るるの日記

なんでも書きます

自分を投げ出し捨てた、、

2022-12-11 22:26:27 | 日記
■ルルはこの世の苦者
ルルは、五濁悪世真只中で苦悩のどん底にあえぎ、悪業に引きずられて行く運命の人間です。
自力に力みつつ、自力につまずいている弱者です。
人間はすべて、、めいめいの苦海に沈んでいるのだろうか?
一切の人間は、全て悩んでいるの?
毎日、毎日、うめいているの?
ぶつぶつ愚痴っているの?
一方で名利に振り回され、のぼせ上がって疲れはてる。

この行き詰まりの、この有様は、自己の煩悩からだったんだと、反省し得た時、その時が、如来の光に照らされた瞬間でした。

苦にいて、苦にならず
楽にいて、楽にならざる
滅なる中道の救いが開かれました。

■内省
苦しみに正比例して、内省が深まる。
「ルルはまさに過去久遠から苦海に沈んでいた。今後も永遠に苦海に沈むだろう、、そうゆう運命なんだ、、
あぁ、、他人ではなかった。この自分こそ悪人だ。痛い痛い、、
変わらなければ、、と、、努力はするが、反対に底なし沼へ沈む。
涙にくれ、底なし沼に沈む夜。
この世は安きことなし。
火宅の如し。
愛欲がからまり、ルルの人生は乱舞する。ルルはボケ酒を飲み、のぼせ上がり、目玉を白黒させている。
名利より愛が欲しい!
愛欲はルルをボケさせる。
女人は男子より罪が深い。
女性的愛欲の潤いは、男性的名利よりいっそう命をボケさせてしまう。
この行き詰まりの、この有様は自己の煩悩」

もう、自分の力では
もう、どうにもならないのです
もう、、どうにもならないのです
投げ出し、捨てた






他力本願「幸福とは何か?無量光・無量寿の幸福でないと、もだえの素になる」

2022-12-11 16:40:17 | 日記
現世の幸福は、無量光・無量寿の幸福でないと、「もだえの素」になる
無量光・無量寿の幸福は
たとえば貧・富との2つの底に流れる幸福感である
「おかげさまで金持ちになりました。」
「おかげさまで貧乏になりました。」
その幸福世界はまことの感得から気づく
まこととは、親鸞聖人が、一生を通じて真実と仰せられていることで、仏とはその真実が人格に顕現している
真実とは、
無量光・無量寿が国土となって顕れていて、それが極楽浄土。それが真実。
無量光・無量寿の2つの無量のみ光を仰いだときに、真実価値にふれ、謎を解決せしめる
幸・不幸の分かれ目は
光を感得するかしないか
感得とは、
如来のみ光を、心の目で聞くこと
聞くこと=見ること=感得
そしたら法悦がわく
それが幸福
おかげさまで金持ちになりました。
おかげさまで貧乏になりました。
という世界

他力本願「生死の中という夢から覚めたら」

2022-12-11 15:11:02 | 日記
現世は確かで浄土は夢か?
現世は借りもの。しかし浄土があるから、現世も生き生きと守られている。
浄土の光はこの世もあまねく照らす。

生死の中での幸福追及は、
追っている事態、夢である。
浄土の光をこうむって夢から目覚める。
生死は破れ、浄土を知り
そこから再び現世を見直して、
現世をかたじけなくおしいただく。
転換が開かれる。

他力本願「拒否の前に立つことができるか?崩れ去るか?」

2022-12-11 14:59:14 | 日記
報恩
法を転ずる
救われた者は、救うあるじとなる

わたしを見る者は法を見る
法を見る者はわたしを見る
と、つきまとう利己的人間臭
「私は人からほめられたい」
「私は人から悪く言われたくない」
「私はうまいことをしたい」
「私は人に勝ちたくてしょうがない」
「私は負ければ悔しい」

私有できないところに真実がある
奉納する場が真の所有
奉仕で独立独歩
だが
わたしは名聞にそそのかされ大事に逢いながらも、かえっていく。
本願に支えられて、念仏しつつ、業を果たす。
静かな平常心が燃える。

利己的に生きていたら、
私への批判や拒否は、
願って逢えるものではない。
真向かいからの拒否がなければ、
そのまま現状維持に甘え堕落。。
やりきれない。
私は真向かいからの拒否の前に立つことができるか?崩れ去るか?逃げるか?試される。

世間は泥だ。
泥は醜悪ではない。
泥中生蓮。
煩悩の泥中にこそ、如来正覚の蓮華が開く。
うろたえる心のままで、裸で如来に対座する。

他力本願「全体でうなずく」

2022-12-11 14:29:16 | 日記
「救われた」ということは、
私の全体でうなずいたこと。

自分を変えねばと苦しんで、
変えようとしても変わらないことを知って、どうしようもなく、身の置場所がなくなった。

だから、、
「救われたい」と願った。
頭が下がった。

南無阿弥陀仏という如来のことば。その声にうなずいた。
救いの響き、念仏の響き、
如来の真実にうなずいた。
感応道交なければ、救いも、
いっときの感情として流されゆく。
仏の意志、南無阿弥陀仏を私に与えること。
仏の方から私は念ぜられる。
仏は私を念じる。
仏は私を忘れてはいない。
気づかず仏の方から念ぜられている。

阿弥陀仏は有ると思うことではない。人間の思いは迷乱する。
思いつかれ、思い破れたとき、私のために仏ははたらかれる。
人間の配慮を必要とせず、決まっている救い。

救われた人の口からもれる念仏。
たすかっている声。
定まる、ひるがえり。
法に依りて、人に依らざれ。
法に依れる人を見いだす。


この身は、ここに置いておけることになった。
ひるがえりがおきた。