るるの日記

なんでも書きます

るるの随筆「自由意思がやっと発動した」

2022-12-02 09:29:54 | 日記
■人間の心は太古の昔と変わらず、自由意思は我欲と相克を繰り返している。
神は願う「善も悪も成し得る自由の中で、自らの意思で善を選べ。個々別々の命であるが、他者との心を結び合わせる愛を選べ。そこに生じる喜びはあなたたちのものである。そして創造主(力の本源)のものである。」

■自由意思を停止させ、何も成さざる自分に慣れ親しむ。自分が意思して動くことで、他人も自分も傷つけてきた過去に落胆し、心の扉を固く閉める。意思停止は他人も自分も傷つけないための防衛なのです。

■暴露
意思の停止理由は、傷つきやすい心を守るための防衛。それは自分のことばかり心配し、自分だけの損得感情でかけひきをしていたということ。

人は比較する生き物である。
比較には基準がある。
基準が自分の損得だと、嫉妬の深みにはまり、常に自分側の得になることを選ぶ。自分以外の他者を裁き、自分を犠牲者に、他者を加害者に仕立てあげる。すべてを自分の得になる出来事に脚本する。「不幸で可哀想な私。その原因は他者や環境」「私は廻りより優れていて特別」
そんな卑下慢、傲慢な自分が炙り出されていく。辛い。

■火種は自分自身。燃え盛る業火には必ず我欲という火種がある。そこを思い出すことは辛いのだけど、心の法則は自分の愚かな心の魔を暴露しては、浄化をはたす。自身の燃え盛る業火にて焼き付くす。
だけれども、自我の火種は残る。
心の魔を焼くためだ。

自我が悪なのではない。己心の魔が、自我を悪へと向かわす。
心の法則は、自我と合わせ鏡
自身の心を暴露しては、浄化をはたす。

■はじまり
本心を我欲に引きこもらせて、自我による自己完結世界を作った。
都合のいい世界だ。
自分の判断基準に、他者を無理矢理あてはめ、決めつけ、レッテルをはって、自身の優越感を満足させていた。
「他者の本心に、悪意あり」と決めつける自分の悪意の存在。
自分勝手な思惑の自覚。
そこから何かがはじまった。


るるの随筆「力=働きの元=法則=観察者と自我の自由意思」

2022-12-02 07:39:32 | 日記
■老いと多幸感
100歳近くになると多幸感が急激に高まり、豊かな精神世界に突入するという。
なぜならば、幸福感を司る脳は発達を続けるが、その他の脳(他者による防衛やら、他者との比較による優越・劣等感など)は衰退するので、その他の脳に遮られることなく、ストレートに幸福感を実感できるから。これは過去も未来も無く、只今だけを実感できるようになったからでしょう。やっと、、、

★身体的健康への欲の消滅
健康に拘らない=生死に拘らない

★活動への活力消滅し活動することに拘らない
役割いらない、意味いらない、承認いらない、、、

病気、老い、死、生きているという概念は消滅し、只今の幸だけを感受できるようになる
だからか、、100歳近くになれば、眠る時間が増えていく

私は、100歳を待たずに、今からそのような多幸感を得たい。だが、私はまだ動かねばならない義務みたいなものがあり、活力は消滅させたくない。だけどその活力があるからこそ、自分と他人を比較し優越、劣等感を生んだり、認めてもらいたいとか、使命にこだわったりして幸せではなくなる
私は活力の廻し方が下手なんだろうか?

■力とは働きの元
元気とは元の気
活力をわかせるとき、自力はいらないんじゃないかしら?

私の心臓を動かしているのは、
宇宙を動かしている力と同じでしょう。だからその元の力にゆだねれば、力まずに動けそう

元の力
本源の力
力の泉は何だろう?
神様?

■初めに「場」が現れた
果てのない場だ
その場には何一つない
ただ場があるのみ
変化無く、時間無し、停止の場
だから縁も因も関係性もない
比較なしの一元世界

果てがない場だが、
同時にそれはただ一点の場であり
二つの側面のある
永遠の今

例えると分子に似ている
分子は果てない波の側面と、一点の粒子の側面とを合わせ持つ。観察されている時は粒子に、観察されていない時は波に変化する
この変化には観察者が存在する

「観察者」は「場」の登場以前にいたのである
観察者とは「法則」である
法則によって場はできた
【生成発展】という法則によって

生成発展の法則は「綿密な計画と智慧と慈悲が組み込まれた一つの【種子】を撒く」ために、場を作ったのさ
種子から芽が出れば、再びそこからたくさんの種子をつけ、それが場にばらまかれる。種子のすべては生成発展のための【綿密な計画、智慧、慈悲遺伝情報】をもつ。そして【自由意思の法則】が組み込まれて、、
自由意思とは別名「自我」。

その場や種子、種子から生れた自我はまだまだ精神だけで、肉体は持たなかった。しかし、自我は自由意思で肉体を作りたくなり、物質的ビックバンをはじめた。ビックバンは物質の始まり。ビックバンは自我の自由意思からはじまった。物質をつくるビックバンは観察者法則にもかなったのである。