ねむの木の花が咲いています
借りた本がなくなって、家にある昔買っ本を読もうと手に取って読み始めてみたが、
あまりの字の小ささに閉口し、その本は止めにした。
それで、五木寛之氏の「孤独のすすめ」 2回目になるが読みはじめる。
3年前に発行された本だから、字も今時の大きさ。
今の私は、後期高齢者の仲間入りを目前にし、
あ・あ・ぁ 記憶力の衰えのひどさに日々気づかされ、
理解力も、判断力も。。。。
あれも。。。これも。。。
勿論 体力の衰えも激しい。
情けなく感じることばかり。
マリーゴールドの花を
***************
しかし、五木氏は
自らの「老い」をきちんと認めることが大事です。
そして 「諦める」こと。
諦めるの本来の意味は「明らかに究める」ことを意味します。
はっきりと、勇気をもって現実を直視する。それが「あきらめる」ことなのです。
人生には「登山」と「下山」という、大きな二つの時期がある。
(現在の私は)下山の時期にあることを見定めることが、
諦める、すなわち明らかに究めるということです。
そのうえで悲観的になるのではなく、低成長ならではの生き方を模索する。
頂上を極めて、やがて下山していく中で、人間や文明の成熟が現れる。
つまり高成熟の時代が始まるのではないか。
希望と喜びに満ちた下山という発想に切り替えていくことで、新たな視野が生まれてくるのではないでしょうか。
**************
ここまでは、まだ始まりの文ですが、
慰められるというか、 悲観的にならなくてもよいのだと
考え方、人生の見方が変わってくるようです。
まだ、始めの部分しか読めていませんが
どこを切り取って読んでも
部分、部分でそうだな~って思えるのがいいです。
これもマリーゴールド
成熟 という言葉がありました。
今のご時世、 ステイホームが続き毎日が同じことの繰り返しばかりです。
新しいこと、刺激がありません。
なにかを(家事とか)しながら、ふっと。。。
昔、旅行をした時のこと、 場所 その時の食事や 風景
そんな記憶の切れ端を 思い出し、
夫と ああだったね! こうだったね! って
反すうするような 事が、割と頻繁にありました。
それも成熟って、いえるのかしら?
もう、 今となっては二度と行くことのない
外国旅行も 楽しかったなあ~ って、懐かしく思い出されます。
過ぎた過去のあれこれが
ふつふつと
熟成してきてるかな?
コロナでステイホームの日々がなかったなら、
こんな風に ゆったりした気持ちで 思い起こすことは
無かったかもしれません。
人生の 次のステップに入ろうとする今、
必要な 時間だったようにも思えてきました。
あんまり頑張らず、老いに逆らわず、あるが儘を
受け止めて生活したいと思っています。
ドタバタせず、あるがままに・・・
私も同じように考えておりますが、状況が
変化してもそうでいられるか?
そこに?マークが付きそうです。過去の楽しかった事を熟成しながら心豊かに過ごせるといいですね。