満天星
「満天星」と書いて「ドウダンツツジ」と読む。「満天星躑躅」や「灯台躑躅」と表記したり、「満天星」で「ドウダン」とだけ読ませたりする場合も。ツツジ科の落葉低木で、釣鐘の形の、直径3-5ミリの小さな白い花を無数に咲かせる。同じドウダンツツジ属の仲間には、花の色の黄色がかったシロドウダンや、赤色のベニドウダンなどもある。それにしても、なぜ「満天星」という美しい名がついたのか。夜空ではなく、昼の空に散りばめられた満天の星。「ん?」と首をかしげる人は多いかもしれない。
筆者宅の玄関先にも、一階の屋根に届く高さのドウダンツツジの木が1本植えられている。家の元所有者が植えたものだ。新芽を刈り込まないせいか毎春盛大に咲く。ちょうど今が花の盛りで、よく晴れた春の青い空をバックに無数の白い花が咲き揺れる様子は、真に満天にまたたく星々に見える。枝の届く範囲全体が小宇宙のようだ。「満天星」の名は花の形に由来するのではなく、星空にも匹敵するかと思えるほどの花の数に由ることが分かる。
こんな言い伝えもある。中国・道教の祖である老子が霊薬を作っている時、誤って霊水をこぼし近くの木にかかった。すると霊水は満天の星のようの枝々に輝いた――と。「満天星」のほかに「灯台躑躅」(読み方は、どうだんつつじ)の表記も。枝分かれした様子が3又状の台架に灯明皿を置いた照明具「結び灯台」(岬の灯台ではない)に似ていたところから名づけられたようだ。植物学者の牧野富太郎博士も支持したことで、お墨付きとなった。ちなみに「結び灯台」をイメージするには、割り箸3本と輪ゴムを用意すると良い。高さ3分の1ほどの所を輪ゴムで束ね、長い方(3分の2)を下にして脚として開き、上になった短い方(3分の1)を腕に見立てて灯明皿を抱かせる(置く)。その昔、宮中で用いられた照明器具である。実際にドウダンツツジを観察すると、1つの枝から3-5又が分かれ、さらに分かれた枝が伸びて、分岐を繰り返している。残念ながら割り箸で描いたイメージとは異なる。脚の部分が常に1本だから灯明器具としては不安定だろう。無理のある説に思える。
まだある。「灯台躑躅」の「灯台」を、なぜ「どうだん」と読ませるのかも不審だ。次第に発音が変化して「どうだん」になったとする説明が有力だが、強引過ぎて説得力がない。「躑躅」はどうか。『漢語林』(大修館書店刊)によれば、「躑(てき)」も「躅(ちょく)」も同じく「行きつ戻りつする、立ち止まる、たたずむ」の意味。同義字を重ねた「躑躅(てきちょく)」の字にも「ツツジ」のほかは「足踏みする、行きつ戻りつする」との意味があるだけ。「素通りしてしまうには惜しい花」「つい立ち止まって見入る花」だから、こちらは花の名にぴったりのネーミングだ。なぜ「どうだん」かが最後まで引っかかる。
<雲ひくし満天星に雨よほそく降れ>(水原秋櫻子)
<触れてみしどうだんの花かたきかな>(星野立子)
春も後半の落花時期なのか、細雨にさえ落ちてしまいそうな小さな花。盛んな頃の花は硬くて風雨にも強い。視覚と触覚。
山吹
花や木の名前には満天星以外にも馬酔木(あせび)や紫陽花(あじさい)、百日紅(さるすべり)、秋桜(こすもす)、公孫樹(いちょう)、山茶花(さざんか)など読み方の異なる漢字の当て字(借字)が多い。どれも趣があり、考え抜かれたネーミングに感心させられる。この点、山吹(やまぶき)は『万葉集』から歌い継がれてきた代表的な花なので、他の漢字は当てにくかったはず。古来、清楚な美女に喩えられることが多く、蕉門十哲の一人に数えられる森川許六は『許六百華賦』という本の中で「山吹の清げなる、眉目貌(みめかたち)すぐれ、鼻筋おしとをり、襟廻り(うなじ)綺麗に生まれつき透融(すきとおる)などといへるばかり」と書いている。
