3104丁目の哀愁と感傷の記録

日々生きてます。自分なりに。感じた事を徒然に書きます。素直に。そんな人間の記録。
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夏のショートトリップ 3 山谷編

2023-02-06 22:15:00 | 
前回の続き

吉原の探索を終え、次なる目的地は山谷。
かの有名な日本三代ドヤ街。
ずっと来てみたかった。

来た道を戻り、山谷方面へ。






めっちゃ味のある店構えの馬肉鍋の店。もはや建物が文化財のようだ。この辺は馬肉の店が多い。これも何か歴史的な背景があってのことなのだろうか。

いよいよ山谷地区に突入。





レトロな道を歩く。

吉原側の山谷は生活色がとても強かった。レトロというか、下町感あるというか。
有名な?あかぎ荘。
南千住方面に進むにつれて、簡易宿泊施設が多くなってくる。これこそ日本三大ドヤ街である山谷の姿。


30分ほどだったが、色々と散策する事ができた。写真もたくさん撮ったのだが、取り敢えず載せても良さそうなものを選んで載せておいた。
実際、撮影禁止と書かれた場所もあったので。やはりここが何処なのか改めて感じる場面でもあった。

今では外国人のバックパッカー達がここに安宿を求めて訪れるくらいらしい。
人生経験として、山谷の安宿に泊まってみるのもありだと思った。

南千住駅に続く大通りにぶつかり、暫し歩みを進めると…






来ました。泪橋交差点。泪橋、なみだばし交差点。ここもちょっと来てみたかった。

この交差点、かつては川が流れており、橋がかかっていたと言う。その橋が泪橋。そして何故その橋が泪橋と呼ばれていたのかと言う理由がまたエグい。

この交差点の先、南千住駅方面は江戸時代の処刑場である、小塚原処刑場がかつてあった場所なのである。
今となっては何も名残は無いように見えるただの大きい交差点だが、実は南千住駅の下に首切り地蔵が今でも残っている。

つまり、ここ泪橋は連れてこられた罪人が最後に人と別れ、涙を流す場所だったのである。

そんな場所が今でも地名として残っているなんて…


首切り地蔵をこの目で見てみたい。
かつての江戸時代の処刑場の上を歩く。



江戸時代、何人もの首切が切られた処刑場があった場所も、令和の時代の景色はこの様になっていた。

そして南千住駅の階段を登り、到着した。

延命寺。

ここに首切り地蔵がある。そしてそのお寺の名前が延命寺。このお寺の名前が延命寺になったことも歴史的な理由があるんだろう。









実物を見る事ができた。
感慨深いというか、なんというか…
場所が場所だけに、何とも言えぬ気持ちになる。

建物の中に入り、御朱印を頂いた。
その御朱印にははっきりと首切り地蔵尊と記されていた。クーラーがめっちゃ効いていて助かった。真夏の昼下がりずっと歩きっぱなしであった。近くにあった自販機でネクターを購入して一気飲みする。

今回、荒川区と台東区のディープな部分を見て、実際なや歩く事ができた。
何度も言うが、こういった場所も立派な歴史の一部分であり、そこにあった歴史や文化を刻み込んでいるものであると思う。

マジで興味深い散歩であった。