川上弘美『真鶴』 松山愼介
『真鶴』が出版されたのは二〇〇六年である。川上弘美は二〇〇九年四月に離婚している。その後、自分が所属している俳誌『澤』を主宰している小澤實(一九五六年生れ)という俳人と再婚したらしい。二〇一二年頃か?八上桐子という神戸新聞の川柳欄の選者が自身の実名のブログに書いている。
『真鶴』は失踪した夫を求めて、東京と真鶴を往還する女の物語である。《この電車は、真鶴と東京を結ぶいれものだ。わたしのからだを、まぼろしからうつしよへ、またはんたいに、今生から多生へはこんでくる、いれものだ》と書いている。ここで《今生》と《多生》を強調するために、他の部分はひらがなが多く使われている。この語法は川上弘美の特徴らしい。残された夫の日記には《21:00》と、《真鶴》というキーワードがある。《21:00》、即ち九時という時刻には覚えがあった。夫の失踪の三日前、新聞の家庭面に《奈落》という見出し語があり、礼に呼びかけたのだった。いつもは呼びかけた声は虚空に消えるのだが、この日は礼の《京》という答える声がリビングの天井あたりに、かすかに聞こえた。
夫の失踪の手がかりを求めて真鶴へ向かう。真鶴で《歩いていると、ついてくるものがあった》。京は憑かれやすい体質のようである。何十人かに憑かれることもあるのだが、メインは女である。ちなみに川上弘美はアメリカにいる時にUFOを見たことがあるという。このついてくる女は七人の子を産み、生まれた双子を海に投げ入れたという。この女の導きによって、京は礼と首にほくろのある女が目合いしているのを見たり、礼の首を締めたりしているが、これは事実か幻想かわからない。百が夜遅く帰って来なかった時、女が京を川原にいる百のところに連れて行ってくれる。百は礼と会っていたらしい。
現実に引き寄せて考えれば、結婚生活が破綻している女性が、夫と別れる決心をするまでの物語である。それを、だいたい千字から千二百字くらいのパラグラフを重ねていく手法で、時間や場所が様々に変化するのだが、読んでいてその変化にそう違和感がない。違和感はないが、不思議な世界に引き込まれるとは感じる。難しく言えば《リアリティ水準の錯乱による異化》というらしい。よしもとばななも吉本隆明が死ぬ前に『もしもし下北沢』という、父親が若い女性と心中してしまうという小説を書いている。よしもとばななも霊感があり、小人や霊を見たというような作品を書いている。私はきわめて現実主義者なので、このようなオカルトチックな作品は苦手である。ただ川上弘美は歳を重ねるごとに、リアリズムに傾いていると思う。
注目すべきは川上弘美が大震災後に『神様2011』という作品を書いていることである。これは一九九三年に発表された『神様』をリメイクしたものである。『神様』はお隣にくまが引っ越してきて、そのくまと川原へ散歩しに行くという話である。それが『神様2011』では、風景は原発事故によって変化している。子供は一人もいず、防護服を付けた大人が作業している。散歩から帰るとくまはガイガーカウンターで、二人の放射線量を測定する。あとがきで《原子力利用にともなう危険を警告する、という大上段にかまえた姿勢で書いたのでは全くありません。それよりもむしろ、日常は続いていく、けれどその日常は何かのことで大きく変化してしまう可能性をもつものだ、という大きな驚きの気持をこめて書きました。静かな怒りが、あの原発事故以来、去りません。むろんこの怒りは、最終的には自分自身に向かってくる怒りです。今の日本をつくってきたのは、ほかならぬ自分でもあるのですから》と書いている。
前半の「日常は何かのことで大きく変化してしまう可能性をもつ」というのは、夫の失踪で日常が全く変わってしまった『真鶴』に通じるものがある。ところが後半はごく普通の原発事故についての反応である。これを川上弘美をさえ、驚かした原発事故とみるのか、原発事故に普通の反応しか示さなかったとみるのか微妙である。(ここのところは、原発事故を批判しながらも、加藤陽子、加藤典洋、高橋源一郎らの原発非難の言説を戦後の「一億総懺悔」的なものとして捉えた金井美恵子『目白雑録5 小さいもの、大きいこと』を参照した)
それにしても川上弘美ファンの多いことには驚く。高橋源一郎は『真鶴』を四回も読んだという(『さよならニッポン ニッポンの小説2』)。『真鶴』の解説を書いている三浦雅士、『蛇を踏む』の松浦寿輝、きわめつきは『センセイの鞄』の哲学者木田元である。吉本派の三浦雅士の解説は、前半は世阿弥の幽霊によりながらも、後半は統合失調症の病態として捉えている。これはいうまでもなく吉本隆明『マス・イメージ論』の「変成論」(カフカの『変身』を扱う)の適用である。松浦は自在に生成変化するものとして蛇を捉えている。木田元は川上弘美の《私の小説の中では、時間が真っすぐに流れない》という発言から、ドイツ教養主義の単線的な時間の流れを、苦労して克服しようとしたカフカ、ムジール、ジョイス、フォークナーの営為を軽々と超えてしまったと書く。
このように川上弘美が絶賛され、彼女が芥川賞、谷崎潤一郎賞、三島由紀夫賞らの選考委員を兼ねているということは、逆に現代文学(特に男性)の衰退を象徴しているのかも知れない。(小谷野敦によると川上弘美の亜流とされる、小川洋子も芥川賞、三島由紀夫賞の選考委員をしている。) 2014年7月12日