室町後期の武将、太田道灌生誕の地と伝えられる埼玉県越生(おごせ)町には「山吹の里歴史公園」があり、筆者も山吹の花の盛りに何度か訪ねた。道灌が鷹狩りの帰りに雨に降られ、蓑(みの)を借りようと、山吹の花が咲く農家へ立ち寄る。すると娘が出て来て山吹の花を1枝、道灌へ差し出した。訝(いぶか)りつつ帰るが、後日、家臣から「山吹の花」の意味を教えられた。<七重八重花は咲けども山吹の実の一つだに無きぞ悲しき>(兼明親王、『後拾遺集』)。美しいが実を結ばない八重咲きの山吹の花になぞらえ、古歌中の「実の一つさえ無き」で「(貧乏ゆえ)蓑一つさえ無き」と伝えたかったのだと。「咲けども実の無き」には、娘自身の現在の境遇を伝える意味も込められていたのだろう。道灌は恥じて、以後、歌の道に励んだという。越生町に限らず「山吹の里」伝説は東京・豊島区など各地にあるが、ビルの谷間の史跡では、時代をイメージしにくいかもしれない。水車小屋を中心に3千株の山吹が咲く越生の公園は、往古をしのばせる鄙(ひな)びた風光をとどめる。
<ほろほろと山吹散るか滝の音>(芭蕉)
やはり、この一句か。
雪柳
雪柳(ゆきやなぎ)も山吹と同じ落葉低木。名の通り柳の枝に雪が積もったごとくに無数の小さな花が咲く。地面に散った様子が米粒のように見えることから「小米花(こごめばな)」の別名も。山中の渓谷沿いなどに咲く自生種は絶滅が危惧されるほど希少になったが、見た目の愛らしさや華やかさ、面倒な手入れを必要としない点が歓迎され、庭先や公園で、しばしば見かける。筆者も春の花として真っ先に思い浮かべた。
それにしても春の花には小さくとも数多く咲くものが多い。筆頭格の桜、馬酔木、ドウダンツツジ、そして山吹や雪柳(ゆきやなぎ)、藤……。どの花も長い冬に耐え抜いて咲くゆえに、人は派手やかで圧倒的な花の数に目を奪われるのだろう。一方で桜を生涯のテーマとした花芸家、故・安達曈子さんを取材した時に、おっしゃっていたコトバも思い出す。
「桜は咲いた時、散った時ばかりが美しいのではないのよ。咲こうとして冬の寒さに耐えている蕾(つぼみ)の漲(みなぎ)りにこそ、花としての本当の美しさがあるの」
含蓄のある人生論でもある。人生に大輪の花を咲かせた人だからこそ、漲っていた若い日を振り返って言えるコトバでもあったのだろう。
<雪柳花みちて影やはらかき>(沢木欣一)
花影は春らしくおぼろだ。
「満天星」と書いて「ドウダンツツジ」と読む。「満天星躑躅」や「灯台躑躅」と表記したり、「満天星」で「ドウダン」とだけ読ませたりする場合も。ツツジ科の落葉低木で、釣鐘の形の、直径3-5ミリの小さな白い花を無数に咲かせる。同じドウダンツツジ属の仲間には、花の色の黄色がかったシロドウダンや、赤色のベニドウダンなどもある。それにしても、なぜ「満天星」という美しい名がついたのか。夜空ではなく、昼の空に散りばめられた満天の星。「ん?」と首をかしげる人は多いかもしれない。
筆者宅の玄関先にも、一階の屋根に届く高さのドウダンツツジの木が1本植えられている。家の元所有者が植えたものだ。新芽を刈り込まないせいか毎春盛大に咲く。ちょうど今が花の盛りで、よく晴れた春の青い空をバックに無数の白い花が咲き揺れる様子は、真に満天にまたたく星々に見える。枝の届く範囲全体が小宇宙のようだ。「満天星」の名は花の形に由来するのではなく、星空にも匹敵するかと思えるほどの花の数に由ることが分かる。
こんな言い伝えもある。中国・道教の祖である老子が霊薬を作っている時、誤って霊水をこぼし近くの木にかかった。すると霊水は満天の星のようの枝々に輝いた――と。「満天星」のほかに「灯台躑躅」(読み方は、どうだんつつじ)の表記も。枝分かれした様子が3又状の台架に灯明皿を置いた照明具「結び灯台」(岬の灯台ではない)に似ていたところから名づけられたようだ。植物学者の牧野富太郎博士も支持したことで、お墨付きとなった。ちなみに「結び灯台」をイメージするには、割り箸3本と輪ゴムを用意すると良い。高さ3分の1ほどの所を輪ゴムで束ね、長い方(3分の2)を下にして脚として開き、上になった短い方(3分の1)を腕に見立てて灯明皿を抱かせる(置く)。その昔、宮中で用いられた照明器具である。実際にドウダンツツジを観察すると、1つの枝から3-5又が分かれ、さらに分かれた枝が伸びて、分岐を繰り返している。残念ながら割り箸で描いたイメージとは異なる。脚の部分が常に1本だから灯明器具としては不安定だろう。無理のある説に思える。
