某ニュース番組で、小海途銀次郎さんと、その著作の紹介をしていた。
以前、日本放送協会の番組でも紹介されていた使用済み鳥の巣コレクターのヒトです。
野鳥をのぞき見する趣味を擁するワタシにとって、”巣”は不可侵領域なので、
「あ、その手があったか!」と感じてます。
なぜ、”巣”が不可侵領域かと云うと、特に営巣中の巣では、ヒト等の外敵の接近は場合によっては親鳥が巣を放棄する直接の原因になるからです。
バーダーなヒトにとって、双眼鏡、単眼鏡、超望遠レンズ、デジスコ、等は必須のアイテムで、要は、いかに大きく見たり撮ったりするかを競う風潮があります。
近づけば逃げる鳥と違って、巣や卵は、いったん見つけさえすれば、逃げることのない観察対象です。
で往々にして、近づきすぎてしまい、警戒した親鳥は巣を放棄する、ってコトが起きたりします。
鳥は、身近なツバメやカモ等に見られるように、ヒナに対する愛情が深く、子煩悩なように思われています。
なぜ、放棄するのか?
実は、遺伝子に組み込まれた本能のなせる技だと考えられています。
鳥に限らず、イキモノは子孫を残そうとします。
子に対する親の愛情は、その表れなのですが、根本のメカニズムは遺伝子を残すことです。
つまり、親鳥にとって、外敵に迫られ、きちんと孵して育てることができるかどうか危うい巣に固執して、その対価(親鳥による交尾、産卵、抱卵、世話)がむなしい徒労に終わる可能性が高まると、本能の命ずるところにより、巣を放棄し、別の機会にむけて準備をする。
効率的に、数多く、遺伝子を残そうとする機構の発動なのです。
似たような例で、さらに極端なのは、産まれたばかりの仔猫を食べてしまう母猫の話です。
昔々に読んだ「綿の国星」という少女漫画に、主人公のチビというかわいらしい少女猫が近所の仔を食べた母猫になぜ食べたのか尋ね、自分自身も、他の母性の強い猫に食べられそうになるというオハナシがありました。
そのなかでは、母猫にとって仔が奪われてしまいそうになる(≒遺伝子が残せなくなる)と、ワタシが喰わなければ、取られてしまうという情動が生じ、食べる。という描写になっていました。
母猫にとって自らの生活の大部分を注ぐことによってようやく産み育てることのできる仔猫を捕食者に捕られるなどの生死が不確かな状況におくくらいなら、自分の栄養にすることによって次の機会に生かす、これが母性愛の根底にある遺伝子による本能だというわけなのです。
ちなみに、記事タイトルは当然ですが、ドーキンスの「利己的な遺伝子」のもじりです。