其の教え覚しのまにまに、其の八咫烏の後より幸行でませば、吉野川の河尻に到りましき
時に【筌(うへ)】を作りて魚(な)を取る人有り。天つ神の御子「汝誰ぞ」と問ひたまへば、
「僕(あ)は国つ神、名は【贄持之子(にへもつのこ)】といふ」と答へまをしき。[こは【阿陀(あだ)の鵜養(うかひ)】の祖]
其の地(ところ)より幸行でませば、【尾生(あ)る人】、井より出で来。その井に光有り。ここに「汝は誰ぞ」と問ひたまへば、
「僕は国つ神、名は【井氷鹿(いひか)】といふ」と答えまおしき
[こは吉野首(よしののおびと)の祖なり]
其の山に入りたまへば、また尾ある人にあひたまひき。この人、巌を押し分けて出で来。ここに「汝は誰ぞ」と問ひたまへば、
「僕は国つ神、名は石押分之子(いはおしわくのこ)といふ。今、天つ神の御子幸行でますと聞きし故に、参向(まいむか)へつるにこそ」と答えまおしき[これは【吉野の国巣】(くずの祖)]
其の地より【踏みうかち越えて】、【宇陀】に幸でましき。故、【宇陀のうかち】といふ
★筌(うへ)
割り竹を編んで筒形に作り、川などに仕掛けて魚を取る道具
★贄持之子(にへもつのこ)
神や天皇に捧げる食物を持つ者
★阿陀の鵜養
※阿陀
大和国宇智郡阿陀
五條市の東部に、吉野川を挟んで東阿田、西阿田、南阿田の地名が残る
十津川をさかのぼって吉野川上流の阿陀に出た
※うかひ→鵜を使って魚を取るのを業とする者
★尾生(あ)る人
吉野の木こりは、現在も冬の間、防寒その他の目的から、尾のついたままの獣皮を腰につけるという
★井氷鹿(いひか)
※井光
※吉野郡吉野町飯貝
※吉野郡川上村には井光の地名がある
★吉野の国巣(くず)
吉野郡吉野町国栖(くず)地方に住んでいた土民
大嘗祭などに参上し、歌笛を奏し御贄を献上した
★踏みうかち越えて
岩や木の間を踏み分けて
★宇陀
奈良県宇陀郡
★宇陀のうかち
宇陀郡菟田町宇賀志
■その教え覚しのとおりに、八咫烏の後から行くと、吉野川の下流に着いた。その時、筌(うけ)を作りそれで魚を取っている人がいた。この人をみて神の御子・伊波礼毘古命が「おまえは誰か」と尋ねると「私は国つ神で、名は贄持之子と申します」と答えた
そこから進むと、尾のある人が泉の中から出てきた。しかもその泉は光っていた。そこで「おまえは誰か」と尋ねると「私は国つ神で、名は井氷鹿(いひか)と申します」と答えた
そこから山に入ると、また尾のある人に会った。この人は岩を押し分けて出てきた。そこで「おまえは誰か」と尋ねると「私は国つ神で、名は押分之子と申します。今、天つ神の御子がおいでになると聞いたので、お迎えに参りました」と答えた
そこから岩や木の間を踏み分け越えて、宇陀においでになった。その困難な行軍にちなんで、そこを「宇陀のうかち」と云うのである