ヒマワリはロシアの国花
ウクライナ侵略戦争や北京冬季五輪で、目にする機会が増えたウクライナ国旗。麦畑と麦秋(ばくしゅう=麦の収穫期である初夏のこと)の青空とを、上下二分して図案化した、との説が有力だが、最近は下半分の黄色を「ヒマワリ畑」とする説もあるようだ。今回の戦争に際して映画『ひまわり』(1970年公開)の上映会が日本各地で催されているが、「ヒマワリ畑」説の出所は、この映画からの連想と思われる。ネット上には、ウクライナ国花をヒマワリと誤解した書き込みも目立つ。
しかし正しくは、ヒマワリはロシアの国花である。ロシアは、ソ連時代からの国花であるヒマワリを、引き続き国花としている。誤解の理由は、昔はウクライナもソ連の構成国だったため、かもしれない。主にサンフラワー油(ヒマワリ油)採集を目的に栽培され、生産量の世界一位、二位をウクライナとロシアが競う。そんなわけでウクライナの国花は山桜の一種であるスミミザクラと、ヨーロッパで庭木として人気の高いセイヨウカンボク。ロシアの国花はヒマワリと、ハーブとしても知られるキク科のカミツレ(別名カモミール)である。
ヒマワリ畑の圧倒的な美しさ
4か国(伊、旧ソ連、仏、米)合作映画『ひまわり』は、観た人も多い名画だ。第二次大戦に運命を狂わされた若いイタリア人夫婦の悲劇と哀切を、ソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニが好演した。イタリアを代表する女優ソフィア・ローレンの、化粧を落とし、髪ふり乱しての熱演と、胸に迫るヘンリー・マンシーニのテーマ音楽、それに広大なヒマワリ畑の圧倒的な美しさ。映像の美しい映画は数多いが、筆者の好みで言えば、米伊合作映画『ドクトル・ジバゴ』(1965年公開)の、ダーチャ(別荘)の窓越しに見た夜明けの雪原風景と並んで、このヒマワリ畑の映像が10指のうちに入る。
映画のロケ地について筆者は長くイタリアとロシアと思い込んでいたが、実はイタリアとウクライナ・キエフ近郊だと知ったのは、だいぶ経ってからのこと。ヒマワリ畑は、かつて露軍とイタリア軍が激しい戦いを繰り広げた地で、地下には今も無数の両国兵士が眠っている、との設定。ちなみにロシア革命を時代背景に撮影された『ドクトル・ジバゴ』も、実際のロケ地はロシアでなくカナダである。
今回の侵略戦争に二重写し
ストーリーは、むしろ平凡かもしれない。戦争が若いカップルの運命を狂わせる、ということなら、同じような話は世界中に珍しくなかったはずだ。現代もウクライナ侵略戦争の陰で、同じような悲劇が繰り返されているのだろう。むしろ、であればこそ身近な話と重なり合って人々の胸を打つ。筆者など70歳を過ぎた現在でもCD録画を観ると、大学生の頃に初めて観た時の感動が、全く変わることなくよみがえる。今回の侵略戦争に、ぴったりの反戦映画のように思える。
国歌『ウクライナは滅びず』と「ウクライナの兄弟たち」
ウィキペデア「ウクライナの国歌」によると、1917年のウクライナ独立とともに国歌となるが、ソ連併合により国歌ではなくなった。ソ連崩壊翌年に1992年に国歌として復活、2003年3月、歌詞を一部修正のうえ正式制定された。以下は現行歌詞から。
<♪♪ ウクライナの栄光も自由も滅びず、若き兄弟たちよ、我らに運命は微笑むだろう。
我らが敵は日の前の露(つゆ)のごとく亡びるだろう。兄弟たちよ、我らは我らの地を治めよう。
我らは自由のために魂と身体を捧げ、兄弟たちよ、我らがコサックの氏族であることを示そう>
「兄弟たちよ」が3度出て来ることに注目。次に、2003年3月以前の歌詞。
<♪♪ ウクライナは滅びず、その栄光も,その自由さえも! ウクライナの兄弟よ、運命は我等に微笑みかけることであろう!
