糸井ひろしの気まぐれ日記

日本共産党群馬県西毛地区委員会役員の日々のあれこれ

お誕生会

2013-03-14 | 日記

 今日はお誕生会。といっても、とある地域支部の行事です。

 「昨年11月から3月までの党員のお祝いをするので、よかったら」とお誘いを受け、お邪魔いたしました。

 

 「お誕生会」では、お祝いに該当する人が一人一人、簡単なこれまでの半生を振り返りながら、良かったことやつらかったことなど語りました。

 

 高齢者の多い支部です。「私は満州生まれで・・・」とか、「物心ついたころかな、当時、おとながひそひそ話で、後から2.26事件のことを話していたのだと思い至ったけど、話をしていたのを覚えている」とか、人それぞれが「歴史」だなあと感じる話でした。

 

 みなさん、決して「昔は良かった」的な話ではなく、今のことをきちんと見ています。日本がかつて侵略戦争をしに大陸に出かけて行った、当時のデフレ状況と、今のデフレ不況、そして自民・公明・維新の会などの日本の再軍備に向けての動きがよく似ていると言います。

 元社会科教諭が口を開きました。「おれは、日本史を教えていた教員として、二度とあのころのような日本にしてはならないと思っているんだよ」と、熱く語りました。

 

 

 

 円安状況になり、「アベノミクス」「三本の矢」と称してとりくんでいる自民・公明政権。まだ国民の評価は固まっていませんが、大人しく、ダイナミックに取り組んでいる「ように見える」のかもしれません。

 なんとなく、保守勢力が活気づいているように見えますよね。国会での質問を見ていても、「憲法変えろ」「海外で戦争できる国づくり」の大合唱です。

 

 平和ってのは、安穏としてしてれば自然と訪れるものでは決してありません。1945年の終戦後から、戦争をもう二度と起こしてはならない。戦争してはならないと、ずっと社会にアピールしつづけ、運動が続いてきたからこそ、今までどうにか戦争せずに過ごせたのです。

 

 

 戦争の脅威のない世界のために、日本ができることは、海外へ出かけて戦争をすることではありません。

 ベテランの党員のみなさんが、肌で感じてきた「歴史」。私たちがきちんと引き継ぎ、平和な日本を自分の子どもたちに渡したい。


風ニモ負ケズ

2013-03-11 | 日記

 昨日の話になっちゃいます。

 「3.10 さよなら原発群馬アクション」が開催され、我が家も家族総出で参加しました。といっても、私は別行動。朝8時には会場に集まり、テントを4張り設営。あ、テントと言っても、キャンプ用じゃないですよ。学校の運動会の本部席とか来賓席なんかに設営してあるあれですよ、あれ。

 

 大型のテントで朝からくたびれましたが、渋川からの参加者と久しぶりにご対面。「先だってはお世話になりました」「いやいや、残念だったけど、よくがんばったね」なんて挨拶を交わし、前橋からの参加者とは、「おめでとうございました。ほんとにお疲れさまでした」「いやいや、お世話になりました」なんて言葉を交わしました。

 この日は、「午後から気温が下がる」なんて予報でしたから、背負うリュックがいっぱいになるのを覚悟で、ウィンドブレーカーを持って行きました。

 模擬店なども次々にテントを張って、準備が着々と進みますが、強い風が吹き荒れ始めました。日本共産党群馬県委員会も書籍販売で準備をしたところで、風が吹き荒れ、砂塵は舞い、いやはや大変でした。

 テントが吹き飛ばされそうになったところが出てきて、他のテントもみんな天幕を外し、骨組みだけにしていました。しかし砂塵もひどく、目が痛いこと。

 11:30、オープニングのコンサートが始まり、参加者は徐々に中央の広場に集まりだします。

 素敵な歌声や音楽があたりになるのですが、後ろに写っている横断幕が、このすぐ後に、風にはぎ取られてしまいました。

 さて、民青同盟もこの集会に参加。自分たちなりに、「何かやろう」と集まりました。前回は「キャンドルナイト」でしたが、暗くなるまで点灯できず、結局ほとんどの人が撤収も終え、帰った後にやることに。

 今回は、横断幕にみんなでメッセージを書き入れようということになったそうです。

 

 小さなお子さんからお年寄りまで、通りかかる参加者に声をかけ、書いてもらいました。

 

 

 砂埃が残念ですが、子どもたちなりに、らく書きとメッセージ。楽しそうでした。

 

 ふと見るとこんな光景も。

 かえるくん、スマホをいじる。

 

 空はどんより。ただ曇っているのではなく、明らかに砂塵によって日光がさえぎられていました。すぐそばのビルがぼんやりするほど。いやあ、思い出しただけでも「もうたくさん」です。

 

 店を出していたところも、商品が砂まみれ、風のせいで火がつかず、温まらずと散々。早々に店じまいでした。おかげで、あてにしていた昼食が残念なことに。

 

 それでも、参加者の熱意で集会は続けられます。

 13:30、パレードに出発するころには気温も下がり、なかなか出発のタイミングが来ない最後尾はちょっと寒そうにする人も。

 

 青年たちも、寒そうにしていましたが、パレードは元気に。

 

