るるの日記

なんでも書きます

神武天皇 かむあがりましし後・ 多芸志美美命の反逆

2021-01-30 15:46:11 | 日記
天皇崩(すめらみこと・かむあが)りましし後、
其の【庶兄(まませ)】当芸志美美命(たぎしみみのみこと)、其の【適后(おほきさき)】伊須気余理比売(いすけよりひめ)に娶(みあ)ひせし時、其の三(みはしら)の弟を殺さむと謀(はか)りし間に、其の御親(みおや)伊須気余理比売、【患(うれ)たみ】苦しみて、歌をもちて御子たちに知らしめたまひき

【「狭井河よ
雲立ちわたり
畝火山
木の葉さやぎぬ
風吹かむとす」

「畝火山
昼は雲とい
夕されば
風吹かむとそ
木の葉さやげる」】

と、うたひたまひき

★庶兄(まませ)
異母兄

★適后
皇后。大后と同じ
義母が継子の妻となる例はしばしばある

★患(うれた)み
腹を立てる
いまいましく思う

★狭井河よ〰️★畝火山〰️
※狭井河は皇后の家の所在地、畝火山は皇居の地。まさに動乱の起ころうとする危機を警告した
※暴風の吹く前の光景

■神武天皇がお亡くなりになった後、その三皇子の異母兄の多芸志美美命は、天皇の皇后である伊須気余理比売を妻としたが、その弟たちを殺そうと企んだので、三皇子の母・伊須気余理比売は腹立たしく、苦しく思って、歌によって息子たちに危機を知らせた

「狭井河よ、狭井河より雲がこちらの方へ湧き起こってきて、畝傍山の木の葉がざわざわと騒いでいる。今にも嵐が吹こうとしている」

「畝火山、畝火山は昼間は雲が揺れ動き、夕方になると、嵐の吹く前触れとして木の葉がざわざわと騒いでいる」


神武天皇 皇后選定 いちいち失礼

2021-01-30 15:04:15 | 日記
其の伊須気余理比売命の家、【狭井河(さいがわ)】の上に在りき。天皇、其の伊須気理比売のもとに幸行でまして、一宿寝坐(ひとよみねま)しき
【『其の河を佐韋河いふ由は、其の河の辺に山ゆり草多に在りき。故、其の山ゆり草の名を取りて、佐韋河と号けき。山ゆり草の本の名は佐韋と云ふなり』】

後に其の伊須気余理比売【宮の内に参入りし時】、天皇の御歌にのりたまはく

「葦原の
【しけし】き小屋に
【菅畳】
【いや清敷きて】
【我が二人寝し】」
とうたひたまひき

しかしてあれ坐しし御子の名は
【日子八井命
神八井耳命
神沼河耳命】
三柱

★狭井河(さいがわ)
※大神神社の摂社の狭井神社の北側を流れる川。伊須気余理比売の家は同社の東北の台地

※奈良市元子守町にある、率川神社側を流れる率川という説もあり

★其の河を佐韋河といふ由は〰️
狭井神社で四月十八日に行う鎮花祭には、三輪山の白百合の根が供えられる

★伊須気余理比売宮
畝傍の白橿原宮(かしはらのみや)
結婚してしばらくは嫁の実家に通う
何年か後には婿の家に嫁を引き取る

★しけし
汚い、粗末な

★菅畳
菅で編んだ敷物

★いや清敷きて
いよいよ、清らかな音をたてて敷く

★我が二人寝し
し→感動をこめた語法
初夜を回想する心

★日子八井命・神八井命
神沼河耳命(綏靖天皇)
三息子が「井」「河」に関係ある文字を持つのは、狭井河や狭井神社に関係あるからか

■伊須気余理比売の家は狭井河のほとりにあった。天皇はその比売の所に出かけて、一晩とまった

後になって、比売が宮中に参内した時、天皇のお歌に
「葦原の、葦の茂った原の粗末な小屋で、菅で編んだ敷物を音もいちだんと清らかに敷いて、私はおまえと寝たことだな」と歌いになった

こうして生まれた御子の名は
日子八井命
神八井耳命
神沼河耳命
の三柱である

神武天皇 皇后選定 天皇側近大久米命の入墨

2021-01-30 14:15:59 | 日記
大久米命、天皇の命をもちて、其の
伊須気余理比売に詔(の)りし時、其の大久米命の【さける利目(とめ)】を見て奇(あや)しと思ひて歌ひていはく

「【あめつつちどりましと】と
などさける利目」
とうたひき

大久米命答へて歌ひていはく
「をとめに
直に遇はむと
我がさける利目」
とうたひき

故、其のをとめ「仕へ奉らむ」と白しき



★さける利目(とめ)
目尻などを裂いて入墨をする
この入墨は南方系の風習
一種の刑罰または舞劇の俳優の扮装
とめ→鋭い目

★あめつつちどりましとと
あめ、つつ、ちどり、ましとと
大久米命の鋭い目を、これらの鳥の目にたとえた



■大久米命は、天皇のお言葉を伊須気余理比売に伝えたが、比売は大久米命の入墨をした鋭い目を見て奇しく思って歌をうたった

「あまどり、つつ、ちどり、しととのように、あなたの目は、どうして入墨をした鋭い目をしているの」

大久米命は答えて
「娘さんに直にお会いしようと思って、わたしの目はこんなに大きく鋭いのです」
と歌った

そこでその乙女は「お仕えしましょう」と申し出た


神武天皇 皇后選定 「 十分ではないが、あの年上の娘を妻にしよう」

2021-01-30 13:46:27 | 日記
ここに伊須気余理比売はその媛女どもの前に立てり
乃ち天皇、その媛女どもを見て、御心に伊須気余理比売の最前(いやさき)に立てるを知らして、歌をもちてこたへたまはく

「【かつがつも】
いや先立てる
【兄(え)をし】
枕かむ」
と、こたへたまひき

★かつがつも
じゅうぶんではないが
まあまあ

★兄(え)おし
年上の者

■ちょうどこの時、伊須気余理比売は乙女たちの先頭に立っていた

天皇はその乙女たちを見て、心の中で伊須気余理比売が真っ先に立っていることを、歌によって

「たいした者ではないけど、一番先に立っている、年上の娘を妻にしよう」と答えた

神武天皇 ・皇后の選定 ・天皇側近 大久米命 伊須気余理比売を見つける

2021-01-30 13:26:51 | 日記
ここに七媛女(ななおとめ)、【高佐士野(たかさじの)】に遊行(あそ)べり。伊須気余理比売(いすけよりひめ)、其の中に在りき。ここに大久米命、その伊須気余理比売を見て、歌をもちて天皇(すめらみこと)に白していはく

「倭の高佐士野を
七行く媛女ども
誰をし【枕かむ】」

とまをしき

★高佐士野(たかさじの)
香久山村大字南浦香山の内に天指山(あまさしやま)とゆうところあり。天指・高佐士の語義同じ

★枕かむ
枕にする
妻として抱く

■ある日七人の乙女が、高佐士野で野遊びをしていた。伊須気余理比売はその中にいた。そこで大久米命がその伊須気余理比売を見つけて、歌によって天皇に、

「大和の高佐士野を七人で行く乙女たち、その中の誰を妻としましょうか」と申しあげた