そうで~す ひまわりが頂きました
岩国市社会福祉大会で頂きました
長い人間生活の中で 卒業証書を除き こう云う類の物を貰った記憶が御座いません
お習字も一応習っていました 絵画なんてピカソも顔負けで逃げて行く状態です
晴れがましい席に臨むのは
とても気がひけます
それでお断りしました しかし 「後に続く方達の事も考えてね」 と言われシブシブ行ってきました
緊張しました お仲間達も参列して下さり少しリラックス出来ました
先輩2人は市長賞でした
友が 「市長賞まで頑張りんさいよ」 って言うけど年齢的に無理かな~
(彼女は県知事賞を申請中です)
ボランティアの切っ掛け
それは母の介護から始まりました
90歳を過ぎた母が転倒しました 寝たきりにはならなかったが ベットから起こすのもトイレに連れて行くのも
状態
どう扱っていいのか全く分からず困りました
それでヘルパーの講習を受けました
それは私にとってとてもプラスになる事でした
三姉妹が交代で寝泊まりが始まった けど母は遠慮なのか?迷惑を掛けたくないとの思いなのか?
施設に入る事を希望しました (今 思もえば家に居たかったと思います)
入れる施設は中々見つかりません ショートステイからロングステイを利用してやっと入所出来ました
施設には姉妹がローテーションを組んで訪問していました
笑顔で迎えてくれて居ましたが 「忙しいのにすまんの― もういいからはよーお帰りい」 が5分後から始まります
15分も間が持ちませんでした 職員さん達は今来たのにもう?の思いだったでしょう
帰り際には窓に凭れて見えなくなるまで見送っていたようです
認知症が出始めました
ある日行くと青い顔をしてナースコールを持ってベットに腰掛けています どうしたのか?と聞くと
「奥のおばあさん(自分の母親の事)は元気なのか? お前によう似たのが来ての
おばあちゃんが(母の事)が90歳を過ぎているのじゃけー生きてはおいでんよ と言うた
死んだのなら電話が掛かってくるはず 電話を持って待っとるんじゃ」 と言います
「分かったよ 何かあったら必ず電話があるはずよ その時は直ぐに教えるから安心して」
ホッ っとして笑顔になりました
つくづく
嘘も方便 だな~って 涙でした
またこんな事も
車椅子を押して施設内を散歩していると 職員さんが
「今日は娘さんが見えて 嬉しいね~ 良かったね~」
「いいえ 娘ではありません よう似ておりますがの」
いよいよ食べられなくなりました
延命治療はしないが母の口癖でした それで署名捺印して延命治療の点滴 胃ろうはお断りしていました
意識も無く寝たっきり 妹と交代で診ていました
6日め位から足先にチアノーゼが腰には床ずれが出来はじめました
絶対後悔はしないの思いで寝泊まりが始まりました
10日目の朝 静かに息を引き取りました
その後 看護師さんが 「ありがとうございました 大往生でしたね ああ云う状態になるとほとんどが医療に走られます
それがご本人にとって良いのか悪いのか?
よく診てあげられました 皆さんにこの事を伝えて下さいね」
私的には良かったと思っています 私もこうありたいと思っています
長々とお喋りしました
ありがとうございました