遠くまで・・・    松山愼介のブログ   

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ
読書会に参加しているので、読んだ本の事を書いていきたいと思います。

『永遠の0』

2014-07-20 20:51:30 | 映画を楽しむ
   『永遠の0』(小説、百田尚樹 映画、山崎貴監督)     
松山愼介

百田尚樹の『永遠の0』が良いという話を聞いて読んでみた。ゼロ戦を扱っているということは聞いていて、戦争賛美の本なのかと思ったが、全然違った。むしろ戦争批判の小説であった。宮部久藏という特攻で死んだ祖父の真実を、孫の姉弟が、生きている戦友に聞いてまわるというのがおおまかなストーリーである。最初に話を聞いた戦友は臆病者だといった。ここが小説なので、祖父の真実は臆病者という一番最低のラインから凄腕のゼロ戦乗りだったというように、右肩上がりに評判は上がっていく。
祖父久藏は出征する直前に結婚しており、女の赤ちゃんも生まれていた。彼は必ず帰ってくると妻に約束する。死んでも帰ってくる、と。この約束を守るために、彼は操縦の腕を磨き、戦場では何よりも自らの生還を優先した。そのため空中戦では敵機より上方にあって攻撃をする。無駄な空中戦はしない。その姿勢が他の操縦士からみれば臆病者に映ったのである。ゼロ戦のエンジンが不調の部下には、無駄に自爆させずに不時着を命じて、あくまで生きることを追及させた。大成功といわれた真珠湾攻撃でもアメリカ軍の対空砲火のため二十九機が未帰還機となり、また多くの航空機が被弾した。攻撃部隊の戦死者は五十五名であった。
ミッドウェー海戦では日本軍は大敗北を喫した。しかし空母三隻が撃沈、一隻が大破したが多くの搭乗員は救助され、次の決戦地、ラバウルに送られた。日本軍は戦線を拡大し、遠く南方のガダルカナル島に航空基地を建設しようとしていた。しかし滑走路ができるやいなや、アメリカ軍の攻撃を受け占領されてしまう。日本軍は慌てて、奪回を目指したが兵力の差は歴然だった。このガダルカナル島の戦いにラバウルからゼロ戦が出撃させられたのである。ゼロ戦は航続距離が長かったので、片道三時間という長距離を飛んでの航空戦であった。帰りの燃料を考えるとガダルカナル島上空で戦えるのは十分前後であったという。しかも搭乗員は目視で片道三時間を飛ぶのである。空の上で方向感覚を失ったら、基地にたどり着く前に燃料が切れてしまうのだ。
日本軍の優秀な搭乗員をミッドウェー海戦で失ったのかと思っていたら、失ったのはこのラバウル、ガダルカナルでの消耗戦であったらしい。それでもガダルカナル島を放棄してからも日本軍はラバウルで良く戦ったということだ。私の太平洋戦争の理解ではミッドウェー海戦の敗北で日米戦争の帰趨は決していたのかと思っていたら、この南方で陣地戦が続いていたのだ。しかしラバウルでの戦いで優秀な搭乗員を失い、ここで戦争の帰趨は決した感がある。しかも、アメリカはグラマン戦闘機F4Fの改良型F6Fを投入してきた。これはゼロ戦の1000馬力のエンジンに対して、2000馬力のエンジンを搭載しており、防御力も格段と向上していた。このためマリワナ沖海戦では七面鳥撃ちといわれたほど、日本の航空機は撃墜され、その性能、搭乗員の技量の両面において全く優位性を失ってしまった。一時は国内で教官として搭乗員の養成にあたった宮部久蔵であったが、生徒の技量が航空戦に耐えると思えなかったので、なかなか合格点を与えず、上部から疎まれ再び前線に送られることになった。そこで特攻部隊に組み入れられるのである。(ここからも、物語は続き、感動の結末へ至るのだが、それを書いてしまうとネタバレになってしまうので触れないでおく)。
百田尚樹は中国からは右翼作家といわれているそうだが、戦場において、自分の生命をいかに大事にするかをテーマにしつつ、一方で日本軍の司令官を批判している。南雲、栗田といった大艦隊を率いた司令官は最後まで戦うことなく、そこそこの戦果をあげれば逃げるように戦場を離脱したと。またアメリカの9・11の同時多発テロがカミカゼ攻撃と言われたことに対して、特攻は敵の戦闘部隊に対しての攻撃であり、民間人を巻き込んだ同時多発テロと全く異なると明確に主張している。
映画は自宅から車で二、三十分のところにある大日イオンモールでやっていて、駐車料金は無料であった。映画は主演岡田准一で、妻に井上真央、孫の姉弟に吹石一恵、三浦春馬という配役であった。岡田准一は現在、NHK大河ドラマで黒田官兵衛役を務めている。
以前、NHKの番組で岡田准一と五嶋龍の対談を見たことがある。五嶋龍はあの天才バイオリニスト五嶋みどりの弟で、その技量は姉に勝るとも劣らないといわれている。この番組で、岡田准一は、自分はスタントを使わないように身体を鍛えていると語っていた。なぜスタントを使わないかというと、スタントを使うとカメラアングルが限定されてしまうからということであった。スタントを使うと顔がわかってしまうので、正面から撮影することはできなくなる。つまり単なる俳優として、務めればいいという考えではなく、監督を始めとするスタッフ全体のことを考えて撮影に望んでいるのである。大河ドラマでも、大道具、小道具さんがいなければ時代劇はできないと語っていた。きちんとしたセットがあってこその俳優ということを、若いにしては良く自覚していて感心した。
今までの日本の戦争映画はハリウッドと比べるとチャチなものであった。しかしこの『永遠の0』はVFX(特撮視覚効果)の技術も向上し、ゼロ戦の実物大の模型も造られ、かなりの迫力のある戦闘シーンが実現されていた。
                       2014年3月31日

最新の画像もっと見る

コメントを投稿