弐千円札よ永遠に

Remember the 2000-yen bill!

年度始めにあたり

2010-04-01 22:09:16 | 弐千円札/論説
2010年度が始まった.私が二千円紙幣を使い出してから約3年が経った.

私が二千円紙幣を使い始めたのは,それを使うことで頭の体操をしようと思ったことによる.当時は研究者であった私は,文字通り「頭脳が資本」であった.二千円紙幣というよく分からないものを新たに受け入れ使ってみることで,その頭脳に刺激を与えて活性化につなげたいと考えたのだった.

実際に二千円紙幣を仕入れて使うたびに思う.二千円札大使MOAIさんの格言にあるように,二千円紙幣に対応できていないのは機械ではなく人間の方であると.そしてこうも思う.二千円紙幣の存在を知り,あるいは思い出し,興味を持ち,使い慣れるということは,多くの人々にとって知的なチャレンジであると.

二千円札それ自体は日本銀行券の一券種に過ぎない.しかしながら,それは我々の中に眠っている能力を覚醒させるポテンシャルを秘めている.「脳を活性化させる…」とか「頭がよくなる…」などという本を読む前に,二千円紙幣を手に入れて使ってみていただきたい.
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両替にかかるコストを減らすには

2010-02-09 22:56:26 | 弐千円札/論説
小売業や飲食業を営んでいる方々の多くは,客に出す釣り銭を用意するために金融機関で両替を頼んでいると思う.当然のことながら,仕入れる千円券などの枚数が多くなれば両替手数料を取られることになる.

ここでこのような話を持ち出すということは,要するに「二千円券を釣り銭に利用しよう」ということを呼びかけたいわけである.

仮に,釣り銭として0円,1,000円,2,000円,3,000円,4,000円,5,000円,6,000円,7,000円,8,000円,9,000円を出さなければならないような事態が等確率で起こると仮定する(小銭は別).釣り銭の支払いをすべて千円券で行う場合,一回あたりの取り引きで消費される紙幣の枚数は4.5枚と見積もられる.しかしながら,千円券に加えて二千円券を用いれば,その枚数は2.5枚へと減少する(千円券と五千円券の組み合わせでも2.5枚であるが).ちなみに,千円券,二千円券,五千円券を用いれば,それは1.8枚にまで減少する.

これは,金融機関で仕入れる紙幣の枚数を60パーセント削減できることを意味している.たかが両替手数料,されど両替手数料である.

二千円札を入れると頭が混乱するという方は,脳の老化が進んでいる可能性がある.脳を若返らせるために,あえて二千円札を扱ってみることをお勧めする.二千円札を釣り銭として出すと客が嫌がるのではないかと懸念している方もいよう.そのような方には,「あなたは客が嫌がるようなことを今まで全くしたことがなかったか」と問いたい.無愛想な応対,値上げ,等々...反省すべき材料は,二千円札についてどうこう言う前に山ほどあるはずである.

今回も強引な展開になってしまったが,二千円札に関して前向きな気持ちになってくださる商店主の方々がいらっしゃれば幸いである.
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平和希求紙幣

2010-01-20 20:26:40 | 弐千円札/論説
現在の日本において,多くの人は二千円札について「いらない」,「税金の無駄」,「紛らわしい」,「計算が面倒」と思っている.しかしながら,私が見るところ,彼らの多くは彼ら自身の頭で考え信念を持ってそう思っているわけではない.その大多数は,マスコミのネガティブキャンペーンや他人からの伝聞を鵜呑みにし,あるいはその場の雰囲気に飲まれて,さらには「とりあえず国のやることを批判しておけば無難だ」と考えたりして,二千円札の存在を否定しているのである.

そればかりではない.さらには場の雰囲気に乗じて,二千円札に肯定的な人々に異端者のレッテルを貼り,嘲り糾弾するといった行動に出ることもある.自らが二千円札大使であることを明らかにし,二千円札の普及に向けた行動を取ることは,時として,いばらの道を往くことでもあるのだ.

自分の頭で考えず,場の雰囲気に乗じて事の是非を断じ,異論を唱える者を理不尽に糾弾する...しかしながら,それは別に二千円札の話に限ったことではない.さらには何か別なことを連想させる.約70年前にも,軍部の人間,政治家,民衆は同じような心理に支配されていたのではないか.その戦争に勝ち目がないと分かっていた人間がいたにもかかわらず,彼らに非国民のレッテルを貼って迫害し,結果として悲惨極まりない敗戦を経験したのではないか.

多少論理が飛躍してしまったが,このことは私にあることを気づかせてくれた.やはり,二千円札は「平和希求紙幣」だったのだと.

