映画「聖なるイチジクの種」を観た、2024年製作/167分/ドイツ・フランス・イラン合作、原題The Seed of the Sacred Fig、監督モハマド・ラスロフ(1972、イラン)
監督は「悪は存在せず」などで国際的に高く評価されながらも母国イランでは自作映画で政府を批判したとして複数の有罪判決を受けた、2022年に1人の女性の不審死をきっかけに起きた抗議運動を背景に、実際の映像も盛り込みながら描きだした映画、と説明されている
テヘランで妻ナジメと2人の娘と暮らすイマンは念願だった予審判事に昇進する、しかし仕事の内容は反政府デモ逮捕者に不当な刑罰を下すための調査官だった、イマンは反政府勢力から狙われる危険があるため護身用の銃が国から支給された、ある日、娘の友人が反政府デモに参加しただけなのに警官から暴行を受け自宅に匿うがこれが当局に知れるとイマンの立場がなくなるので娘たちは母ナジメに説得されて当局に友人を引き渡すと全く連絡が取れなくなる、そんな時、家庭内でイマンの銃が消えてしまう、妻はイマンが勤務先に忘れたのではないかなどと冷静になるように言うが、次第に妻、長女レズワン、次女サナの3人に疑惑の目が向けられるようになり事態は思わぬ方向へと狂いはじめる
鑑賞した感想
- 167分という長編映画だが、その時間をまったく感じさせない良い映画だった
- 映画の最後の終わり方もハッピーエンドではなく、こんな時自分だったらどうしたら良いのだろうかと考えさせる終わり方であり、その点で私の好みに合う映画だった、しかし、この結末は何を意味しているのだろうか、正義は最後に勝つ・・・とでも言いたかったのか
- 娘二人は年ごろで反政府的な言動の国民に対する弾圧を批判的に見ており、自分の親がその国家機関の仕事をしていることを懐疑的に見ている、一方、親のイマン(ミシャク・ザラ、Missagh Zareh)は調査官に昇格して官舎で暮らせるようになって娘たちに自室を与えるなど何不自由ない生活をさせているのに政府批判をするなど神に感謝せず信仰心が足りない困った若者だと思っている、この有りがちな対立がだんだん深刻になっていくのが手に取るようにわかる映画だった、自分がこんな状況になったら娘たちにいったいどうやって自分の仕事や政府のやっていることを説明するのか考えさせられるなーと思った、その点でイマンには大いに同情した
- 銃がなくなったのは自宅なのでイマンは日ごろ政府批判をしている娘たちを疑わざるを得ないが、そんなことは口に出せない、娘たちに「銃があったこと自体知らなかった」、「自分たちを疑っているの?」などと言われると、イマンは怒鳴ったりせずに冷静に話をしていたのは立派なものだと思った、自分だったらカッとなって怒鳴ったりひっぱたいたり、大声を出したりするかもしれない、ただ、田舎に避難した後の妻や娘たちに対する取り調べのようなやり方には共感できなかった
- この映画の中で一番良いなと思ったのはイマンの妻ナジメ(ソヘイラ・ゴレスターニ、Soheila Golestani、1980)だ、亭主と娘の間に立ち、対立が先鋭化しないように心を尽くす、父親があまり娘と直接話せない分、自分が父の立場を代弁して娘たちを説得するなど立派な母親・妻だと思った、彼女自身、美人で知性や気品が感じられる女優だと思った、オフィシャルサイトによれば、彼女は1980年、イラン生まれ、俳優・監督として活躍するほか活動家としての一面も持ち、「女性、命、自由」運動を支持する明確な立ち場を取って実刑判決を受けた、イランからの出国が禁じられ、本作が出品された第77回カンヌ国際映画祭には参加することができなかった、とある、すごい女性だ
映画の中でこれは若干疑問に思った点などを書くと
- 物語はイマンの護身用の銃が自宅から無くなるところから急展開していくが、映画では護身用の銃を無くしてしまうと懲役3年の重大事に描かれている、護身用の拳銃を無くしただけで懲役3年とは・・・イランではそうかもしれないが
- イマンは自宅の住所や顔写真がネットに出回ると身の危険を感じ出身地の田舎に一時避難する、その途中で周りの人々の強い視線を感じ、危機感を強めたイマンは自動車で移動中に追ってくる反体制派の車に自分の車をぶつけて脇にそらせるなどジェームス・ボンド並みのカーチェイスをする
- イマンは田舎で親子で銃の所在について改めて話し合うが、その際、一人ずつ椅子に座らせ、質疑応答をカメラで撮影していたが、なぜそんなことをするのか分からなかった
- さらに、妻と娘たちを鍵のかかる牢獄のような部屋に一人ずつ閉じ込めたが、これも何のためにそんなことをするのか分からなかった
楽しめました