まだある。「灯台躑躅」の「灯台」を、なぜ「どうだん」と読ませるのかも不審だ。次第に発音が変化して「どうだん」になったとする説明が有力だが、強引過ぎて説得力がない。「躑躅」はどうか。『漢語林』(大修館書店刊)によれば、「躑(てき)」も「躅(ちょく)」も同じく「行きつ戻りつする、立ち止まる、たたずむ」の意味。同義字を重ねた「躑躅(てきちょく)」の字にも「ツツジ」のほかは「足踏みする、行きつ戻りつする」との意味があるだけ。「素通りしてしまうには惜しい花」「つい立ち止まって見入る花」だから、こちらは花の名にぴったりのネーミングだ。なぜ「どうだん」かが最後まで引っかかる。
<雲ひくし満天星に雨よほそく降れ>(水原秋櫻子)
<触れてみしどうだんの花かたきかな>(星野立子)
春も後半の落花時期なのか、細雨にさえ落ちてしまいそうな小さな花。盛んな頃の花は硬くて風雨にも強い。視覚と触覚。
山吹
花や木の名前には満天星以外にも馬酔木(あせび)や紫陽花(あじさい)、百日紅(さるすべり)、秋桜(こすもす)、公孫樹(いちょう)、山茶花(さざんか)など読み方の異なる漢字の当て字(借字)が多い。どれも趣があり、考え抜かれたネーミングに感心させられる。この点、山吹(やまぶき)は『万葉集』から歌い継がれてきた代表的な花なので、他の漢字は当てにくかったはず。古来、清楚な美女に喩えられることが多く、蕉門十哲の一人に数えられる森川許六は『許六百華賦』という本の中で「山吹の清げなる、眉目貌(みめかたち)すぐれ、鼻筋おしとをり、襟廻り(うなじ)綺麗に生まれつき透融(すきとおる)などといへるばかり」と書いている。
室町後期の武将、太田道灌生誕の地と伝えられる埼玉県越生(おごせ)町には「山吹の里歴史公園」があり、筆者も山吹の花の盛りに何度か訪ねた。道灌が鷹狩りの帰りに雨に降られ、蓑(みの)を借りようと、山吹の花が咲く農家へ立ち寄る。すると娘が出て来て山吹の花を1枝、道灌へ差し出した。訝(いぶか)りつつ帰るが、後日、家臣から「山吹の花」の意味を教えられた。<七重八重花は咲けども山吹の実の一つだに無きぞ悲しき>(兼明親王、『後拾遺集』)。美しいが実を結ばない八重咲きの山吹の花になぞらえ、古歌中の「実の一つさえ無き」で「(貧乏ゆえ)蓑一つさえ無き」と伝えたかったのだと。「咲けども実の無き」には、娘自身の現在の境遇を伝える意味も込められていたのだろう。道灌は恥じて、以後、歌の道に励んだという。越生町に限らず「山吹の里」伝説は東京・豊島区など各地にあるが、ビルの谷間の史跡では、時代をイメージしにくいかもしれない。水車小屋を中心に3千株の山吹が咲く越生の公園は、往古をしのばせる鄙(ひな)びた風光をとどめる。
<ほろほろと山吹散るか滝の音>(芭蕉)
やはり、この一句か。
雪柳
雪柳(ゆきやなぎ)も山吹と同じ落葉低木。名の通り柳の枝に雪が積もったごとくに無数の小さな花が咲く。地面に散った様子が米粒のように見えることから「小米花(こごめばな)」の別名も。山中の渓谷沿いなどに咲く自生種は絶滅が危惧されるほど希少になったが、見た目の愛らしさや華やかさ、面倒な手入れを必要としない点が歓迎され、庭先や公園で、しばしば見かける。筆者も春の花として真っ先に思い浮かべた。
それにしても春の花には小さくとも数多く咲くものが多い。筆頭格の桜、馬酔木、ドウダンツツジ、そして山吹や雪柳(ゆきやなぎ)、藤……。どの花も長い冬に耐え抜いて咲くゆえに、人は派手やかで圧倒的な花の数に目を奪われるのだろう。一方で桜を生涯のテーマとした花芸家、故・安達曈子さんを取材した時に、おっしゃっていたコトバも思い出す。
「桜は咲いた時、散った時ばかりが美しいのではないのよ。咲こうとして冬の寒さに耐えている蕾(つぼみ)の漲(みなぎ)りにこそ、花としての本当の美しさがあるの」
含蓄のある人生論でもある。人生に大輪の花を咲かせた人だからこそ、漲っていた若い日を振り返って言えるコトバでもあったのだろう。
<雪柳花みちて影やはらかき>(沢木欣一)
花影は春らしくおぼろだ。
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