弐千円札よ永遠に

Remember the 2000-yen bill!

紙幣の価値

2009-07-05 14:30:20 | 弐千円札/論説
今日の日本経済新聞「春秋」に興味深い記述があった.多くの日本人が二千円札に対して抱くイメージも,いわゆる「使い残した外国の紙幣」と似たようなものではないだろうか.

春秋(7/5) - NIKKEI NET

この記事に以下のような一節がある.
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紙幣には「信用」という名の魔法がかかっている。本当は精巧な印刷物にすぎないのに、価値ある通貨に化けるのは、政府や中央銀行が立派な働きをしているという暗黙の了承があるからだ。その効力が及ばない場所では、お札は途端に色あせる。そんな微妙な信用の構造が金融危機で狂ってきたのは間違いない。
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二千円札の価値を否定することは,政府と日銀の信用力を部分的ながら否定することにつながる.政府や日銀の信用力が否定された先には,いわゆる通貨危機が待っている.もちろん,二千円札が流通しないからといって,それが通貨危機に直結するというのは暴論であるが,通貨が国内外の厳粛な信用の上に成り立っていることが忘れられていることは想像に難くない.

日銀にとっても,景気の先行きを占うことに地道を挙げることよりは,通貨の価値を守ることの方が本来の任務に近いであろう.蟻の穴から堤も崩れるということにならぬよう,二千円紙幣の流通を促進させてほしいものである.
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調剤薬局にて

2009-07-03 18:33:20 | 弐千円札/論説
調剤薬局で薬を出してもらったところ,会計が2,000円だった.これはもう,二千円札を出させるために弾き出したとしか考えられない金額である.

満を持して1枚の札を出したところ,薬剤師さんの反応は
「珍しいですね~二千円札もすっかり影をひそめちゃいましたね~」
といったものであった.このように言われるのは,二千円札大使としては悔しいものである.このようなことを言わせないよう,日銀や財務省には少し努力してもらいたいものである.
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二千円札だけ

2009-06-28 21:35:10 | 弐千円札/論説
2のつく貨幣は世界中に多く存在し,それぞれ便利に利用されているのに対して,日本における二千円札は,もはや存在しないも同然である.その原因として「日本人は2をお金の単位とすることになじみがない」とよく言われている.では,なぜ日本人だけそうなのか?

私が思うに「日本には2のつく貨幣が二千円札しかなかった」ことがまずかったのである.2のつく貨幣を採用している国々では,貨幣の体系が
1, 2, 5, 10, 20, 50, 100, 200, 500,...
のようになっている.2のつく貨幣は,その体系の中にきれいに溶け込んでいる.それに対し日本では,
1, 5, 10, 50, 100, 1,000, 2,000, 5,000, 10,000
といった具合で,千のオーダーになって突如として二千円札が現れるといった有様である.これでは,2というお金の単位を日本人の意識に植えつけるのは難しそうである.

これを打開するには,二円硬貨,二十円硬貨,二百円硬貨,さらには二万円紙幣などもセットで展開する必要がありそうだ.その場合,自販機やレジ機の買換え需要は,二千円札が出現した時のそれとは比べ物にならないほど大きくなろう.つまり,より強力に景気を刺激するポテンシャルを持っている.
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問題を顕在化させること

2009-06-16 19:51:30 | 弐千円札/論説
生活するうえで,あるいは仕事をする上で,何らかの問題を解決しなければ困った自体を招くことは多々あるだろう.そうした問題は,いつも目に見える状態で存在するとは限らない.そのため,何らかの手法を使って,それらを顕在化させることが必要なことも多い.日常生活では,健康診断や車検などが,問題を顕在化させる手段といえる.

たとえば,在庫を減らすことは,製造業において経営上あるいは工程上の問題を顕在化させる常套手段である.設備の故障や不良品の発生などといった多くの問題は,在庫を削減することにより顕在化する場合が多い.多くの企業は,在庫を削減してみることにより問題を顕在化させ,それらを解決することにより企業体質の改善を図ろうとする.

同じようにして,二千円札を使ってみること,二千円札について考えてみることは,日本人の心に巣食う問題点を顕在化させる有効な手段であろう.たとえば,
- 物事について自分で考えない
- 新しい物事に適応できない
- 十進数についての理解が不十分
- 計算ができない
- 画像を認識できない
- 貨幣の何たるかを理解していない
などといった問題点があれば,それらを炙り出すことができよう.

世の中には,二千円札について考えることも,それらを使ってみることもせずに,他人やマスコミに付和雷同して二千円札を嫌っている人が多い.国のなすことを批判することこそが,知的なことであると考えている人もいるだろう.新しい物の欠点ばかりをあげつらい,自身の適応力のなさを正当化している人も多いだろう.特に,物事について自分で考えず,他人やマスコミに付和雷同して何かを叩くというのは,民主主義社会の崩壊にもつながりかねない危険な兆候である.

このような視点から二千円札について考えてみるのも一興であろう.
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一円硬貨と五円硬貨

2009-06-10 17:49:06 | 弐千円札/論説
ときどき,小銭入れの中身が「百円玉1枚,十円玉1枚,五円玉2枚,一円玉数枚」などといった陣容になることがある.

当然のことながら,これでは自販機で飲料を買うことはできない.ほとんどすべての自販機は,一円玉ならびに五円玉を受け付けないからである.しかしながら,一円玉や五円玉を「不便だ」「いらない」などという話は聞いたことがない.
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二千円札はいらない?

