ビタミン屋

気が向いた時だけ書いてます。日常や旅行、趣味の記録。

神秘のペトラ遺跡、死海、イスラエル⑲

2017-06-17 14:30:00 | ヨルダン・イスラエル
ゴルゴダの丘の墓の脇に地下つづく階段があります。
こちらをいくと、古い祭壇と真っ暗な洞穴に出ます。

洞穴は暗すぎて、写真を撮っても真っ暗になってしまった…。
イエスの時代の埋葬場所の跡だそうです。
洞穴に遺体を安置していたらしい。
こちらの方が、当時の様子がよくわかる、とのこと。
上の霊廟は装飾が立派で、当時の面影はなし、なので。

聖墳墓教会をあとにして、シオンの丘へ向かいます。



メズサが売っている。
装飾が美しいものが色々あります!


こんな個性的な人形も見つけました。


古い時代の遺構が街のあちこちにあります。


シオンの丘へ到着!
旧市街の南西の、シオンの門の外にある場所です。

古代イスラエルのダビデ王の墓の入口にある、ダビデ王の像

鼻がかけてしまっています。
中は観光客や、地元の小学生くらいの集団やらで、人がいっぱい。
お墓は真ん中で壁で仕切られていて、男女は別々の入口から入ります。

棺にはダビデの星が詩集された布が覆われています。

こちらは、イエスが最後の晩餐を行ったとされる部屋。

ダビデ王の墓のある建物を出て、裏の階段を上った場所にあります。

当時は、寝転がって食事をとっていたそうなので、テーブルを囲んで椅子に座って食べている絵は時代考証的には間違いらしい。レオナルドダヴィンチとか。

次はマリア永眠教会へ。1910年に完成した、比較的新しい教会。

永眠するマリアの像

ここの教会は美しいモザイク画や壁画がいくつもあります。





神秘のペトラ遺跡、死海、イスラエル⑱

2017-06-11 16:13:00 | ヨルダン・イスラエル
教会に入ってすぐ、右手の狭い階段を上ります。


第11ステーション。
イエスが十字架に釘付けにされた場所。

ローマ・カトリックの釘付けの祭壇と悲しみのマリアの祭壇。

その左が第12ステーション。

イエスが十字架上で息を引き取った場所。
とてもきらびやかな祭壇です。
人がかがみこんで下をのぞいていますが、ここに十字架が建った岩が残されています。
みんなこの岩を見ようと、ものすごい行列になっているんです。
私たちは、時間の関係で並ばす、遠巻きに眺めるだけ(^-^;
2000年前の処刑場の岩が現存しているってすごいな。

第13ステーションは11と12の間にあるマリアの小祭壇。

わかりづらいけど、〇でかこったところです。
イエスが十字架から降ろされて母マリアがイエスの亡骸を受け取った場所です。

祭壇の左手の階段から下に降ります。
大きな美しい壁画があり、そのそばに香油をぬる板状の岩がおかれています。



十字架から降ろされたイエスの亡骸に香油を塗った場所なのだそうです。
今も、香油が塗られています。

そして、第14ステーション。
ヴィアドロローサの終着点はイエスのお墓。

ここもすごい行列なので、並ぶわけにもいかず。
イエスが葬られたあと、復活したというのは新約聖書に書いてある話。
というわけで、ここは空(から)のお墓です。
この墓はもともと洞窟だったそうですが、現在は写真のとおり幻想的な空間になっています。
各派によって共同管理されているらしい。