平和を希求することとは,「何ごとも話し合いで解決できる」,「武器を持たなければ戦争になどなりっこない」,あるいは「日本という国さえなくなれば世界は平和になる」などと考えることでは断じてない.それは,国が無謀な戦争へと突き進み,世論もそれに同調する中で,敢えてそれに異論を唱えることである.場合によっては,死を前にしてなおも主張することである.

異端者として迫害されなおも,異論,正論,持論を唱える信念と勇気があるのか.二千円札は我々二千円札大使に問うている.なぜならば,その信念と勇気こそが二千円札の趣旨である「平和希求」の骨子をなすものだからである.

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思考停止状態から脱却せよ

2010-01-01 21:49:42 | 弐千円札/論説
昨年の大晦日,とは言っても昨日であるが,私はあるところで買い物をした.支払額が410円であったため,私は二千円札1枚と10円硬貨1枚を出した.もちろん,1600円のお釣りが返ってくることを期待してのことである.ところがその店員さんは,二千円札に驚いて取り乱したと見え,10円硬貨を100円硬貨と間違え,預かり金額を2100円としてレジを打ってしまった.私は---親切なのか不親切なのか分からないが---すぐに間違いを指摘し,近くにいたマネージャーらしき人も彼女をサポートしたが,彼女はしばらくの間ショックから立ち直れない様子であった.

彼女には大変気の毒なことをしてしまったが,これは大変に示唆に富んだエピソードである.2010年元旦の記事にするにはこの上ない材料である.

二千円札それ自体は,何ら特別なものではない.額面が2000円の単なる紙幣である.しかしながら,私が今まで多くの人に二千円札を渡して反応を見た経験からすると,少なくない割合の人々がそれを素直に認知できない.彼らは二千円札を見て驚き,立ちすくみ,取り乱し,さらには思考停止状態に陥ってしまう.その結果,2000円が含まれる加減乗除の計算すらできなくなってしまう.

多くの日本人にとって二千円札は新奇な存在であるゆえ,驚かれるのはある程度いたしかたのないことである.しかしながら,それで思考停止状態にまで陥ってしまう人々は,「目の前のものを素直に認知し,それを必要以上に難しく捉えず,落ち着いて適切に処理する」といった,精神の基本的な働きが弱体化しているように私の目には映る.これは憂慮すべき事態である.

二千円札を処理できるように努力すること,それは,「お札の種類は一万円札と五千円札と千円札だけ」という固定観念と,「2000円という単位は中途半端」という先入観と,それらに起因する思考停止に凝り固まった精神を解きほぐす作業である.そうして解きほぐされた精神は,彼らが直面している二千円札以外の問題を処理する上でも,きっと以前よりよく働いてくれるはずである.

凝り固まり思考停止状態に陥った精神を,二千円札で解きほぐそう.きっと,今までより肩の力を抜いて周りを見渡し,目の前の問題を素直に捉え,自然に手際よく事を処理することができるようになるだろう.より多くの日本人が二千円札を使ってみることで,わが国に活気と輝きが戻ってくることを願ってやまない.
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2009年12月28日の日本経済新聞

2009-12-29 13:22:50 | 弐千円札/論説
日本経済新聞(2009年12月28日)の「文化」欄に,二千円札流通促進委員会の委員長である湖城英知氏の文章が掲載されている.湖城氏の平和に対する思いが強く伝わってくる文章である.

昨日の日経新聞が手元にある方には是非とも一読いただきたい.
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on 2000-yen bill

2009-11-29 21:28:40 | 弐千円札/論説
おそらく,今まで私のブログを読んでくださってきた方々は,私が二千円紙幣を愛するがゆえに流通促進活動に取り組んでいるのだと想像されているだろう.しかしながら,二千円紙幣それ自体に対して,私は何らかの思い入れがあるわけではない.平和希求,沖縄,守礼門,源氏物語絵巻,紫式部,その他の意匠...私はそれらに特別な興味があるわけではない.他の券種と比べて若干色合いがきれいであると思っているくらいである.

では何ゆえに私は二千円紙幣の流通促進活動に取り組んでいるのか.それは,二千円紙幣を拒む理由の多くが合理的な根拠に乏しいように思われるからである.他の券種と見間違えやすいという人々の多くは,そもそも二千円紙幣と他の紙幣をじっくり見比べたことがないはずである.金額の計算がしづらいという人々の多くは,2000が出てくる四則演算に今まで真面目に取り組んだことがないはずである.自販機で使用できないから困るというのは,二千円紙幣に限った話ではない.これらはすべからく慣れの問題であり,しばらく腰を据えて二千円紙幣の使用に習熟すれば,容易に乗り越えられるべき性質のものである.