...すみません。顔はぼかしました。

 みんなにメッセージを書いてもらった横断幕を掲げて歩きました。

 

 パレードが終わるころには風も少し落ち着き、空も青くなってきました。

 

 

 結局、集会の間が一番大変な状況だったということですね...。

 でも、こんな風に負けてはいられないという、主催者と参加者の熱意に、私自身がおおいに励まされた気がしました。

 

 くたびれましたけどね。


PTA

2013-03-05 | 日記

 今日は夕方から高校のPTAの会議がありました。

 この時期ですから、だいたいの内容は察することが出来ると思います。そうですよ。代替わりですよ。

 

 どこでも役員の皆さんが頭を痛め、役員になろうとする人がおびえる(?)次の役員や会長を決める話し合いです。

 もっとも、この高校、協力的な保護者が多いような気がしますし、「お互いさま」精神も豊かなようで、多分、というか、少なくとも私が経験した中ではもっとも決めるのに苦労をしていないうちの一つだと思います。

 

 とはいえ、みなさん今は自分の暮らしが精一杯。たまの短時間でも家を空けるのが心苦しいとか、家を明けるために苦労をなさいます。「協力的」とは言えど、決断が難しい事に違いはありません。

 

 ここのPTAだって、もうちょっと前まではもっと決まりやすかったと思うのです。やっぱり暮らしのゆとりのなさを感じます。

 ちょうどそんな話題で少し盛り上がったのですが、他の学校では、PTA会長にあまりに負担が大きく、働いている職場から『これ以上PTAに関わるなら辞めてもらう』とまで言われ、校長に一筆書いてもらった人もいたとか。または、ある学校では、対外的な行事には必ず会長が出席しなければならないとか、厳しいところもあるそうです。

 

 会長の役目が大変なのは同じですが、それでもみんなで助け合ってやることは大切ですし、そもそも「子育て」の一環。将来は社会の財産になるわけですから、そういうことにもっと職場、社会が寛容になって然るべきだと思うんですがねえ...。

 

 

 まあ、会長、副会長とやってきました。上の娘は卒業したものの、妹二人も同じ高校だということもあり、来年度も残留です。

 もっとも、任期の交代は5月の総会ですから、もうしばらくありますけど。

 

 

    どうなることやら。


ひげ剃り

2013-03-03 | 雑想

 日常の話なんですが。

 

 候補者をやっていたときには毎日剃らなきゃなりませんでした。

 あ、私、「ウェット派」です。つまり、洗面台で鏡を前に、ジェルを顔に塗りたくって「カミソリ」でジョリジョリやってます。

 電気シェーバーもかつて使っていましたが、カミソリの方が深剃りできますし、なんだかんだ面倒になってしまって...。ちなみに、最近までG社の3枚刃を愛用していましたが、最近交換刃を見かけなくなり、S社の4枚刃を使うようになりました。

 

 ただ、「深剃りできる」などと言う割に私はあまり肌が強くなく、「カミソリ負け」しやすいんです。なので、候補者をやっていたときには結構ツライものがありました。剃った後、クリームでいたわりながら、毎日だましだましやってました。G社の3枚刃は、その点、深剃りと肌への負荷のバランスが良かったんですけどねえ...。

 

 いまですか?まあ、一日おきになってます(笑)。人と会う仕事ではあるのですが、候補者ほど気をつかうこともあるまいと。事務所から出ることが少ない事がわかっているときなどは、ひげ剃り、さぼります。いや、肌を気遣って剃ってません。

 

 ひげが似合うような顔立ちでないのが残念です。もっとも、カミさんからは「ひげは伸ばすな」と言われています。

 

 


ついに卒業です

2013-03-02 | 日記

 第一子の娘がついに高校を卒業しました。一般的な普通高校に、一般的に通ってきた生徒さんより1年多くかかりました。3年で卒業しなかったときには、先生方に残念がられましたが、卒業を目前にして、「あと2年いなさいよ」と言われたのだとか。

 

 単位制の定時制高校で昼間部です。3年での卒業も可能なシステムでしたが、本人が「もう1年いたい」と、必修科目をわざと履修せずに4年間通いました。

 

 ひとまず、「生徒」「学生」という身分から抜け出すわけですが、「社会人」として、就職するでもなく、当面は無職、家事手伝いということになります。

 昨夜、祖父母も交えて卒業祝いのパーティをささやかに行いました。祖父母は、やはり「働いてこそ一人前」であり、夢に挑戦する孫を「それはともかく働かねば」と、わが娘にアドバイスをしていました。

 今、若い人たちが「働いてこそ一人前」という尺度を簡単に当てはめることができないことは祖父母も分かっているはずなのですが、やはり心配なのだと思います。

 母親であるカミさんは、かなり葛藤しているようです。親として心配するのは当たり前だが、あまり口うるさくいうのもイヤだ、といった具合に。

 

 どんな職に就き、あるいは開拓し、生きていくのかは、本人が決めることです。親としては、それが保障できる社会をつくる責任を感じています。良くも悪くも、世間様と同じ尺度で測れないわが娘に、困難も多いことは承知で、敢えていいます。あなたの未来が幸多きことを。

 

 

 あ~あ、食べすぎました。