るるの日記

なんでも書きます

神武天皇 東征 3 大阪で「とみのながすねびこ」と戦う

2021-01-27 17:35:36 | 日記
其の国より上り行でましし時、【浪速渡(なみはやのわたり)】を経て、【青雲の白肩津(しらかたのつ)】に泊(は)てたまひき

此の時、【登美能那賀須泥毘古(とみのながすねびこ)】、軍(いくさ)を興して待ち向へて戦ひき

御船に入れたる盾を取りて下り立ちたまひき。故、其の地を号けて【盾津】といひき。今に日下の蓼津といふ

登美毘古と戦ひたまひし時、五瀬命、御手に登美毘古の【痛矢串】を負ひたまひき

故、ここにのりたまはく
「吾は日の神の御子として、日に向ひて戦ふこと良からず。故、賎しき奴(やっこ)が痛手を負ひぬ。今よりは行き廻りて、背(そびら)に日を負ひて撃たむ」と期(ちぎ)りたまひて、南の方より廻り幸でましし時、【血沼海】に到りて、其の御手の血を洗ひたまひき。故血沼海といふ

其の地より廻り幸でまして、【紀国の男之水門(おのみなと)】に到りてのりたまはく「賎しき奴が手を負ひてや死なむ」と男建(おたけび)して崩(かむあが)りましき。故、その水門を号けて男水門(をのみなと)といふ。【陵(みはか)は紀国の竈山(かまやま)に在り】

★浪速渡
大阪湾
わたり→水上を船で渡る所。渡し場

★青雲の白肩津
青雲→白の枕詞。なぜか未詳
白肩津→東大阪市日下町付近にあった港

★登美能那賀須泥毘古(とみのながすねびこ)
とみ→桜井市鳥見山説もあるが、東征路としては、生駒郡富雄村の地とする

ながすねびこ→頸の長い男
異様な姿の土豪

★盾津
白肩津と同じ所

★痛矢串
痛手をおわせる矢

★血沼海
大阪府の泉北、泉南両郡の海

★紀国(きのくに)の男之水門(おのみなと)
大阪府泉南市男里の港説
紀国とあるので和歌山県の紀ノ川河口説

★陵(みはか)は紀国の竈山(かまやま)にあり
和歌山市和田に五瀬命を祀る竈山神社があり、その後方にある円墳がその陵である

■浪の荒い浪速渡を経て、白肩津に停泊した。この時、脛の長い登美能那賀須泥毘古(とみのながすねびこ)が軍勢を集め、皇軍を待ち構えて戦った

伊波礼毘古命は船から盾を取って下船し防戦した。ゆえにその地を盾津と呼んだ。今は日下と蓼津といっている

登美毘古と戦った時、兄の五瀬命は、手に登美毘古の痛矢串を受けた。五瀬命は「私は日の御子であるから、日に向かって戦うのはよくないことだ。そのため卑しい奴の矢で痛手を負ったのだ。今から迂回して、背中に日を受けて敵を討とう」と誓い、南を回って行った

血沼海に着いて、その手の血を洗った。さらにそこから回り紀伊国の男之水門に到着したが、五瀬命は
「卑しい奴から受けた傷で死ぬものか」と雄雄しく叫んで亡くなった。ゆえにその水門を男之水門というのである。その御陵は紀伊国の竈山にある



神武天皇 東征 2 水先案内人あらわる

2021-01-27 16:44:27 | 日記
其の国[吉備]より上り幸でましし時、亀の甲に乗りて釣しつつ打ち【羽挙(はふ)き】来る人に、【速吸門(はやすひのと)】に遇ひたまひき

ここによびよせて、「汝(いまし)は誰ぞ」と問いたまへば、「僕(あ)は国つ神なり」と答へまをしき

又「汝は海つ道(ぢ)を知れたりや」と問ひたまへば、「よく知れり」と答へまをしき

又「従ひて仕へ奉らむや」と問ひたまへば、「仕え奉らむ」と答へまをしき

故ここに【槁機(さを)】を指し渡し、其の御船に引き入れて、即ち名を賜ひて槁根津日子(さおねつひこ)と号(なづ)けたまひき[これは倭国造等の祖]

★羽挙(はふ)き
はふく→羽ばたきをする
鳥が羽ばたくように、左右の袖をふって、船を慕い迎える様子

★速吸門(はやすひのと)
潮流の速い海峡
大分県佐賀関半島と愛媛県佐田岬半島の間の豊予海峡

東征の順路としては不審。宇沙の前に置く方が正しい。明石海峡とする説もあり、これならば順路がかなう

★槁機(さを)
船を進めるのに用いる棹





古事記 神武天皇 東征 1 日向→筑紫・豊国宇沙→筑紫・岡田宮→安岐国多祁理宮→吉備高島宮

2021-01-27 16:10:53 | 日記
【神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこのみこと)】、其の【いろ兄(せ)】、五瀬命(いつせのみこと)と二柱、高千穂宮に坐(ま)して議(はか)りて云りたまはく、

「何(いづれ)の地(ところ)に坐さば、平けく天下(あめのした)の政(まつりごと)を聞こしめさむ。猶東に行かむと思ふ」とのりたまひて、即ち【日向(ひむか)】より発(た)たして、【筑紫(つくし)】に幸行でましき

故、【豊国(とよのくに)】の【宇沙】に到りましし時、其の【土人(くにびと)】、名は宇沙都比古、宇沙都比売の二人、【足一騰宮(あしひとつあがりのみや)】を作りて【大御饗献(おほみあへたてまつ)りき】

その地より遷移(うつ)りまし竺紫(つくし)の【岡田宮(おかだのみや)】に一年(ひととせ)坐しき

其の国より上り幸(い)でまして、【阿岐国(あきのくに)】の【多祁理宮(たけりのみや)】に七年坐しき

其の国より遷り上り幸でまして、【吉備】の【高島宮】に八年坐しき

★神倭伊波礼毘古命(かむやまといはれびこのみこと)
※第一代神武天皇
※かむ→美称
※いわれ→大和の地名で、奈良県桜井市中部から橿原市東南部。しばしば皇居がおかれた

★いろ兄(せ)
同母兄

★日向(ひむか)
南九州

★筑紫(つくし)
筑前、筑後国
福岡県

★豊国(とよのくに)
豊前・豊後国
福岡県東部と大分県にかけての地域

★宇沙
大分県宇佐市
和気清麻呂の神託事件で有名な宇佐神宮のある聖地

★土人
土着の人

★足一騰宮(あしひとつあがりのみや)
川岸の山にたてかけるように宮を構え、一方は流れの中に大きな柱を一本立てて作った宮

★大御饗(おほみあへ)献(たてまつ)りき
天皇に食事を献上する服属儀礼

★岡田宮
福岡県遠賀郡芦屋町の遠賀川河口付近

★阿岐国(あきのくに)
広島県

★多祁理宮
安芸郡府中町にあった

★吉備
中国地方の国名
後に備前、備中、備後、美作に分かれた

★高島宮
岡山市宮浦にあった