神秘のペトラ遺跡、死海、イスラエル⑰

2017-06-11 14:58:00 | ヨルダン・イスラエル
第3ステーション

イエスが十字架の重みに耐えかねて、最初につまずいた場所。

第4ステーション

母マリアが群衆にまじってイエスを見守ったとされる場所。
ここも教会になっています。

第5ステーション

シモンという人がイエスの代わりに十字架を背負わされた場所。

↑イエスが手をついた跡だという、へこみが壁に残っています。

第6ステーション

ベロニカ教会。
ベロニカという女性が、イエスの顔をハンカチで拭うと、そのハンカチにイエスの顔が浮き上がったといわれています。

街中をきょろきょろしながら歩く(・ω・)
異国情緒あふれる光景。少しでもいろんなものを記憶にとどめたいな、と。


第7ステーション

十字架の重みで再びイエスがつまずいた場所。

第8ステーション

イエスがエルサレムの娘たちに「私のために泣くな。自分と自分の子供たちのために泣け」と言ったとされる場所。
ここのおみやげやさんで、ヴィアドロローサのパンフレットを買う。
ちゃんと日本語版です。日本人観光客もけっこう多いってことか。
1$なり。
今、このブログを書くのにめっちゃ役立っていますw

第9ステーション

イエスが3度目につまずいた場所。
コプト派総主教府入口腋の壁の一部をなす柱がそうです。
左手はエチオピア教会修道院の中庭です。
中央に見えるのは、聖墳墓教会の地下にある聖ヘレナ聖堂の丸屋根。

次の第10ステーションから14ステーションは聖墳墓教会の中にあります。

教会の中を通過。

聖墳墓教会の入口へ。
こちらの鍵は近くに住むイスラム教徒の方が管理しているそうです。
聖墳墓教会はいくつもの宗派が関わっていますが、各宗派間でトラブルがあったため、200年ほど前に「聖墳墓教会のものは一切この瞬間から動かすのは禁止!」というルールができたのだそう。
そのときにたまたま鍵を持っていたイスラム教徒のある一族が、ずっと世襲制でこの聖墳墓教会の鍵の管理人になることなったらしい。
ちなみに、写真上部の梯子は、200年前のそのときから場所を動かしていないそうです。
修道士の人が昔、薬草(ハーブ?)を育てていて、その時に担いだ梯子なんだとか。
梯子ひとつにも歴史が( ゚Д゚)!!
ちなみにここが第10ステーション。
イエスが衣服を脱がされた場所です。
ではでは、聖墳墓教会(ゴルゴダの丘)へ入ります!


神秘のペトラ遺跡、死海、イスラエル⑯

2017-06-06 21:53:00 | ヨルダン・イスラエル
嘆きの壁のあとは、古い町並みを歩き、悲しみの道「ヴィア・ドロローサ」へ向かいます。
細い路地にはお店がいっぱい。

焼き菓子かな?おいしそう!

こちらはパン?

ワンピースもカラフルです。海外で、お店見るの本当に楽しいっ(^^♪

エルサレムの旧市街北東にあるエッケホモ教会と聖墳墓教会を結ぶ道を「ヴィア・ドロローサ」と言います。
イエス・キリストがピラト官邸で死刑判決を受け、十字架を担いで処刑場のゴルゴダの丘まであるいた、といわれている道です。
この道には、イエスにまつわる出来事の印に14のステーションがあり、それぞれ教会などの宗教施設が建てられています。
キリスト教徒にとっては、まさに聖なる道で、イエスが苦しみながら歩いた道を辿る、巡礼の場所になっています。
まず、第1ステーション。イエスが死刑判決を受けた場所。



十字架を担いで歩く男性を発見!
イエスの苦しみを追体験しているのでしょうか?
すぐそばのお店ではこんなものも売っていました。

右端の輪っかば、茨の冠?イエスが被らされたものを模しているのかな?

第2ステーション。イエスが十字架を背負わされ、茨の冠をかぶせられ、さらに鞭で打たれたというわれる場所。



その近くにあるエッケ・ホモ教会↓





通りにはイコン(宗教画)を売っているお店がありました。

おいくらなのだろう??