『真鶴』が出版されたのは二〇〇六年である。川上弘美は二〇〇九年四月に離婚している。その後、自分が所属している俳誌『澤』を主宰している小澤實(一九五六年生れ)という俳人と再婚したらしい。二〇一二年頃か?八上桐子という神戸新聞の川柳欄の選者が自身の実名のブログに書いている。
『真鶴』は失踪した夫を求めて、東京と真鶴を往還する女の物語である。《この電車は、真鶴と東京を結ぶいれものだ。わたしのからだを、まぼろしからうつしよへ、またはんたいに、今生から多生へはこんでくる、いれものだ》と書いている。ここで《今生》と《多生》を強調するために、他の部分はひらがなが多く使われている。この語法は川上弘美の特徴らしい。残された夫の日記には《21:00》と、《真鶴》というキーワードがある。《21:00》、即ち九時という時刻には覚えがあった。夫の失踪の三日前、新聞の家庭面に《奈落》という見出し語があり、礼に呼びかけたのだった。いつもは呼びかけた声は虚空に消えるのだが、この日は礼の《京》という答える声がリビングの天井あたりに、かすかに聞こえた。
夫の失踪の手がかりを求めて真鶴へ向かう。真鶴で《歩いていると、ついてくるものがあった》。京は憑かれやすい体質のようである。何十人かに憑かれることもあるのだが、メインは女である。ちなみに川上弘美はアメリカにいる時にUFOを見たことがあるという。このついてくる女は七人の子を産み、生まれた双子を海に投げ入れたという。この女の導きによって、京は礼と首にほくろのある女が目合いしているのを見たり、礼の首を締めたりしているが、これは事実か幻想かわからない。百が夜遅く帰って来なかった時、女が京を川原にいる百のところに連れて行ってくれる。百は礼と会っていたらしい。
現実に引き寄せて考えれば、結婚生活が破綻している女性が、夫と別れる決心をするまでの物語である。それを、だいたい千字から千二百字くらいのパラグラフを重ねていく手法で、時間や場所が様々に変化するのだが、読んでいてその変化にそう違和感がない。違和感はないが、不思議な世界に引き込まれるとは感じる。難しく言えば《リアリティ水準の錯乱による異化》というらしい。よしもとばななも吉本隆明が死ぬ前に『もしもし下北沢』という、父親が若い女性と心中してしまうという小説を書いている。よしもとばななも霊感があり、小人や霊を見たというような作品を書いている。私はきわめて現実主義者なので、このようなオカルトチックな作品は苦手である。ただ川上弘美は歳を重ねるごとに、リアリズムに傾いていると思う。
注目すべきは川上弘美が大震災後に『神様2011』という作品を書いていることである。これは一九九三年に発表された『神様』をリメイクしたものである。『神様』はお隣にくまが引っ越してきて、そのくまと川原へ散歩しに行くという話である。それが『神様2011』では、風景は原発事故によって変化している。子供は一人もいず、防護服を付けた大人が作業している。散歩から帰るとくまはガイガーカウンターで、二人の放射線量を測定する。あとがきで《原子力利用にともなう危険を警告する、という大上段にかまえた姿勢で書いたのでは全くありません。それよりもむしろ、日常は続いていく、けれどその日常は何かのことで大きく変化してしまう可能性をもつものだ、という大きな驚きの気持をこめて書きました。静かな怒りが、あの原発事故以来、去りません。むろんこの怒りは、最終的には自分自身に向かってくる怒りです。今の日本をつくってきたのは、ほかならぬ自分でもあるのですから》と書いている。
前半の「日常は何かのことで大きく変化してしまう可能性をもつ」というのは、夫の失踪で日常が全く変わってしまった『真鶴』に通じるものがある。ところが後半はごく普通の原発事故についての反応である。これを川上弘美をさえ、驚かした原発事故とみるのか、原発事故に普通の反応しか示さなかったとみるのか微妙である。(ここのところは、原発事故を批判しながらも、加藤陽子、加藤典洋、高橋源一郎らの原発非難の言説を戦後の「一億総懺悔」的なものとして捉えた金井美恵子『目白雑録5 小さいもの、大きいこと』を参照した)
それにしても川上弘美ファンの多いことには驚く。高橋源一郎は『真鶴』を四回も読んだという(『さよならニッポン ニッポンの小説2』)。『真鶴』の解説を書いている三浦雅士、『蛇を踏む』の松浦寿輝、きわめつきは『センセイの鞄』の哲学者木田元である。吉本派の三浦雅士の解説は、前半は世阿弥の幽霊によりながらも、後半は統合失調症の病態として捉えている。これはいうまでもなく吉本隆明『マス・イメージ論』の「変成論」(カフカの『変身』を扱う)の適用である。松浦は自在に生成変化するものとして蛇を捉えている。木田元は川上弘美の《私の小説の中では、時間が真っすぐに流れない》という発言から、ドイツ教養主義の単線的な時間の流れを、苦労して克服しようとしたカフカ、ムジール、ジョイス、フォークナーの営為を軽々と超えてしまったと書く。
このように川上弘美が絶賛され、彼女が芥川賞、谷崎潤一郎賞、三島由紀夫賞らの選考委員を兼ねているということは、逆に現代文学(特に男性)の衰退を象徴しているのかも知れない。(小谷野敦によると川上弘美の亜流とされる、小川洋子も芥川賞、三島由紀夫賞の選考委員をしている。) 2014年7月12日
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