テキスト主体

懐中電灯と双眼鏡と写真機を
テキスト主体で語ろうとする
(当然、その他についても、語ったりする)

シロートの戯言 その5

2012-06-21 23:43:34 | シロートの戯言
先頃、公取委が独禁法上、問題有りとしたJASRACが、云ってみれば完全無罪となった。

ウチには数百枚の音楽ソフトがあって、輸入盤、自主製作盤以外のどれもにあのイケてないデザインのJASRACマークがある。

で、そんな大量お布施ユーザーから一言云わせて貰いたい。

寄生虫め、と。

まだ、幼い子どもの頃、どこもかも音楽で溢れていた。瀬戸の花嫁は長らく瀬戸内海の夏の浜辺のテーマソングだった。

著作権を大事にしようというのは分かる、ただ、音楽を楽しむそのカタチにはいろんな種類や段階があっていいはずで、演奏会やラウドスピーカーでの垂れ流しや盆踊りやその他もろもろ全てにおいて、金を取り尽くそうとしているこの利権団体には、嫌悪感しか感じない。

違法ダウンロードやリッピングを取り締まろうという意気込みは、分からないでもない、ただ、それらの行為が、音楽ソフトの売り上げを阻害しているという考えかたに、自己矛盾があることに考えが及ばないトコロが痛い。

音楽はまず買うものではない、まず聴くものだ。
聴けなかったり、聴くのに障害を設けるような行為をしておいて、音楽が振興するなんてあり得ない。
好きになった音楽や、気になる音楽を、より楽しみたい、もっと知りたい、そんな気持ち、音楽を好む、愛でる、親しむ、その方法を制限しておいて、売り上げが上がらないなんて、音楽に於ける著作権管理団体が聞いて呆れる。
音楽産業というコトバからして気に入らない。
お金と結びつけてしか物事を考えられない亡者の悪い塊みたい。

音楽は云うまでもなく、いろんな芸術、嗜好のなかで、時間の進行と密接に、組んずほぐれつ絡み合った非常に特殊なものだと思う。
いろんな芸術作品のなかで、音楽は、刹那を切り出してしまうと、全く意味のなくなる、根本的に動的な芸術だ。また動的な芸術のなかでも、目で見る映像や、舞などと違い、方向性がないのも素晴らしい。どんなに綺麗な映像や華麗な舞も、見られていなければ芸術として成立しないのに、音楽はその空間で時間の進行を共有しているヒト全てに届く。

音を楽しんで貰う、その独自の訴求力が、誰かの営利活動に益しているなら、その分け前は当然いただくべきだとする、ショバ代を要求するヤクザにも似た寄生虫、規制厨の団体がJASRACなのだと思う。


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