結婚式のご祝儀に、新一万円札を使うのNGと言う謎ルール
その理由は渋沢栄一が愛人との間に17人以上の子供がいたからなんだそうです
それが不貞をイメージさせるからなんでそうです
しかもその話に約三割の人が、『そう思う』そうです
三割もいるのか!!!
遠からず新一万円札ばかりになりますよ
そしたら、津田梅子を倍入れるのかしらね?
海外の人から見ると、日本のご祝儀とか半返しとかが謎ルールなのだそうです
『式』とつくものは特に謎な事が多いかもしれません
よく分かりませんが、大元をたどれば儒教や宗教にいきつくからなのかもしれませんね
『道』がつくものの根本は『礼』にあります
『礼』とはルールのことです
ルールとは言っても『規則』とか『法』ではありません
『礼』とは出会った全ての人に対して敬意を持ちそれを表すことです
目上の者や年上に服従する事ではありません
大人にはそれまでの人生で得た経験に対して、子供にはこれからの人生で得るものに対して敬意を待つ事にすることです
武道で初めての対戦相手にお辞儀ををするのは、相手の積み重ねてきた人生や真剣に取り組んできたであろう稽古に対して敬意を持つことだと思います
書道も同じです
書友は対戦相手ではありませんが、同じお教場で書を学ぶ者は敬意を払い会う相手として相応しい仲間です
それを『礼』の本質をまだ知らない子供たちにお教場の空気やお手本の書体から学んでもらいたいと思うのです
お教場は学校の教室とは違います
書道のお教場は書技上達だけを目的にしている場所ではないのです
『礼』を学ぶ場所でもあるのです
『躾』とは、ざっくり子供がその社会で生きて行く上で、無用なトラブルに巻き込まれない為に身につけるべき所作や言葉遣いの事と言っても良いかもしれません
大人にとっても『郷にあれば郷に従え』と言う言葉があります
生きてきた社会と違う社会に入るなら、そこのルールに従えという事です
その社会で躾けられてこなかった者がそこで上手く生きる知恵でもあります
そこに『謎ルール』と感じるものがあろうとも、そこに敬意をあわらすことも大切な『礼』です
『礼』は儒教だけの教えではなく、社会で生きて行く人間に必要な知恵でもあると思います
『礼』を身につけた者は、世界中どこに行っても礼を尽くせば受け入れてもらえるようになるでしょう
『礼』とは社会で生きる術でもあるのです
渋沢栄一をご祝儀袋に入れてはいけないと言う謎ルールは、『礼』を拡大解釈して世を惑わすショッカーの如き歪んだ考え方なのです( ̄∇ ̄)
次々と生まれてくるショッカーをモグラ叩きして撲滅するのだぁ〰️っ!
その武器こそ『礼』なのです