使い慣れれば便利なものを目の前にしつつ,その使い方を覚えるのが億劫であるという理由だけで,それを使わずに不便さを甘受する...これは人間であれば誰しも持っている傾向であるが,実に愚かなことでもある.これについて多くの人がどう思うかは知らないが,私はそういった人間にはなりたくない.話は大げさになるが,日本人の多くがこういった心構えでいるようでは,日本の将来も先が見えている.そうした思いが,私を二千円紙幣流通促進活動へと駆り立てているのだ.

それでも二千円紙幣が不便と言う人は,見たものを識別する能力や四則演算をする能力に問題があると考えるべきである.自分にとって都合の悪いことを二千円紙幣や小渕恵三元首相ばかりのせいにすべきではない.

2という単位が中途半端であると考えている人は,なぜ5はキリがよくて2は中途半端であるのか,よく考えてみるべきである.2と5は10の約数であり,二千円紙幣を5枚束ねると10000円になることなどを考えてみれば,2000円という額面もそれなりにリーズナブルであるとの結論に達するはずである.少なくとも,「3000円札だったら便利なのに」などという発想にはならないはずである.
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いかにして反二千円札派と対峙するか

2009-11-10 21:30:32 | 弐千円札/論説
世の中には少なからず反二千円札派に属する人々が存在する.こうした人々に対し如何に対処していくかという問題は,二千円札大使にとっては十分に考察の価値があることであろう.

ここで,「悪いのは二千円札でも小渕恵三でも塩川正十郎でもない.あなたの頭だ.」とまで言い切ってしまえば,気分的にはすっきりするであろうが,相手からの反発は必至である.

ではどうしたらよいのか?二千円札に関して否定的な言動をする人を前にして,二千円札大使はどのように振る舞い何を言えばいいのか?その解答は自明でもなければ一つでもないはずである.私にも,これといって解答があるわけではない.

これからしばらく,本記事をアップデートする形で悩んでみようと思う.
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Potential ambassador for 2000-yen bill

2009-10-06 21:50:28 | 弐千円札/論説
私がこのブログを始めたのは,二千円紙幣の存在を多くの人に思い出してもらおうと思ったことによる.しかしながら,実際には,私はここに雑多なことを書き散らかしている.これでは,このブログが「弐千円札よ永遠に」なのか何なのか分からない.

さらに,最近になってLinuxやLaTeXの話を(メモ書き程度ではあるものの)書くようになり,それらの記事を読みに来訪される方も見受けられるようになった.こうした方々を失望させてしまっているであろうことについては申し訳なく思う一方で,私はあることに気がついた.PCの得意な人(LinuxやLaTeXを使うような人も含む)は,潜在的な二千円札ユーザーなり二千円札大使として,かなり有力な存在であるということである.

これらの人々は,以下の特性を具えている可能性が高い.
1. "2"や"2000"をキリのいい数字として認識している
2. 知能指数が高く計算が得意である
3. 新しい物事が好きで適応能力が高い
3. 他人と異なる行動をとることが好きである
4. "布教活動"が好きである
最初に挙げた項目については,「2000は中途半端だ.キリがいいのは2048だ.」などと言い出す人もいかねないが,そのあたりは適当なところで勘弁していただくより他ない.

PCはプライベートでしかいじっていないので,私が今後どの程度fedoraだのptexliveだのといった話題について取り上げられるかは分からないが,できるだけの努力はしていきたいと思う.
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わが友人が二千円札大使に就任

2009-08-22 22:03:12 | 弐千円札/論説
数日前,友人の一人が二千円札大使になった.二千円札にとっては氷河期と言っても差し支えないこの時代に,新たに二千円札大使が誕生したことは大変に感慨深い.大使就任を機に,ますます力強く活動してくれるものと期待している.私自身も,友人と切磋琢磨しつつ二千円紙幣流通促進活動に邁進していく所存である.
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二千円紙幣の誕生日

2009-07-19 12:00:00 | 弐千円札/論説
本日7月19日は二千円紙幣の誕生日であることを,2000年マスター氏のブログ記事
2000円札応援隊 | 進め!2000円札
にて知った.ちなみに,日本銀行那覇支店のページ
二千円札コーナー | 日本銀行 那覇支店
には,本日が二千円紙幣の誕生日であるということに触れた記述はない.

記念日だからといって感慨に浸るわけではないが,発行から9年が経過しても二千円紙幣が一向に流通しないこと,それに対して政府や日銀が何も対策も打たない現実にはあらためて失望させられる.貨幣というものは,発行されれば自然に流通するものではない.政府や中央銀行の努力と信用が不可欠である.現在の政府や日銀は,先人たちが築いた「強い円」の上にあぐらをかき,貨幣を流通させるためには努力が必要であるということを忘れているように見える.
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