていた人は慌てたのではないでしょうか。
我が家も「花見をしたい」という家族からの希望は受けつつ、タイミングがつかめず、少々困っています。
ところで、桜と言えば、私がいつも連想するのは、軍国主義、帝国主義の道をひた走っていたころの日本。・・・え?変ですか?
でも、実際に「ぱっとさいてぱっと散る」潔さのような美意識と、臣民として国家に仕え、有事には命を差し出すといった考えが連動していたことはまちがいないと思います。
若い人たちが否応なしに戦争にかり出され、一個の人間としての尊厳はすべて否定された当時、どれだけの人たちが望まぬ死を受け入れなければならなかったか。
憲法を変えやすくしようとする動きが、安倍内閣を先頭に、自民・公明に限らず、いろんな政党からも「憲法を変えなければならない」ような雰囲気を作っていますが、これは非常に危険な動きです。
戦争は「やむをえない」ものではありません。戦争を二度としないと、国際社会に誓った日本に課せられた役割は、「どんなもめごとも、戦争せずに解決をする道を切り開く」ことなんです。
大変ですよ。これは。「相手が挑発するからこっちも手を出す」という選択の方が簡単でしょう。ですが、短絡的で安易だと言わざるを得ません。
「国は今の状態のまま、自衛隊や米軍ががんばってくれる」といった想像をしているのなら、それは残念ながらそうではありません。戦争に対して疑問を持つものや異を唱える者がいれば、思うように戦争できませんから、必ず思想統制がおこなわれます。自由でなくなるんです。
国民は、そのうち生死の選択までも国家に握られることになります。かつての日本がそうだったように。そうなってしまうと、もう日本と言う国はその在り方、姿が根本から変わってしまうのです。
私は自由に生きたい。自由でありたいと思います。だれもがそうであることを望みます。だから、共産主義者として生きる道を選んでいます。