我等の敵は日差しの下に浮かぶ露のように消え失せるだろう。兄弟よ、我等自身の国を統治しようではないか。我等は自由のためなら身も魂も捧げ 兄弟たちよ、我らがコサックの氏族であることを示そう。
兄弟よ、サン川からドン川に至るまで血の戦いに起とうではないか。 我等は祖国の地の他人の支配を許さない。黒海はいまだ微笑み,父なるドニエプルは喜ぶだろう。このウクライナの幸福の再来に。
我等の粘り強さと誠実な努力が報われて、自由の歌はウクライナ全土に響く。その歌はカルパチア山脈にこだまし,草原へも響き、ウクライナの栄光は他国にも知れ渡ることだろう>
さて、いかがですか。一読して、現行国歌は元の歌詞を簡素化したものであることが分かる。「兄弟」の登場は1か所増えて4度。原詞の「兄弟(たち) 」は英語で「brethren」(ウクライナ語で「 б р а т т я」)。「brother」の複数形だが、血縁上の兄弟を意味せず、宗教の同一教会員や仕事の同業者、一般的な同胞・仲間を指す(三省堂『コンサイス英和辞典』)。
隣国同士のウクライナとロシアとは、しばしば「兄弟国家」に例えられるが、実際は支配と被支配、抑圧する側とされる側との関係だった。必ずしも「兄」はロシアを意味しない。既述したように国歌『ウクライナは滅びず』はソ連編入と共にいったん消え、ソ連崩壊の翌年、国歌として復活した。ソ連邦健在の時代には、歌詞にある如くウクライナの自治自立を声高に叫ぶことは、ソ連にとって好ましからざることだったのだろう。
<兄弟よ、我等自身の国を統治しようではないか><血の戦いに起とうではないか。 我等は祖国の地の他人の支配を許さない>。まるで現在の苦難を予見したうえで、国民を奮い立たせようとする歌詞だとは言えまいか。
ウクライナ侵略戦争や北京冬季五輪で、目にする機会が増えたウクライナ国旗。麦畑と麦秋(ばくしゅう=麦の収穫期である初夏のこと)の青空とを、上下二分して図案化した、との説が有力だが、最近は下半分の黄色を「ヒマワリ畑」とする説もあるようだ。今回の戦争に際して映画『ひまわり』(1970年公開)の上映会が日本各地で催されているが、「ヒマワリ畑」説の出所は、この映画からの連想と思われる。ネット上には、ウクライナ国花をヒマワリと誤解した書き込みも目立つ。
しかし正しくは、ヒマワリはロシアの国花である。ロシアは、ソ連時代からの国花であるヒマワリを、引き続き国花としている。誤解の理由は、昔はウクライナもソ連の構成国だったため、かもしれない。主にサンフラワー油(ヒマワリ油)採集を目的に栽培され、生産量の世界一位、二位をウクライナとロシアが競う。そんなわけでウクライナの国花は山桜の一種であるスミミザクラと、ヨーロッパで庭木として人気の高いセイヨウカンボク。ロシアの国花はヒマワリと、ハーブとしても知られるキク科のカミツレ(別名カモミール)である。
ヒマワリ畑の圧倒的な美しさ
4か国(伊、旧ソ連、仏、米)合作映画『ひまわり』は、観た人も多い名画だ。第二次大戦に運命を狂わされた若いイタリア人夫婦の悲劇と哀切を、ソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニが好演した。イタリアを代表する女優ソフィア・ローレンの、化粧を落とし、髪ふり乱しての熱演と、胸に迫るヘンリー・マンシーニのテーマ音楽、それに広大なヒマワリ畑の圧倒的な美しさ。映像の美しい映画は数多いが、筆者の好みで言えば、米伊合作映画『ドクトル・ジバゴ』(1965年公開)の、ダーチャ(別荘)の窓越しに見た夜明けの雪原風景と並んで、このヒマワリ畑の映像が10指のうちに入る。
