



1 若い足取り ややうつむき 街を急いで 通り過ぎる あらし止み 戦争は遠い日 に 一人の夜に泣く やさしいひと
2 あなたは遠い ロシアの涯(はて) 静かに眠る 祖国の星 夏が来て冬が過ぎ 誰(たれ)を待つ わたしのこの胸に 帰っておいで
3 夕べの風に 木の葉が散る 門(かど)にたたずむ 私に散る いつまでも見つめてる 遠い道 帰らぬ人を待ち 今日も暮れる 帰らぬ人を待ち 窓辺に寄る 帰らぬ人を待ち ひとりで泣く
ソ連時代の1964年に発表された歌曲。 第二次世界大戦では、軍人・民間人合わせて約5600万人が亡くなりましたが、実にその4割近くがソ連人でした。 英タイムズ社『第二次世界大戦歴史地図』によると、ソ連の人的損害は軍人1450万人、民間人700万人で合計2150万人となっています。 このほかに数百万人にのぼる行方不明者がおり、それを合わせると、ソ連の人的損害は2500万人近くにのぼると推測されています。
その分だけ、愛する人を失った人たちがいるわけです。 この歌の女性も、おそらく夫の戦死公報を受け取っていたでしょう。 しかし、どうしてもそれが受け入れられずに、同名の別人とまちがわれたかもしれない、重傷で帰れないだけかもしれない、もしかしたら記憶を失って帰る場所がわからないでいるのかも……など、あれこれ想像を巡らしながら日を送っているのでしょう。
そして、ひょっとしたら今日にも、夫があの懐かしい笑顔とともに我が家を目指して歩いてくるかもしれないと思いながら、毎日門口に立って、道の彼方を見つめ続けているのです。 ソ連だけのことではありません。戦争という集団狂気の歯車に巻き込まれた国では、多かれ少なかれ、こういう女性たちがいました。
この歌が発表されたのは、終戦から20年近く経った1964年で、戦争の傷もかなり癒されていたはずです。 それでも、リュドミラ・ジキーナ(写真)がこの歌を歌い始めると、会場は女性たちのすすり泣きで満たされたといいます。 原題は"Солдатская вдова"(兵士の未亡人)ですが、この散文的なタイトルよりも、日本語詞の『帰らぬひとを…』のほうが歌の内容によく合っていると思います。
(出典:二木紘三歌物語原文のまま)