おやじのつぶやき2

「おやじのつぶやき」続編。街道歩きや川歩き、散歩がてらの写真付きでお届けします。

ローカル私鉄の旅。31。「上信電鉄」・富岡製糸場。その2。

2023-08-31 18:39:19 | ローカル鉄道

駅名一覧。「上州富岡」、「下仁田」が中心。

フリー乗車券。割引率は低い。

いろんな形式の電車。

             

「南高崎」。

ホームの先端から出入り。

田園が広がります。

             

高架は、「上越新幹線」。

「佐野のわたし」。

駅名の由来は当駅にほど近い場所を流れる烏川にかつて渡し船があったことによる。

渡し船はなくなったが、現在でも佐野橋が架けられ「渡し」の役割を担っている。しかし、佐野橋は洪水時に橋げたが流される流れ橋であるため、2019年10月の台風19号の影響で流され、復旧工事中。

この地区に関わる謡曲「鉢の木」。(栃木県佐野市という説もある)。

※謡曲「鉢の木」

鎌倉時代中期。大雪が降る中、鎌倉を目指す一人の旅僧が、上野国(こうずけのくに)佐野を訪れます。旅僧は雪のため先に進むことができず、道中にあった家を尋ね、主人の妻に宿泊を請います。やがて帰宅した主人の佐野源左衛門尉常世(さののげんざえもんのじょうつねよ)はその頼みを聞きますが、貧苦のために宿を貸すことはできないと一度は断ります。しかしその後、妻の助言もあり、去った旅僧を追いかけ、一晩家に泊めることにします。寒さが厳しくなってきたため、常世は大切にしていた梅と桜と松の三本の鉢の木を火にくべて、旅僧をもてなします。旅僧が常世に名前を尋ねると、名乗るほどの者ではないとしつつも、やがて旅僧に名を告げ、さらには親族に領地を横領されたために零落した身を述べます。それでも鎌倉で事変などあれば誰よりも先に駆けつけるつもりであることを旅僧に語ります。翌朝、お互いは名残を惜しみながらも旅僧は常世のもとを後にします。

それから日のたったある日、鎌倉の北条時頼は関東八州の武士に召集をかけます。召集を聞きつけた常世は、みすぼらしい出で立ちながら、鎌倉へと駆けつけます。一方時頼は部下の二階堂に、ちぎれた甲冑を着て、錆びた薙刀を持ち、痩せた馬を連れている武士を探し出して、自分の前に参上させるように申しつけます。二階堂はさらに従者に言いつけて、そのみすぼらしい武士、すなわち常世を見つけ出します。

常世が参上すると、以前家に泊めた旅僧が実は時頼であったことに気が付きます。今回の召集は、時頼が常世の言葉に偽りがないかを確かめるためのものだったのです。時頼は実際に鎌倉にやってきた常世を称賛して横領された土地の回復を約束し、三本の鉢の木のお礼に、梅、桜、松加賀国田庄、越中国井庄、上野国井田庄の領土)にちなんだ三ヶ所の庄を与えます。常世は喜んで上野国へと帰って行きます。

’この項、「」HPより)

烏(からす)川。

群馬県高崎市倉渕町の鼻曲山に源を発し、おおむね南東に流れる。高崎市下豊岡町付近で碓氷川、高崎市阿久津町付近で鏑川合流、さらに佐波郡玉村町と埼玉県児玉郡上里町の境界付近で神流川と合流する。そこから僅かの間、群馬県・埼玉県の県境を成し、利根川に合流する。  

「烏川」の由来

水源にある黒い岩が烏のくちばしに似ているからなど、次のように諸説あります。
・水源が、カラスのくちばしのような形の岩壁で「烏口」といわれるため
・日本武尊(ヤマトタケル)が東征の時にひどい日照りにあい、烏がこの水源に案内したから
・水源の地形が唐臼に似ており、カラウスがカラスに転化した
・烏を神使とする熊野信仰と関係がある
・川に空州(水のないところ)が多いから
・鵜や烏が群棲していたことによる  
          

烏川を越えると、「根小屋(ねごや)」駅。

振り返る。

             下流に「佐野橋」。

「根小屋(ねごや)」。

「高崎商科大学」。

沿線には、けっこう史跡が多い地域です。

コメント
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