負けて凹んでる場合ではない。来年に向けて兜の緒を締めねば。

2021年11月17日 | 社労士
行政書士試験がようやく終わった。
1月末の発表まで知らん顔を決め込むつもりでいたが、資格学校の先生のブログに書かれていた言葉で思い直した。
現実から逃れたいのは誰だって同じだ。
不首尾に終わったことを実感している人たちはみな、いっとき解放感にひたりたいであろう。
自分も、その後の法学部の科目試験や2カ月ほどで20本近いレポートを提出しなければいけないことを言い訳にして、あとは野となれ山となれと開き直っていたが、実を言うと心は晴れず、ひそかに凹んでいた。

しぶしぶながら、解答速報で照らし合わせてみた。
行政書士試験は記述問題というのがあり、この配点が高く、これによって試験の合否が分かれるのだが、合格点の180点には及ばないだろうというのが正直なところである。
試験全体の難易度は決して高くはなかった。
トンデモ問題はどんな資格試験にもつきものなので、それ自体はよい。
やはり、自分の苦手とする民法の基礎ができていないことが大きかった。

民法に対する苦手意識はわかっていた。
法学部のレポートでも、厳しい評価を受けていた。
登場人物が多いところが自分にとって非常に苦手とするところであり、特に利害の調整の考え方が理解できなかった。
これは仕事でも同じことで、どんな仕事に就いても、利害関係の調整でもたつき、つまづいた。

行政書士の試験勉強を始めたときは行政関係の法律を難しいと感じた。
しかし、法学部の先生の教科書やメディア講義などのおかげもあって、ややこしい規定などもなんとか理解できた。
行政書士基本書の解説もとてもうまく説明されていて、なるほどと納得できる部分が多かった。
しかし、なによりも、登場人物が少なく、法律を留保に一方的に行政行為ができるというのが自分にはわかりやすかった。
民法とは良くも悪くも大違いである。
自分は、行政苦手とか思っていたが、結局のところ、行政的なやり方になじんでいて、親和性が高いと思った。子どもや夫との交渉も、どちらかというと、民法的ではなく行政的である。
だから、いつも衝突が絶えなかった。

子どもや夫は「何言っても無駄」「結局自分の言うとおりにしないとこの人は面白くないのだ」このようにあきらめているのである。

自分には民法的な考え方が欠如している。
苦手意識はあったものの、正面から向き合っていなかった。

自己反省は以上である。

さて。

当初余裕で今年度の法学部の単位を取得し、来年度前半で楽勝の卒業の予定であったが、それも余裕ではなくなった。
死に物狂いでがんばって、ようやく22年度の前半で卒業に必要な単位が取れるといったところである。

となると、来年こそは、行政書士試験の合格を卒業の証としたい。

いくら通信といえども、入試を経ていないといえども、法学部を卒業しながら法律の基礎を問う行政書士試験さえ受からないというのでは法学部卒業とはいえない。

地頭とか、そんなことは関係ない。

来年は宅建試験にも挑戦しようと思う。
物権と聞けば、不動産と聞けば逃げ出す自分が宅建である。
受けようと思った理由は…まあ、いろいろである。

途中で頓挫していた危険物取扱やFP1級、英検2級もある。

やはり、おわった~おわったあ~などと浮かれている場合ではない。

兜の緒を締めよ、とは勝った者だけではない。
負けて凹んで、がんばった自分にご褒美などと言っている者も同じである。

がんばろ。<
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