神秘のペトラ遺跡、死海、イスラエル⑮

2017-06-04 15:51:00 | ヨルダン・イスラエル
セキュリティチェックをを抜けると、ユダヤ教徒の祈りの場所「嘆きの壁」が見えます。

こちらは後でゆっくり見学。ということで、モロッコ門から神殿の丘へと入場します。

神殿の丘は3つの宗教の聖地になっています。
神殿の丘は、かつてユダヤ教の神殿が建っていた場所で、「嘆きの壁」は、その神殿を囲んでいた外壁の一部なのだそうです。
また、現在岩のドームが建っている場所は、アブラハムが息子のイサクを神に捧げようとした「モリヤの丘」といわれています。旧約聖書の世界です。
で、キリスト教では、イエスが十字架で絶命したときに、神殿の至聖所の幕が真っ二つに切り裂かれた、という話があり、
イスラム教では、預言者ムハンマドが昇天したといわれる岩があり、それを覆うように建っているのが岩のドームなのです。
一つの場所が3つの宗教の聖地ってすごいことですね。

モロッコ門を抜けてすぐ、「アル・アクサー寺院」が見えます。
イスラム教の宗教施設で、イスラム教徒しか入場できません。
こちらは、20世紀にヨルダン国王の暗殺事件があった場所だそうです。
そのとき一緒にいた王子は難をのがれ、強運の持ち主として、有名になったそうです(後のフセイン一世)
このアル・アクサー寺院の向かいに噴水があります。

礼拝前にムスリムの人が身体を清めるための沐浴場なのだそうです。
そして、岩のドーム。

この前で記念撮影!

このエリアでは、男女は近くに並んでいてはいけないのだそうです(宗教的な事情で)。
たとえ夫婦でもダメらしく、少し離れてという指示がガイドさんからあり。
それでこのような写真に。
ではでは、岩のドームに接近します!

美しさに呆然としてしまいます。
タイルの装飾が見事すぎる。

こちらも、ムスリムの人以外は入場できず。
中が見られないのが残念だ…。
こちらの岩の下の洞窟は、最後の審判の日が訪れたときに、すべての魂がここに集まるといわれているそうです。
ここでも、服装のチェックが厳しい。
同じツアーの方が、注意を受けました。
ロングスカートで、ひざ下丈なのに、NGらしい。
あれでもダメなんだ(+_+)
もう、ズボンでいくしかないですね。

神殿の丘を出て、旧市街の小径を歩いて、「嘆きの壁」の前へ向かいます。



このようなアーチ状の天井を持つ建物は、十字軍時代のものだそう。



嘆きの壁に到着。
男女は入れる場所が別々です。
男性はキッパとう小さな帽子を被らなければいけません。
ちゃんと用意されているので、観光客もOK。
ちなみに、願い事を書いた紙を嘆きの壁の隙間に挟むと、願い事が叶うらしい。
異邦人の願いもきいてくれるそうです。
というわけで、自分も願い事を書いたメモを挟んできました!
もう、願い事を書いたメモだらけで、壁のあらゆる隙間があふれそうになっていました。
落ちてしまったメモは現地の方が集めて、燃やして、煙として神様に届けてくれるのだそうです。
なんか、お焚き上げみたいですね。
熱心にお祈りしている方が大勢いました。
嘆きの壁には、併設された本棚の中にたくさんの聖書があり、手に取ることもできます。

神殿の再建とメシアの到来を祈り、涙を流す人もいます。

ユダヤ教徒の中には世俗派と超正統派、正統派、と派が分かれているそうです。
イスラエルでは兵役がありますが、超正統派の方は国連で決められた現在のイスラエルを国家として認めていないそうで、兵役には出ないのだそうです。
また、聖書について、学び祈ることを本分としているので、基本、労働はしないそうです。
世俗派は、兵役につき、税金を納めています。
同じユダヤ教徒でも、派の間で確執があるのだそうです。あまり、日本では話題にならないので、私は、ガイドさんから話を聞くまで全然知りませんでした。
こういうこと、本で読んでも忘れちゃうけど、現地で聞くと記憶に残るなあ。