2009-05-20 17:48:00 | 弐千円札/論説
二千円札について否定的な人の多くは,二言目か三言目には「二千円札なんていらない」とか「二千円札なんてなくても困らない」と言う.それには私も異論はない.二千円札が存在しなかった過去にも我々は普通に生活していたし,二千円札などまるで普及していない現在も同様だからである.

しかしながら,いらないものであっても,なくても困らないものであっても,あればあったで便利に使えるものは枚挙に暇がない.むしろ,世の中に存在する物や人のほとんどが,そうした部類に属していると考えることもできる.私もそうした人間の一人であるし,この文章を読んでいる方も同様であろう.二千円札も,そうしたものの一つに過ぎないのである.

そうしたものの中で,新しいものや見慣れないものがしばしば槍玉に上げられる.そして,それらはいたずらに欠点をあげつらわれ,無視され,目の仇にされる.これはまさしく,いじめの構図である.つまり,二千円札はいじめられているのである.

わが国において教育を受けられた方の多くは,いじめは人間として最低な所業の一つに数えられることを知っているであろう.多くの人々は悪気があって二千円札を排除しているわけではないだろうが,その何気ない気持ちがいじめの要素をはらんでいることは,少し意識してもよいのではないかと思う.
Comments (2)
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弐千円札よ永遠に

2009-05-19 17:36:00 | 弐千円札/論説
私は,主に二千円札の普及を願っている人々をターゲットとして,このブログを書いている.二千円札にあまり関心のない方も歓迎するが,二千円札を嫌っている人々や,二千円札に対して批判的な人々に読んでいただくことは想定していない.そうした人々の考えをブログひとつで変えることなど不可能であると,私は知っているからである.

このブログの目指すところは,二千円札の普及を願い行動する方々に,私の行ったことや思うところを知っていただくことを一つの契機とすることにより,考えを整理したり新たなアイデアを生み出していただくことにある.そして,二千円札紙幣の流通を促進する上で新たな知見を得た方々には,それらをコメントやトラックバックにて私にご教授いただければ幸いである.

一年近くかけて,私は二千円札を普及させるために行ったことや考えたことを,このブログに綴ってきた.特にまとまった考えもなく書き散らかした記事を,そろそろ整理してもいい時期であるように思う.

(考えたことなど)
http://blog.goo.ne.jp/1f2h3e/c/25b03d0d2d7a7e62e5c5ae992c93eb0f

(行ったことなど)
http://blog.goo.ne.jp/1f2h3e/c/c2270407cbfeb7d8d49f39671e2e0574
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わが闘争

2009-05-12 22:15:50 | 弐千円札/論説
私は二千円札を普及させるために闘っている.二千円札を金融機関で仕入れては何かの支払いに使うということを実践している.

しかしながら,政府や日銀は二千円札の普及に及び腰である.その結果,二千円札はほとんどの国民に忘れ去られ,あるいは嫌われている.私が置かれている状況は「多勢に無勢」であり,私の働きは「無駄な抵抗」である.

私は,自分が無駄な努力をしているということを,それなりに冷静に認識しているつもりだ.しかし,私は二千円札の普及をあきらめられない.私を突き動かす何かが,あきらめることを容認しないのだ.こうした生き方が正しいのか否か,それは私には分からない.ただ,疲れる生き方であることは疑いの余地がない.
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おつりとして二千円札を渡すには

2009-05-11 21:06:16 | 弐千円札/論説
巷の小売店では,客からの支払いで二千円札を受け取ることは稀にあっても,釣り銭として出すことは皆無であろう.客が二千円札を嫌がるから,二千円札は釣りとして出せないと思っているのだ.

二千円札が嫌がられる主な理由のうち比較的まっとうなものは,飲料用の自販機で使えない,バスの運賃を払う際に使えないといったものであろう.しかしながら,こうした用途では,二千円札はおろか千円札すら使えないケースも多い.そうなると,釣り銭は千円札よりもむしろ小銭で出したほうが親切という話になってくる.

そのようなわけで,二千円札に興味をお持ちの小売店の方々には,二千円札と小銭を組み合わせて出すことを提案したい.

(例)
1,000円: 五百円玉×2枚
2,000円: 五百円玉×2枚+千円札×1枚
3,000円: 五百円玉×2枚+二千円札×1枚
4,000円: 五百円玉×2枚+千円札×1枚+二千円札×1枚
5,000円: 五百円玉×2枚+二千円札×2枚

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2と5は10の約数である

2009-05-06 22:01:50 | 弐千円札/論説
10を素因数分解すると約数として2と5が出てくることは,わが国において義務教育を終えられた方であれば,どなたでもお分かりになることであろう.

私たちは,通常の日常生活において,十進法を用いて数を認識または表現している.だから,10という数字はキリのいい数字として認識されている.そして,10の約数である5は,10に準じてキリのいい数と認識されているようである.しかしながら,10のもう一方の約数である2は,10に準じてキリのいい数とは認識されていないように見受けられる.

しかしながら,日常生活の慣習や慣例から少し離れて,10の約数である2と5を素直に眺めてみると,キリのよさという点では甲乙つけるのは難しいように思う.10は2で割っても5で割ってもきれいに割り切れるのである.

つまり,2000円が中途半端で5000円はキリがいいというのは,単に慣れや慣習の問題であり,数学的にはなんら根拠のないことである.使用者が少し慣れることにより,2000円という額面への抵抗感は薄らいでいくことと信ずる.
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