テレビで「ベニスに死す(Death In Venice)」 ( 1971年、伊・仏、ルキノ・ヴィスコンティ監督)は何回も放映されている。最近も再放送があったので録画しておいたが時間が取れたのでまた観たくなった。
この映画は、トーマス・マン原作の同名の小説を映画化したもので、トーマス・マン自身がクラシック音楽に造詣が深く、マーラーの友人であったし、監督のヴィスコンティもマーラーの理解者であった。そのため、原作の主人公アッシェンバッハは作家(マン自身)であったが映画ではマーラーに変えた、そして、マーラーの音楽をふんだんに使っている。特に交響曲5番の第4楽章アダージェットが冒頭から用いられており、その後も何回も使われている。また、夕食のレストランの横のロビーで料理ができるのを待っている間に演奏されているのはレハールの「メリー・ウィドー」の最後の場面で歌われる「唇は語らずとも」であり、好きな曲だ。
仕事で挫折し、体調まで崩した老作曲家は静養のためベニスを訪れ、ふと出会ったポーランド貴族の美少年タッジオに理想の美を見る。以来、タッジオを求めて彷徨う。ある日、街中で消毒が始まり疫病が流行していることを聞きつける。死臭漂うベニスを彼はタッジオを追い求め歩き続け、ついに倒れ、ひとり力なく笑い声を上げる。翌日、疲れきった体を海辺のデッキチェアに横たえ、彼方を指差すタッジオの姿を見つめながら死んでゆく。
この映画は、トーマス・マンの小説が好きで、マンがクラシック音楽解説をしているのを知っていたり、マーラー好きにとっては見逃せないものだろう。私はマンやマーラーのファンとまでは言えないけれど、クラシック音楽や文学好きとして、時々無性に見たくなる。
ベニスには1回だけ観光で行ったことがある。ちょうどコロナが発生する少し前であった。そして、この映画ではコレラが世界中で感染拡大している話が出てくる。ベニスという都市の思い出、そしてコロナの感染拡大という21世紀に起こった映画と同様な事態を考えると、この映画になんとなく愛着というか、偶然というか、浅からぬ縁を感じてしまうのである。
この映画が上映されたころ、ポスターなどを見ると、ダッジオ役のビョルン・アンドレセンの写真がやたらと目立ったが彼は主人公ではない。私もこの宣伝によってずっと後になるまでこの映画を見る気がしなかった。マンやクラシック音楽のことが分かっていない人がマーケッティングしたのではと思いたくなるが、今となってはLGBTムードを先取りした映画だと言えるかもしれない。
今後も時々観るであろう。