彼女はズーット年上です。妙に気が合い仲良くしてもらっています。
彼女は小学6年生まで 中国の大連に居たそうです。
お父さんは大きな会社の役職さん でお手伝いさんも沢山居られたとか。
10人兄弟の3番目 3男7女です。
夏休みには皆で日本に帰り1カ月滞在 船は1等客室だったとか。
しかし終戦で引き上げに…
「じゃー引き上げの時は苦労したね」
「それが全く無かった 現地の方(中国人)がそれは親切に 船に乗るまで
サポートしてくれたんよ」
何故??です。
何でもお父さんがとても賢い方で
「人間はみな同じ 威張ってはいけない」と云う考えで
学校に行かれない現地の子供を学校に行かせたり お手伝いさんも同等に扱ったりしておられたとの事です。
日本に帰ってからも若い頃に面倒を見た人たちが親切にしてくださり 生活はまあまあだったとの事です。
引き上げの時自分達は最後の引き上げで 奥地からの引揚者の方たちが野宿同然なので部屋を開放して泊めてあげた。
しかし翌朝は黙って旅立ち 部屋にあっためぼしい物は殆んど無くなっていた。
子供心にも「日本人なのに 何で…」だったよ。悲しかったとも。
彼女は今でも様になった父親を尊敬し 自慢に思っていると。
今まで多くの人に助けてもらったけど これも父親の生き様のおかげね。
“情けは人の為ならず”
今では地区のお年寄り(自分と同年代)のお世話に一生懸命です。
バアバも見習いたい 良いお手本です。
4月上旬の暖かさですってよ。裏の竹薮で見つけました。
おおいぬのふぐり
きらんそう(地獄の釜の蓋)