弐千円札よ永遠に

Remember the 2000-yen bill!

初心忘るるべからず

2009-04-28 20:03:00 | 弐千円札/論説
今日は西友とモスバーガーで布教活動を行った.もちろん,布教活動といっても,支払いに二千円札を用いるだけのことである.

私が二千円札を使うのは,人々に二千円札の存在を思い出してもらい,その中から新たな同志が現れることを期待しているからである.自分ひとりの活動により二千円札が普及することまでは期待していない.

しかしながら,最近はそうした初志を忘れ,二千円札がさっぱり普及しないことに落胆したり苛立ちをおぼえたりするようにもなってきた.このままでは,消費者として二千円札を使うだけの活動に飽き足らず,釣り銭として二千円札を出すために自営業でも始めてしまいかねない.

当初の志を時おり思い出し,あまり欲張りすぎないよう,あまり焦らないよう堅実に活動していきたい.
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穏健路線か過激路線か

2009-04-06 19:57:06 | 弐千円札/論説
二千円紙幣流通促進活動に取り組むにあたり,穏健なアプローチをとるべきか過激なアプローチをとるべきかは,よく考える必要がある.

穏健路線を行く場合,二千円札についての印象を改善するための努力が求められる.店員さんに向かって無愛想に二千円札を突き出すなどといった行為は厳に慎まなければならない.二千円札の使用にあたっても,それが店員さんの負担になるような事態は極力避けるべきである.要するに,アンチ二千円札派を増やさない努力をしなければならない.

過激路線を行く場合,二千円札のために戦う覚悟が求められる.相手に抗議し,場合によっては日銀法違反として当局に通報するくらいの心構えが必要である.最悪の場合,警察のお世話になる事態も想定しなければならない.

いずれの路線を行くかの判断基準としては,
(1) 二千円札での支払いに不快感をもたれるか否か
(2) 二千円札の受け取りを拒否されるか否か
が考えられる.二千円札での支払いを快く受け入れてくれる人に対しては穏健な,二千円札の受け取りを拒否する人には過激な措置をそれぞれとることは当然である.

しかしながら,現実には(1)と(2)の中間に該当する事態に遭遇することが少なくない.こうした場合にどう対処するかは個々人の裁量によるところであるが,私は基本的に穏健路線で行くことにしている.
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スカイラインクーペと二千円札

2009-04-05 15:28:04 | 弐千円札/論説
スカイライン(V35)において,セダンとクーペは異なる車に仕上がっている.ぱっと見たところ,それらは同じ車であるようにも思えるが,かもし出す空気が何か違う.少し見てみると,それらはまったく違う車であることが分かる.さらによく見てみると,もはやそれらの間に外観上の共通点などないことに気づく.

スカイラインクーペのフォルムは,スカイラインセダンのそれよりも,はるかに優雅でスポーティーである.そして,セダンとは全く別物であるにもかかわらず,ほんの申し訳程度に,セダンと同じような顔をしている.わざわざ小細工をしてセダンに似せているところが,なにやら不気味である.

その不気味なところに,私は魅せられてしまった.そんなクーペと二千円札との間に,何の関係があるのか.

私は,二千円札を初めて見たときにも,スカイラインクーペ(CPV35)を初めて見たときのような感動と興奮をおぼえたのである.その,他券種と似ているようで全然似ていないところに,他券種にはない不気味さと華やかさを備えているところに魅せられてしまったのだ.
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情報量と二千円札

2009-04-01 07:55:00 | 弐千円札/論説
二千円紙幣を受け取ることは,他の紙幣を受け取ることに比べ大きな情報量をもつ.情報理論によれば,ある事象の生起確率が小さいほど,その情報量は大きくなるからである.情報量とは何であるか,生起確率と情報量の間にどんな関係があるのかといった話については,ここでは割愛する.

大きな情報量を伴う事象であっても,何らかの意味を持つ内容を定義しなければ,それは単なる意味のない符号に過ぎない.せっかく二千円札を使うのであれば,つまり情報量の大きな事象を起こすのであれば,そこに何らかの意味を持たせたいものである.

そこで,はなはだ一方的な話ではあるが,私は二千円札を使うことに敬意,感謝,そしてそれを受け取る人の幸せを願う気持ちを込めることにする.
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本ブログにおける二千円札の扱い

2009-03-28 23:01:18 | 弐千円札/論説
今まで私はブログの中で,二千円札の存在意義,二千円札が流通することによるメリット,二千円札には強制通用力がある,などといった堅苦しい話を主に展開してきた.ほとんどといっていいほど,二千円札は美しい,二千円札が好きだ,といった類の情緒的な話はしていない.

