松浦からFUKUOKAへ

流れに抗してを経て そして今

☆松瀬 徹のオフィシャルブログ☆

My プロフィールⅡ

2007年07月18日 23時46分45秒 | Weblog
あらためての自己紹介(Ⅱ)

41tm52こと
氏名は松瀬 徹

1952年4月1日生まれ、(エイプリルフールの日、昔は馬鹿の日とも言っていた)
ちなみ、奥様も4月1日、年はひとつ遅いですけど、そして、あのCGアーティスト
Kさんも、私と一緒)

ふるさと出身は、かってはボタ山と遠浅が砂浜があった、長崎県、松浦市
志佐町の、淀姫神社の近くの集落で生まれ、青春時代を過ごす。
そこは、ひとつの青春の門の形態(姿・シーン)が存在していた。
幼年時の遊び場は、ボタ山、山のてっぺんに行くのは勇気がいったが
景色はよかった。

夏になれば、大浜海岸で泳ぐ、白浜の海岸で飛び込む、
そして、いまも残存する?(確かめていない)一本松
そして、この町にこんなに多くの人がいるのだろうかと疑った
お盆の花火大会の、「精霊流し」。
平成の時代には、ない、昭和の時代がそこにはあった。

時代の流れで、山は閉山し、去り行く仲間たち、(男の子も、女の子も)

それがゆえに、もう一度、雄雄しきボタ山を見てみたいと思う。

出来ぬのであれば、CGで再現してみせたい。

あの黒いダイヤが出てくるまでに、多くの男女が汗を流して、
採掘してきたことか、
ボタ山は、ダイヤを抽出してきた結果のボタとカスダイヤが集積した
ヤマであった。
それは、多くの人々の血と汗の結晶のヤマでもあった。

自然が創ったものではなく、人が創った高貴なヤマである。

それがボタヤマであった。

2007・7・18 記