たまに自分の書いた記事をふと読み返すことがある。
時系列に見ていくと、なんともその当時の自分が映し出されていて面白い。
当然、読んでいて顔から火が出るような恥ずかしいことを書き散らしている日もある。
そのような恥ずかしい日記を消してしまいたい衝動に駆られる。
だがそれだけは絶対にしない。
俺がこのブログを記憶と同じ価値で捉えているからだ。
例えば、本当に恥ずかしいことをしてしまった日。
大失恋をした日。
日常が生きていると言うに値しない屑のような日。
誰でも一個や二個の消したい記憶を持っている。
タブをクリックし、1アンペアにも満たない電量が流れ、きれいさっぱり記憶を消せるとしたらどれほど楽に一生を送れるだろうか。
この日記は簡単に消せる。
何の労力も無く、気楽に消すことができる。
このブログには俺なりに感じたことや、日常を徒然なるままに綴っている。
その当時に俺がそれなりに感じたことを書く。
そして後に気に入らないから、恥ずかしいから、それを抹消する。
果たしてこの行為にどれほどの意味があるのだろうか。
否が応でも消さなければ記事は積み重なっていく。
時には読み返すと死にたくなるような記事もあるかもしれない。
その死にたくなるような恥ずかしさをありありと思い起こさせることそのものがこのブログの存在価値であって。
その死にたくなるような日常を残しておく事に意味があるのだ。
記憶は風化する。
だが、この駄文は半永久的に残り続ける。
俺の記憶を少しでも取って置けるように、頑張ってゴミみたいな日記を日々更新していこうと思う。
時系列に見ていくと、なんともその当時の自分が映し出されていて面白い。
当然、読んでいて顔から火が出るような恥ずかしいことを書き散らしている日もある。
そのような恥ずかしい日記を消してしまいたい衝動に駆られる。
だがそれだけは絶対にしない。
俺がこのブログを記憶と同じ価値で捉えているからだ。
例えば、本当に恥ずかしいことをしてしまった日。
大失恋をした日。
日常が生きていると言うに値しない屑のような日。
誰でも一個や二個の消したい記憶を持っている。
タブをクリックし、1アンペアにも満たない電量が流れ、きれいさっぱり記憶を消せるとしたらどれほど楽に一生を送れるだろうか。
この日記は簡単に消せる。
何の労力も無く、気楽に消すことができる。
このブログには俺なりに感じたことや、日常を徒然なるままに綴っている。
その当時に俺がそれなりに感じたことを書く。
そして後に気に入らないから、恥ずかしいから、それを抹消する。
果たしてこの行為にどれほどの意味があるのだろうか。
否が応でも消さなければ記事は積み重なっていく。
時には読み返すと死にたくなるような記事もあるかもしれない。
その死にたくなるような恥ずかしさをありありと思い起こさせることそのものがこのブログの存在価値であって。
その死にたくなるような日常を残しておく事に意味があるのだ。
記憶は風化する。
だが、この駄文は半永久的に残り続ける。
俺の記憶を少しでも取って置けるように、頑張ってゴミみたいな日記を日々更新していこうと思う。