私の文章を読んで二千円札を使いたくなる方は,おそらくほとんど皆無であろう.しかし,すでに二千円札について興味を持っている方が,それについてさらに考えるきっかけを提供できているならば,ひとまず私は満足すべきなのだろうと思う.

拙ブログをご覧になって,二千円札に対する見方が変わったり,二千円札の流通促進に貢献してみようと思って下さる方が出てくれば,私にとってこれにまさる喜びはない.
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二千円札を使うということ

2009-03-27 18:28:38 | 弐千円札/論説
二千円札を使い始めるということは,お金を数える単位を少し変えるということである.それは,今までとは少し違った角度から,お金そして金額を見ることにつながる.

その,今までとは少し違った角度から物を見る,という点が重要であると私は思う.そうしたところから,新たな発見やひらめきが生じうるからである.

より多くの人が二千円札を手にし,あちこちでささやかなブレークスルーが生まれることを願ってやまない.
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なぜ二千円札を使うのか

2009-03-19 21:40:16 | 弐千円札/論説
何らかの事情で間違って食材を買ってしまったとき,賢い人は何も考えずにそれを捨てるだろうか?おそらく,そうはしないであろう.頭を働かせて,何らかの献立を考え,食材を有効に活用しようと考えるであろう.その結果,意外においしい食事ができるかもしれない.

私が二千円札を使う理由も,それに似ている.もし,これから二千円札が導入されるという話であれば,私とて「二千円札など要らない」と言うであろう.しかし,悲しいかな,すでに二千円札は作られてしまったのである.思考停止状態になって二千円札を拒絶するのは簡単だが,せっかく作られたものは有効に活用する方が賢明かつ前向きであると私は思う.

二千円札を作ったこと自体が無駄なのではなく,作ったのに使わないことが無駄なのである.
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次の一手

2009-03-11 23:36:00 | 弐千円札/論説
2008年からの私は,二千円札の認知度を上げることを目的とし,金融機関で二千円札を仕入れては使うという行為を繰り返してきた.それでも,それでも二千円紙幣の流通量は月ごとに減って行くばかりである.2009年は新たな策を打ち出すことが必要であろう.

次に試行することを考えているのは,買い物をする際に「お釣りは二千円札でお願いします」というものである.二千円札の存在を再認識させるという従前の効果に加え,二千円札の需要があることを認識させる効果も期待できる.世の中には,二千円札を嫌がる人ばかりでなく,それを欲しがる人もいるのだということを認識させるのだ.

ちなみに,これは私が考えたものではなく,2000円マスターさんのブログに書いてあった話である.五千円札や一万円札を持ち歩く習慣のない私にとっては今まで実践しにくい課題であったが,これからは努めて財布の中に五千円札や一万円札を確保したい.
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「二千円札が出る」表示を

2009-03-03 17:57:10 | 弐千円札/論説
本日訪れた金融機関では,置いてあった両替機に,それが二千円札を取り扱っているという内容のステッカーが貼付されていた.そのおかげで,私は両替機に行こうか窓口に行こうか迷わずにすんだ.大変に結構なことである.

なお,私はまだ見たことがないが,二千円札を出金するATM(コンビニに設置されているもの)には「二千円札が出ます」と表示されているそうである.これも良いことだと思う.だしぬけに見慣れない紙幣を出されれば普通は驚くし,驚かされれば拒絶したくなるからである.

「二千円札が出ます」という表示により,利用者に心の準備をする時間を与えれば,二千円札アレルギーも和らぐのではないだろうか.こうした表示は,どうしても二千円札を手にしたくない人々にとっても有益であろう.
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日本銀行法

2009-02-17 18:45:10 | 弐千円札/論説
日本銀行法
第四十六条
1. 日本銀行は、銀行券を発行する。
2. 前項の規定により日本銀行が発行する銀行券(以下「日本銀行券」という。)は、法貨として無制限に通用する。

当然のことながら,日本銀行券には二千円券(二千円札)も含まれる.したがって,二千円札は法貨として無制限に通用する.

好き嫌いは個人の自由であるが,それは法を前にして意味をなすものではない.二千円札の受け取りを拒否することは違法である.

しかしながら,現実にはそれがまかり通っている.つまり違法行為が野放しにされているのである.二千円札大使などといって民間の好意に甘えている場合ではない.行政の責任こそ問われてしかるべきであろう.
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