LABO公演 Vol.41劇団俳優座創立80周年記念事業「教育」を観劇した、場所は六本木の俳優座スタジオ、14時開演、1時間45分(休憩無し)、座席は全部で150席くらいか、ほぼ満員だった、前回このスタジオで観劇した時(こちら参照)は、座席はL字型であったが、今回は舞台がその時よりは狭く、逆に座席は広く、コの字型の座席配置となっていた
作者:田中千禾夫(ちかお)
演出:中村圭吾
< 配役 >
瑠王(ルオウ)・・・・・加藤佳男
絵礼奴(エレーヌ)・・・・瑞木和加子
禰莉(ネリー)・・・・・椎名慧都
翡江流(ピエール)・・・・野々山貴之
若い女中・・・稀乃
田中千禾夫の名作『教育』を40年ぶりに再演!教育とは暴力なのか?!新進気鋭の中村圭吾が、新演出にて田中千禾夫戯曲に挑む、とある
仏蘭西のとある森の別荘に、絵礼奴(エレーヌ)と禰莉(ネリー)の母子が住んでいた。父、瑠王(ルオウ)は遠くの島で鉱山を経営しており、月に一度生活費を届けるためのみに別荘を訪れていた。
今日はその日。いつもは金を渡して、4,5杯の酒を飲むとすぐに帰る習慣だったが、今日はなぜか帰ろうとしない、父の口から禰莉(ネリー)の出生の秘密を告白され、心乱れる禰莉。そこに禰莉に心を寄せる医師、翡江流(ピエール)がやってきて、女の幸福を説こうとする。母絵礼奴の告白は父瑠王と大きく違い・・・
三者三様の告白によって、愛とは何か!をそれぞれに教育させられた禰莉は苦悩する
教育という題名に興味をもった、この日は公演終了後にトークセッションがあり、演出の中村圭吾氏と山辺恵理子 氏 (早稲田大学文学学術院講師)との対談があり、これにも参加してみたが勉強になった
このトークセッションで中村氏と山辺氏が話した主な内容を記憶している範囲で記せば次の通りである
- ネリーの悩みは哲学的なもので、劇の最後に「生きがいとは何か」という叫びは贅沢な悩みである
- 教育と愛と違い、教育は資格がある人がやるもので、それは①年上の人であること、②男性であること、③学問があることの3つである、父のルオウは学問がなく、母のエレーヌは男性でなく、医者のピエールは学問がない
- 商品の売買では商品を買ったという認識があって商売が成立する、教育で「学んだ、勉強になった」という意識を持てない場合、教育したとは言えないのではないか
- 教育とハラスメントは紙一重、教育とは暴力なのか、という命題を考えた、演劇の演出家による役者への指導も暴力的な面を有する
- この演劇では女中の役割が田中千禾夫の原作より強調されている、初演当時は女中は声だけの出演だったが本作では女中から見たネリーを強調するために姿も見せる方法にした
- 作者の田中千禾夫が教育というタイトルを付したのは、戦前・戦後共に知る人間として教育に対する不信感があったからではないか
- 劇中ではルオーの告白はネリーに響いたがピエールの告白は響かなかった
観劇した感想
- スタジオは狭く、その分、役者との距離感が近く、福田恒存氏が言うような役者と観客との無言の対話が成立する環境であったので演劇の舞台としては理想的だと思った、ただ、ビジネス的には厳しいだろう
- ストーリーが小難しく、1回観ただけでは理解するのが難しいと思った、また、延々と出演者二人のセリフが続く場面が多く、途中で眠くなり、特に最初のネリーとルオウの会話の内容がイマイチ理解できなかった、もう少し何か飽きないような台詞や進行の工夫が必要なのではないかと思った
- 教育というタイトルを奇異に感じた、内容的には「説得」だと思った、娘のエレーヌがどういう経緯で生れて来たのか、本当は誰の子供なのかという点についての父親ルオウと母親エレーヌのどちらの説明により説得力が有るのか、そういったことを見せるドラマなのかなと思ったが、結局、結論ははっきりわからなかった(途中で寝たからか)
終演後のトークセッションも含めて勉強になりました
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