映画のロケ地について筆者は長くイタリアとロシアと思い込んでいたが、実はイタリアとウクライナ・キエフ近郊だと知ったのは、だいぶ経ってからのこと。ヒマワリ畑は、かつて露軍とイタリア軍が激しい戦いを繰り広げた地で、地下には今も無数の両国兵士が眠っている、との設定。ちなみにロシア革命を時代背景に撮影された『ドクトル・ジバゴ』も、実際のロケ地はロシアでなくカナダである。
今回の侵略戦争に二重写し
ストーリーは、むしろ平凡かもしれない。戦争が若いカップルの運命を狂わせる、ということなら、同じような話は世界中に珍しくなかったはずだ。現代もウクライナ侵略戦争の陰で、同じような悲劇が繰り返されているのだろう。むしろ、であればこそ身近な話と重なり合って人々の胸を打つ。筆者など70歳を過ぎた現在でもCD録画を観ると、大学生の頃に初めて観た時の感動が、全く変わることなくよみがえる。今回の侵略戦争に、ぴったりの反戦映画のように思える。
国歌『ウクライナは滅びず』と「ウクライナの兄弟たち」
ウィキペデア「ウクライナの国歌」によると、1917年のウクライナ独立とともに国歌となるが、ソ連併合により国歌ではなくなった。ソ連崩壊翌年に1992年に国歌として復活、2003年3月、歌詞を一部修正のうえ正式制定された。以下は現行歌詞から。
<♪♪ ウクライナの栄光も自由も滅びず、若き兄弟たちよ、我らに運命は微笑むだろう。
我らが敵は日の前の露(つゆ)のごとく亡びるだろう。兄弟たちよ、我らは我らの地を治めよう。
我らは自由のために魂と身体を捧げ、兄弟たちよ、我らがコサックの氏族であることを示そう>
「兄弟たちよ」が3度出て来ることに注目。次に、2003年3月以前の歌詞。
<♪♪ ウクライナは滅びず、その栄光も,その自由さえも! ウクライナの兄弟よ、運命は我等に微笑みかけることであろう!
我等の敵は日差しの下に浮かぶ露のように消え失せるだろう。兄弟よ、我等自身の国を統治しようではないか。我等は自由のためなら身も魂も捧げ 兄弟たちよ、我らがコサックの氏族であることを示そう。
兄弟よ、サン川からドン川に至るまで血の戦いに起とうではないか。 我等は祖国の地の他人の支配を許さない。黒海はいまだ微笑み,父なるドニエプルは喜ぶだろう。このウクライナの幸福の再来に。
我等の粘り強さと誠実な努力が報われて、自由の歌はウクライナ全土に響く。その歌はカルパチア山脈にこだまし,草原へも響き、ウクライナの栄光は他国にも知れ渡ることだろう>
さて、いかがですか。一読して、現行国歌は元の歌詞を簡素化したものであることが分かる。「兄弟」の登場は1か所増えて4度。原詞の「兄弟(たち) 」は英語で「brethren」(ウクライナ語で「 б р а т т я」)。「brother」の複数形だが、血縁上の兄弟を意味せず、宗教の同一教会員や仕事の同業者、一般的な同胞・仲間を指す(三省堂『コンサイス英和辞典』)。
隣国同士のウクライナとロシアとは、しばしば「兄弟国家」に例えられるが、実際は支配と被支配、抑圧する側とされる側との関係だった。必ずしも「兄」はロシアを意味しない。既述したように国歌『ウクライナは滅びず』はソ連編入と共にいったん消え、ソ連崩壊の翌年、国歌として復活した。ソ連邦健在の時代には、歌詞にある如くウクライナの自治自立を声高に叫ぶことは、ソ連にとって好ましからざることだったのだろう。
<兄弟よ、我等自身の国を統治しようではないか><血の戦いに起とうではないか。 我等は祖国の地の他人の支配を許さない>。まるで現在の苦難を予見したうえで、国民を奮い立たせようとする歌詞だとは言えまいか。
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