るるの日記

なんでも書きます

神武天皇 皇后に選定 神との聖婚

2021-01-30 13:00:52 | 日記
日向にいましし時、
【阿田】の【小椅君(おばしのきみ)】の妹、名は【阿比良比売
(あひらひめ)】に娶ひて生ませる子

多芸志美美命
(たぎしみみのみこと)
次に、岐須美美命
(きすみみのみこと)
二柱いましき

然れども更に【大后(おほきさき)】とせむ美人(おとめ)を求(ま)ぎたまひし時、大久米命まをさく
「ここに媛女(おとめ)有り。是を神の御子といふ。其の神の御子といふゆえは、【三島湟咋(みしまのみぞくひ)】の女(むすめ)
名は【勢夜陀多良比売(せやだたらひめ)】
其の容姿麗美(かたちうるは)しかりき

故、【美和の大物主神】、見感(みめ)でて、其の美人の大便為(くそま)る時、【丹塗矢(にぬりや)】に化(な)りて、其の大便為る【溝】より流れ下りて、其の美人の【ほと】を突く

其の美人驚きて、立ち走り【いすすきき】。乃ち其の矢をもち来て、床の辺に置けば、忽(ただ)ちに麗しき壮夫(おとこ)に成りて、即ち其の美人に娶ひて生みし子、名は
【富登多多良伊須須岐比売命
(ほとたたらいすすきひめのみこと)】といひ、またの名は
【比売多多良伊須気余理比売
(ひめたたらいすけよりひめ)】といふ。是は其のほとと云ふ事を悪(にく)みて、後に改めし名ぞ
故、是をもちて神の御子といふなり」とまをしき

★阿多
※日向国吾田邑
※鹿児島県加世田市周辺

★小椅君
阿多隼人の土豪
君→姓(かばね)の名

★阿比良比売(あひらひめ)
あひら→大隅半島の肝属郡吾平町周辺の地名で、この地にちなんだ姫

★大后(おほきさき)
皇后(嫡后・正妃)

★三島湟咋(みしまのそくひ
※大阪府三島郡地方の豪族
または、その豪族の祀った神
※茨木市五十鈴町に溝咋神社がある
溝は川屋(厠
咋は杭で男根
を連想させ、これが丹塗矢伝説に発展する

★勢夜陀多良比売(せやだたらひめ)
※せや→矢じりが金属製の征矢(そや)
※たたら→風を送るふくろ。同時に「立たれ」の名詞系で、矢を立てられた姫の意味

※鍛冶職は守護神として雷蛇神を信じ、その巫女に雷蛇神が依りつくことから鍛冶屋の巫女が本義と見られる

★美和の大物主神
奈良県桜井市にある三輪山
大物主神は大国主神の別名

★丹塗矢
赤く塗った矢
矢は神霊の依代
赤色の矢は邪霊を祓う呪力を持つ
雷電・男性器の象徴

★溝

★ほと
女陰

★いすすきき
驚き、あわて、うろたえる
身震いする

★富登多多良伊須須岐比売命
(ほとたたらいすすきひめのみこと)
女陰に矢を立てられ、あわてふためく姫
ほと→鍛冶の炉を連想している

★比売多多良伊須気余理比売
(ひめたたらいすけよりひめ)
※いすけ→「いすすき」のいいかえ
※よりひめ→神霊の依る姫

■神武天皇が日向にいた時、阿多の小椅君の妹で、名を阿比良比売という方と結婚して生れたて子に
多芸志美美命、次に岐須美美命の二柱がいた

しかし、さらに皇后とする乙女を捜していた時、大久米命が
「ここに一人の乙女がおります。この方は神の御子といわれています。神の御子といわれるわけは、三島皇咋の娘、名を勢夜陀多良比売と申す乙女がいて、その容姿は大変美しいものでした。

そのため三輪の大物主神が、この娘を見てたいへん気に入って、乙女が大便をする時、赤く塗った矢に姿を変えて、大便をする厠から流れ下り、乙女の陰部を突きました。その乙女はびっくりして走りまわり、あわてふためきました

