棚からぼた餅--岩淵龍王丸

信州の山郷での暮らしと、絵本と無縁になってしまった大人に向けた創作絵本や、芸術活動をお話します。

暖かですが・・・

2009-02-05 18:05:24 | 山郷の暮し
防寒上着を脱いで散歩。賢犬サクラが藪にはいれば、キジがけたたましい声をあげて、飛び上がる。サクラはよっぽど面白いのか夢中だ。
真っ青な東の空に上弦の月(月齢10日)がくっきりと浮かんでいる。あたたかです。
こんな冬は異常なのかなーーと2007年の日記をみると、ヤッパリ今日のよおに暖かく、15度ちかかった。各地の雪祭りが雪不足や溶け出していると報道されていたようだ。
今日とかわらないのだが、雪は例年の半分というスキー場や豪雪地帯も。皮肉なことに、生活にはらくだが、雪を利用したイベントや産業は大変のようだ
では、昨年08となると同日、ラジオから流れた「蝶蝶婦人-アル晴れた日に」を聴き、窓を全開とある。
しかし、翌日は(明日は)一変し一日中真冬日で、9日には大雪になってしまった。
さて、今年はどんなことになるやら・・・。
松本地方の雪降りは太平洋低気圧に関係した上雪で、これからが本番です。

窓辺の象によせて

2009-02-05 09:01:59 | 創作活動
少し蛇足になってしまいますが「窓辺の象」はこんな思いで創作したのです。
象が「心って何だ。意識って?自分とは?」と悩み思考する。やがてこの世界の二面性が同時に存在することを知ったとき、『空』の概念を感得できた。象はゾウでなくなっている自分を知る。そういう自分を観る。
そのことが果たして幸せなことであったのかわ「空」ではあるが・・・。

大乗仏教の本質は・・・などと、いまさらおこがましいのですが「空」という概念に要約されるといいます。
浅学で「ない」ということをいくら思考しても「空論」にいきつかない。この世界に存在するものは何も実態がナイ、といわれてもアルではないか。むしろ。「在る」 アル ある。と全てを肯定し、この世界に存在する意味を思考したほうが、ダイナミックな展開をみせるのではないか。
仏教は「ない-空」の概念が先行し、私たち衆生には無常観や厭世的な教えだと感じてしまうが、ナイ即アルと『あるのだ・あるのだ』という意識にする。
この意識というのが真にめんどうで、哲学・宗教・芸術そして心理学などなど、その解明・体系論理ずけに発展してきた。
中でも、仏教の心理分析ともいえる「倶舎論」となると、全く解らない。「唯識三年・倶舎八年」の学者世界の文字地獄・悪魔と戦わなくてはならない。
私は戦わずして敗退。変化自在なイメージ世界に入っているが、ひとつ間違えばマスターベーションになってしまう。
最近、自分の意識またはイメージが、摩訶不思議で広大無辺なものであることに気がついた。この体験の説明(絵画・言語などで)がいかんともできないでいた。ふと手にした「倶舎論の手引き書」に、私が体験した意識または認識の心の分析が書かれていました。
浅学のわたくしが言語を持って説明できるわけではないと,わかったとき、パッ!とこの物語がひらめいたのです。
 この世界が変わるわけではないが、見えていなかっただけだと気ずいた。ということは、世界が変わったのではなく、もっと深い世界が見え始めたのである。
たとえば、美術作品の美術評論家のコメントなど、とてもおよばない、作家の精神の高揚が解るようになった。
ということは、やっぱり世界はかわっているのか・・・。


ryusun

つぶやき

絵本と無縁になった大人に

子供たちに向けたというより、内なるものを呼び覚ます大人への絵本