3104丁目の哀愁と感傷の記録

日々生きてます。自分なりに。感じた事を徒然に書きます。素直に。そんな人間の記録。
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厳戒態勢の冬の旅 6 ―帰りのフライトキャンセル編―

2016-01-30 20:21:44 | 


20151231

飛行機に搭乗。すでに深夜だ。
帰りも同じく、ベルギーの空港からトルコのアテャトゥルク空港でトランジット。

この飛行機が少し遅れ、空港では走った。それくらいギリギリ。
何とか搭乗時間までに間に合った。

あの寒い風が入ってくるあのゲートのことを多分これから先ずっと忘れない。

飛行機は沖停めだったため、バスに乗り込む。

外は大雪で真っ白。滑走路も雪で真っ白。

この時は帰れなくなるなんて微塵も思っていなかった。


飛行機に乗り込む。眠気と疲れがピークを迎えていた。

飛行機が飛び立つのは1時10分

そして日本の成田空港着は19:55分。

あと8時間ほどのフライトで日本の成田空港に到着しているはずだ。

そう思ってウトウトして浅い眠りについた。




どれくらい時間が経過しただろうか。


今何時なのか。はっきりとした時間は分からない。

しかし自分の皮膚感覚からすると、だいぶ長いこと眠りについてしまったようだ。

あの飛行機の寝苦しい空間で目を覚ました時特有の不快感とともに、時計を見る。



二時間も寝かしている。



どう考えてもおかしい。


だって飛行機は滑走路の上をピクリとも動いていないんだから。



そして…



英語でこのフライトがキャンセルされたアナウンスを知る。

雪で飛べない。そしてもう成田空港のゲートが閉まってしまった。といった内容。

そして飛行機から空港へと戻された。

この時の絶望感と言ったら。
いや、言葉で言い表すのはとても難しい。

けど今でもあの雰囲気だけは鮮明に覚えている。精神的にだいぶやられた。

時間はまだ4時とかそこら。


そしてここから悪夢の時間が始まった。



空港に戻ってからは乗客たちが一斉にキャリアのスタッフに駆け寄り、質問をする。

当然、“何時に飛行機は飛ぶのか?”である。

そして今回の一番の絶望感とストレスの原因が以下のことだった。

“時間は分からない。時間が分かり次第連絡する。”


ひたすらこの対応であった。

これが一番のストレスの原因。

時間が分かっている飛行機であれば、何時間でも精神的に待てる。

しかしいつ飛ぶのか分からない飛行機をひたすら待ち続けるという行為の絶望感と言ったらなかった。

いつまで待っていればよいのか答えがないものを待ち続けることほどつらいものはない。

加えて風呂にも入っていない、殆ど寝ていない徹夜明けの体。しかもホテル等の施設に行くわけにもいかない。
なぜなら飛行機はいつ飛ぶか分からないからだ。
ゆっくりとくつろげる場所なんてない。何とか確保したのは空港のフードコートの二つの席のみ。この二つの席が命綱になった。
しかも出発の直前でトルコの空港がテロで爆破されているのだ。
ここには一秒でも長く居たくはない。



どんどん不安な考えが押し寄せ、マイナスなことばかり考える。


もしかして、日本に帰れないんじゃないか…


海外旅行はこれが本当に怖いと感じた。

国内ならどうにかして帰れる。他に手段がある。しかし海外はどうしようもない。

案内するといっても放送でするのであろうか…
こんな喧騒の中にあるフードコート内で、しかも英語をしっかりと聞き取れるだろうか。

そしてひたすら電光掲示板の“TK52 DELAY”の文字を見続ける時間が始まった。

この作業がこんなにも精神的にきつい作業だとは思わなかった。

ひたすら変わらないものを見続けるのは人間3分が限界だ。

何時間見続けたんだろう… 思い出すと気が遠くなる。

途中、何度もそのキャリアのインフォメーションセンターに行った。
30分毎くらいに行った。そして何度も尋ねた。

しかし答えは全て同じ。

時間は分からない。フライトの時間は電光掲示板に出す。これ。

航空会社からはスプライトの缶と固く冷たく凍った小さいパンをもらった。
15分の時間つぶしにもならなかった。

途中、奥さんと交代で仮眠をとった。
機中泊はあるが、空港で夜を明かしたのは初めての経験であった。

途中、トルコアイス食べてちょっと元気になった。
TURCUISINEというレストランが近くにあったので、昼ご飯を食べた。

既に何時間待ったのか忘れた。

これが本当に涙が出るほどうまかった。


当時のこの食事を食べた俺のフェイスブックの記事は…

今まで食べた料理の中で一番おいしかった、と書いてあった。

そうとう精神をやられてしまっていたようだ。



食べた後もひたすら待った。

待って、待って、待ち続けた。


今回、唯一の救いは、喫煙所があったこと。

これは神の救いの如く。これがなかったら精神的にやられて発狂していたと思う。

あの大雪が降る寒すぎる屋外の喫煙所。何度行ったか分からない。
たばこに救われた。本当にあの時はたばこに救われたとしか言いようがない。
あの景色も今でも鮮明に覚えている。

しかしたばこの本数も底をつきそうになってきた。

近くにいた日本人の女性の旅行者が話しかけてきた。彼女は一人で旅行していた。
多分、不安で不安でたまらなかったのであろう。

本当にいつ帰れるのか…

何回思ったか分からないこの疑問を抱き、また裏切られることの繰り返し。




そして、その時はあまりに突然、唐突に、あっけなくやってきた。


電光掲示板を見ると、TK52 ⇒ GATE○


奥さんと叫んだ。

あるッ!!

この時の喜びはどう表現したらよいのだろうか。
先ほどの飛行機から空港に押し戻された時の絶望感を表現するのと同じくらい難しい。

先ほどの日本人の一に伝える。
ありましたよ!!

狂喜して今度は走る。全力疾走である。これで遅れたらもう完璧にジエンド。

というか放送も何もなかった。あれ気づかない人も多くいると思うが、来れなかったらどうするのであろうか。
しかし、人の心配をしている余裕など微塵もなかった。
あ、あの日本人女性には伝えたけど。


そして、飛行機に乗り込み、席に着く。
昨日の搭乗の時に隣に座った人がまた隣に座った。なんか絆が生まれたような気がする。

そして飛行機が飛んだ。

この離陸の瞬間には機内で大喝采と拍手が起こった。

どれだけ皆が同じで気持ちでこの時を待ち続けていたのかが分かる。


結果的に、20時間待った。


12月31日の19時に日本に帰るはずだった飛行機は、20時間遅れ、1月1日の14時に到着した。

なんととっくに新年を迎えてしまっていた。
けど最早そんなことは至ってどうでもよくなっていた。

無事に日本に帰ってこれた。


これに替えるものはない。


20時間空港で待ち続け、夜を明かしたのは当然、この時は初めて。

もう二度と経験したくはないが、だいぶ経験値はアップした気がする。

あの喫煙所ありがとう。



あのフライトの半券は今でも記念に手帳に挟んである。