どこまでもまっすぐな線路が続きます。
森と畑の中。
踏切がないので、けっこうスピードが出る。
試合の開催日ではないので、鹿島サッカースタジアム駅は通過します。
左手の森の向こうに。
まもなく鹿島神宮駅に到着。
左手の森一帯が鹿島神宮。
折り返して水戸へ向かう気動車。
駅付近のようす。左手の森が「鹿島神宮」。
北方向。
JR鹿島線に乗り換えて佐原・成田方面に向かうことに。
その前にいったん下車して食事をする予定でした。が、臨海鉄道がかなり遅れたせいで、時間がない!
反対ホームに「鹿島線」が停車中なので、そのまま乗車します。持ってきたパンで空腹をしのぐことに。
車窓から。
鹿島線。
成田線の佐原駅から銚子側の1駅先にある香取駅から分岐し、水郷潮来あやめ園や十二橋めぐりなどの水郷の観光地を持つ潮来駅、鹿島神宮や鹿島臨海工業地帯のある鹿嶋市の中心である鹿島神宮駅を経由し、鹿島サッカースタジアム駅を終点とする。ラインカラーは茶色)である。
日本鉄道建設公団によって建設され、開業は1970年と比較的新しい路線である。国家的な開発プロジェクトであった鹿島臨海工業地帯の開発・発展に寄与するため、現在の鹿島臨海鉄道の営業路線(大洗鹿島線・鹿島臨港線)と共々に計画・建設され、香取駅 - 北鹿島駅(現在の鹿島サッカースタジアム駅)間が日本国有鉄道(国鉄)の「鹿島線」として開業した。
高規格路線として建設されたため、全線のほとんどが高架となっている。成田線との分岐点を過ぎると、鹿島線内には踏切はひとつもない。このことは接続先の大洗鹿島線でも水戸駅付近をのぞけば同様である。また利根川・常陸利根川・北浦に架かる橋梁はいずれも長大で、特に北浦に架かる北浦橋梁は1236 mの長さを持ち、東海道新幹線の富士川橋梁に次ぐ長さを有する。これらの高架・橋梁を合わせた長さは全線の55%に達し、軟弱地盤で水域が多い水郷地帯を貫通している[ただし、強風時は香取駅 - 十二橋駅間、延方駅 - 鹿島神宮駅間で速度制限や運転見合わせが行われることがある。
JRにおける実質的な旅客上の運用範囲は佐原駅 - 鹿島神宮駅間である。鹿島神宮駅 - 鹿島サッカースタジアム駅間はJRの区間であるが、旅客輸送は鹿島臨海鉄道の車両が担う。よって鹿島線の同区間に大洗鹿島線が乗り入れる形態となるが、特に多客が見込まれる時は、鹿島神宮駅以西より鹿島サッカースタジアム駅までJRによる旅客輸送が行われる場合がある。なお鹿島神宮駅 - 鹿島サッカースタジアム駅間はあくまでJR線なので、「青春18きっぷ」など、企画きっぷもエリア内であれば使用可能である。
また旅客列車のほかに、日本貨物鉄道(JR貨物)による貨物列車も運行されている。
利用者は地元の沿線住民がほとんどで、純然たるローカル輸送に留まっている。鹿嶋市と東京間のアクセスとしては1975年から特急「あやめ」が運行されていた。しかし東関東自動車道が潮来ICまで開通し、1989年から高速バス「かしま号」が運行開始したことにより、東京駅と鹿島神宮駅間の普通運賃よりも安く、本数も非常に多く、渋滞が無ければ所要時間でもほぼ互角となった高速バスの乗客が激増し、沿線から東京の輸送では高速バスが圧倒的な優位となっていった。「あやめ」は1982年には最大5往復運行されていたが、乗客減により1993年には3往復、1994年からは1往復のみの運行となった(鹿島線には乗り入れていない「ホームタウン成田」「すいごう」が2004年から「あやめ」に名称変更した分は除く)。2015年で「あやめ」は定期運行を終了した。
全区間が旅客営業規則の定める「東京近郊区間」に含まれており、Suicaなど交通系ICカードの利用が可能である[3][4]。みどりの窓口、自動改札機は全駅とも設置されておらず、交通系ICカードも簡易Suica改札機を利用しての入出場となる。
沿線自治体からは特急「あやめ」復活のほか東京駅への直通列車増便、鹿島線各駅への交通系ICカード機器設置、鹿島サッカースタジアム駅の常設化をJR東日本に求めていたが、2018年4月にJR東日本は「『あやめ』復活は厳しい」との見解を示している。この内、鹿島線各駅への交通系ICカード機器設置については、2020年3月14日から使用開始している。
筑波山をバックに鹿島線を走行するE257系電車(2023年1月 十二橋駅)。
※貨物運行表。(「鉄道チャンネル」HPより)