それからその矢を持って寝床の側に置きますと、矢はたちまち端麗な男となり、やがてその乙女と結婚して生んだ子は名を
富登多多良伊須須岐比売命
(ほとたたらいすすきひめのみこと)

またの名を

比売多多良伊須気余理比売
(ひめたたらいすけよりひめのみこと)
と申します。これはホト(陰部)ということを嫌って、後で改めた名です

以上な事情で神の御子と申すのです」と申し上げた







神武天皇 邇芸速日命参上・登美能那賀須泥毘古の妹を娶り子を作る→天下治める

2021-01-30 10:46:32 | 日記




故、ここに【邇芸速日命(にぎはやひのみこと)】参赴(まいおもむ)きて、天つ神の御子にまをさく

「【天つ神の御子、天降(あも)り坐(ま)しつ】と聞きしかば、追ひて参降(まいくだ)り来つ」とまをして
即ち【天津瑞(あまつしるし)】を献(たてまつ)りて仕へ奉(まつ)りき

故、邇芸速日命、登美毘古の妹、登美夜毘売(とみやびめ)に娶(みあ)ひて生める子、【宇麻志麻遅命(うましまぢのみこと)】〈此は【物部連】・穂積臣・うねめ臣の祖なり〉

故、かく荒ぶる神等を言向け平和(やは)し、伏(まつろ)はぬ人等を退(そ)けはらひて、【畝火(うねび)の白橿原宮(かしはらのみや)】に坐(ま)しまして、天下(あめのした)治めたまひき

★邇芸速日命(にぎはやひのみこと)
物部氏の祖神

★天つ神の御子天降り坐しつ
※天つ神の御子→天孫・邇邇芸命とする説があるが文脈から、伊波礼毘古命とする

※天降(あも)り
神武東征は天孫降臨を背景にしているので、天降りとなる

★天津瑞(あまつしるし)
天つ神の子であるしるしの神宝

★宇麻志麻遅命(うましまぢのみこと)
神武紀では、邇芸速日命がナガスネビコの妹のミカシキヤヒメを娶って生んだ子としている

★物部連
物部氏は朝廷の軍事を司る氏族
もの→神秘、精霊という意味があり、呪術・神事に長じた氏族でもあった

★畝火の白橿原宮
橿原市の畝傍山の麓に造営された宮殿

■ここに邇芸速日命が参上して、天つ神の御子に「天つ神の御子が天降りなされたと聞きましたので、その後を追って天から降って参りました」と申して、天つ神のの子である証しの神宝を献上し、お仕えした

邇芸速日命が、登美毘古の妹の、登美夜毘売と結婚して生んだ子は、宇麻志麻遅命である

以上のようにして、荒ぶる神どもを平定し、服従しない者どもを撃退して、畝傍の橿原宮にいらっしゃって、天下を治めた

♦️大阪で登美毘古をまだ討ててなかったんだ





神武天皇 腹が減り、疲労困憊の歌

2021-01-30 09:37:05 | 日記
【兄師木(えしき)・弟師木(おとしき)】を撃ちたまひし時、御軍暫し疲れき。ここに歌のりたまはく

「【盾並(たたな)めて】
【伊那佐の山】の
木の間よも
【い行きまもらひ 】 戦へば
われはや飢ぬ
島つ鳥
【鵜養】が伴
今助けに来ね
とうたひたまひき

★兄師木・弟師木
しき→地名
奈良県磯城郡・桜井市地方の土豪の兄弟

★盾並めて
盾を並べて弓を射る
(伊那佐の枕詞)

★伊那佐の山
奈良県宇陀郡榛原町の山
八咫烏神社の東方の山

★い行きまもらひ
い→接続語
まもらひ→見張る

★鵜養
鵜で魚を取るを職として朝廷に仕える部民

■兄師木・弟師木を討った時、皇軍はしばらくの間疲れた。そこで

「盾並めて
伊那佐の山の
木の間を通って
見張りながら戦っていると
私は、腹がへってしまった
島つ鳥、鵜飼の部民よ
今すぐ助けに来い」

と歌った