其の国より上り行でましし時、【浪速渡(なみはやのわたり)】を経て、【青雲の白肩津(しらかたのつ)】に泊(は)てたまひき
此の時、【登美能那賀須泥毘古(とみのながすねびこ)】、軍(いくさ)を興して待ち向へて戦ひき
御船に入れたる盾を取りて下り立ちたまひき。故、其の地を号けて【盾津】といひき。今に日下の蓼津といふ
登美毘古と戦ひたまひし時、五瀬命、御手に登美毘古の【痛矢串】を負ひたまひき
故、ここにのりたまはく
「吾は日の神の御子として、日に向ひて戦ふこと良からず。故、賎しき奴(やっこ)が痛手を負ひぬ。今よりは行き廻りて、背(そびら)に日を負ひて撃たむ」と期(ちぎ)りたまひて、南の方より廻り幸でましし時、【血沼海】に到りて、其の御手の血を洗ひたまひき。故血沼海といふ
其の地より廻り幸でまして、【紀国の男之水門(おのみなと)】に到りてのりたまはく「賎しき奴が手を負ひてや死なむ」と男建(おたけび)して崩(かむあが)りましき。故、その水門を号けて男水門(をのみなと)といふ。【陵(みはか)は紀国の竈山(かまやま)に在り】
★浪速渡
大阪湾
わたり→水上を船で渡る所。渡し場
★青雲の白肩津
青雲→白の枕詞。なぜか未詳
白肩津→東大阪市日下町付近にあった港
★登美能那賀須泥毘古(とみのながすねびこ)
とみ→桜井市鳥見山説もあるが、東征路としては、生駒郡富雄村の地とする
ながすねびこ→頸の長い男
異様な姿の土豪
★盾津
白肩津と同じ所
★痛矢串
痛手をおわせる矢
★血沼海
大阪府の泉北、泉南両郡の海
★紀国(きのくに)の男之水門(おのみなと)
大阪府泉南市男里の港説
紀国とあるので和歌山県の紀ノ川河口説
★陵(みはか)は紀国の竈山(かまやま)にあり
和歌山市和田に五瀬命を祀る竈山神社があり、その後方にある円墳がその陵である
■浪の荒い浪速渡を経て、白肩津に停泊した。この時、脛の長い登美能那賀須泥毘古(とみのながすねびこ)が軍勢を集め、皇軍を待ち構えて戦った
伊波礼毘古命は船から盾を取って下船し防戦した。ゆえにその地を盾津と呼んだ。今は日下と蓼津といっている
登美毘古と戦った時、兄の五瀬命は、手に登美毘古の痛矢串を受けた。五瀬命は「私は日の御子であるから、日に向かって戦うのはよくないことだ。そのため卑しい奴の矢で痛手を負ったのだ。今から迂回して、背中に日を受けて敵を討とう」と誓い、南を回って行った
血沼海に着いて、その手の血を洗った。さらにそこから回り紀伊国の男之水門に到着したが、五瀬命は
「卑しい奴から受けた傷で死ぬものか」と雄雄しく叫んで亡くなった。ゆえにその水門を男之水門というのである。その御陵は紀伊国の竈山にある