タカちゃんの絵日記Ⅱ

日々の何気ない感動を、好きな絵や音楽、写真や動画などで綴ります。

その昔、毛利VS尼子の攻防戦のあった「白鹿城跡」に行って参りました。・・・延々と・・・一人遊び  偉 い

2022-03-19 13:21:38 | その他

その昔・・・毛利VS尼子の攻防戦のあった「白鹿城跡:古戦場」に行って参りました。

白鹿城(白鹿山)は宍道湖の北岸に位置し、美保関及び中海の水運を押さえる商業、経済の要衝であり、尼子氏の支城中、随一といわれた堅城でもあった。   この為、尼子十旗中の第一とされ、松田氏が城主に当てられた。   永禄6年、毛利氏が出雲に侵攻すると、その勢いに押され一時松田氏は毛利氏に下った。   しかし間もなく、処刑された本城氏の扱いに不信を募らせた松田満久・誠保父子は尼子方に復帰し、白鹿城に拠り毛利氏に抗した。  このため毛利氏に攻められ、尼子倫久による後詰勢も敗退したことから、力尽きた白鹿城は開城、松田氏は没落し、白鹿城は廃城となった。    築城年代は不明。   1563年(永禄6年)毛利氏に攻められ開城し、廃城となった。・・・そうです。

この遺構は、現在は不明瞭になっているものもあるが、郭や土塁などの防御施設の遺構が城域各所に認められ、毛利氏が、攻城戦の際に石見銀山の鉱夫を動員して、その水を抜こうとしたとされる井戸の跡も残っていました。   城山の周辺は開発が進み、新興住宅地(私の住む団地等)が間近に位置している。

先日はウォーキングのために、この遺構のある白鹿城跡に上って来ました。   小さな山ですが、急坂(一気に、高低差約150mを駆け上がる。)を登るのは、結構な運動量です。(糖尿病のカロリー消費には最適な運動に成りました。  それに、白鹿山の山頂から撮った、動画に 偶然心友 が移っていました。

 

 
 
 
 
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家の「チビ熊」は・・・一人遊びが撮っても上手です。   ( ^)o(^ ) 偉   い。 ( ^)o(^ )
 

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